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養生訓 巻第八 養老


 人の子となりては、其の親を養う道をしらずんばあるべからず。
其の心を楽しましめ、其の心にそむかず、いからしめず、其の時の寒暑にしたがい、其の居室と其の寝所をやすくし、其の飲食を味よくして、まことを以て養うべし。


 老人は、體氣おとろえ、胃腸よわし。
常に小児を養うごとく、心を用ゆべし。
飲食のこのみ、きらひをたづね、其の寒温の宜しきをこころみ、居室をいさぎよくし、風雨をふせぎ、冬あたたかに、夏涼しくし、風寒暑湿の邪氣をよく防ぎて、おかさしめず、つねに心を安楽ならしむべし。
盗賊水火の不意なる變災あらば、先づ、両親を驚かしめず、早く介保し出すべし。
變にあひて、病おこらざるように、心づかい有べし。
老人は、驚けば病おこる。
おそるべし。


 老の身は、餘命久しからざる事を思い、心を用いる事わかき時にかわるべし。
心しづかに、事すくなくて、人に交わる事もまれならんこそ、あいにあいてよろしかるべけれ。
是れも亦、老人の氣を養う道なり。


 老後は、わかき時より月日の早き事、十倍なれば、一日を十日とし、十 日を百日とし、一月を一年とし、喜楽して、あだに、日をくらすべからず。
つねに時日をおしむべし。
心しづかに、従容として餘日を楽み、いかりなく、慾すくなくして、残躯をやしなうべし。
老後一日も楽しまずして、空しく過ごすはおしむべし。
老後の一日、千金にあたるべし。
人の子たる者、是れを心にかけて思わざるべんけや。


 今の世、老て子に養われる人、わかき時より、却って怒り多く、慾ふかくなりて、子を責め、人を咎めて、晩節をもたず、心をみだす人多し。
愼しみて、怒りと慾とをこらえ、晩節をたもち、物ごとに堪忍ふかく、子の不孝をせめず、つねに楽しみて残年をおくるべし。
是れ老後の境界に相應してよし。
孔子、年老血氣衰えては得るを戒しめ給う。
聖人の言おそるべし。
世俗、わかき時は頗愼しむ人あり。
老後は却って、多慾にして、怒り恨み多く、晩節を失う人多し。
愼しむべし。
子としては是れを思い、父母の怒りおこらざるように、かねて思いはかり、おそれ愼しむべし。
父母をいからしめるは、子の大不孝なり。
又、子として、わが身の不孝なるを、親にとがめられ、却って親の老耄したる由を、人につぐ。
是れ大不孝なり。
不孝にして父母をうらむるは、悪人のならいなり。


 老人の保養は、常に元氣をおしみて減らすべからず。
氣息を静かにして、荒くすべからず。
言語を緩かにして、早くせず、言すくなくし、起居行歩をも、静かにすべし。
言語あらゝかに、口ばやく聲高く、颺言すべからず。
怒なく、憂いなく、過ぎ去たる人の過を、咎むべからず。
我が過を、しきりに悔ゆべからず。
人の無礼なる横逆を、怒り恨むべからず。
是れ皆、老人養生の道なり。
又、老人の徳行の愼みなり。


 老ては氣すくなし。
氣を減らす事をいむべし。
第一、怒るべからず。
憂い、悲しみ、泣き、嘆くべからず。
喪葬の事にあづからしむべからず。
死をとぶらふべからず。
思いを過すべからず。
尤多言をいむ。
口、はやく物云べからず。
高く物いい、高くわらい、高くうたふべからず。
道を遠く行くべからず。
重き物をあぐべからず。
是れ皆、氣をヘらさずして、氣をおしむなり。


 老人は体氣よはし。
是れを養うは大事なり。
子たる者、つつしんで心を用い、おろそかにすべからず。
第一、心にそむかず、心を楽しましむべし。
是れ志を養うなり。
又、口腹の養におろそかなるべからず。
酒食精しく味よき物をすすむべし。
食の精しからざる、あらき物、味あしき物、性あしき物をすすむべからず。
老人は、胃腸よはし、あらき物にやぶられやすし。


 衰老の人は、脾胃よはし。
夏月は、尤慎んで保養すべし。
暑熱によつて、生冷の物をくらえば泄瀉しやすし。
瘧痢もおそるべし。
一たび病すれば、大にやぶれて元氣ヘる。
残暑の時、殊におそるべし。
又、寒月は、老人は陽氣すくなくして寒邪にやぶられやすし。
心を用いてふせぐべし。


 老人はことに生冷、こはき物、あぶらけねばく、滞りやすき物、こがれてかはける物、ふるき物、くさき物をいむ。
五味偏なる物、味よしとても、多く食うべからず。
夜食を、殊に心を用いてつつしむべし。

十一
 年老ては、さびしきをきらう。
子たる者、時々侍べり、古今の事、しずかに物がたりして、親の心をなぐさむべし。
もし朋友妻子には和順にして、久しく対談する事をよろこび、父母に対する事をむづかしく思いて、たえだえにしてうとくするは、是れ其の親を愛せずして他人を愛するなり。
悖徳と云べし。
不孝の至なり。
おろかなるかな。

十二
 天氣和暖の日は、園圃に出、高き所に上り、心をひろく遊ばしめ、欝滞を開くべし。
時時草木を愛し、遊賞せしめて、其の意を快くすべし。
されども、老人みづからは、園囿、花木に心を用い過して、心を労すべからず。

十三
 老人は氣よはし。萬の事、用心ふかくすべし。
すでに其の事にのぞみても、わが身をかえりみて、氣力の及びがたき事は、なすべからず。

十四
 とし下寿をこえ、七そぢにいたりては、一とせをこゆるも、いとかたき事になん。
此のころにいたりては、一とせの間にも、氣体のおとろえ、時々に変りゆく事、わかき時、数年を過るよりも、猶はなはだけぢめあらはなり。
かくおとろえゆく老の身なれば、よくやしなはずんば、よはひを久しくたもちがたかるべし。
又、此のとしごろにいたりては、一とせをふる事、わかき時、一二月を過るよりもはやし。
おほからぬ余命をもちて、かく年月早くたちぬれば、此の後のよはい、いく程もなからん事を思うべし。
人の子たらん者、此の時、心を用いずして孝をつくさず、むなしく過なん事、おろかなるかな。

十五
 老ての後は、一日を以て十日として日々に楽しむべし。常に日をおしみて、一日もあだにくらすべからず。
世のなかの人のありさま、わが心にかなはずとも、凡そ人なれば、さこそあらめ、と思いて、わが子弟をはじめ、人の過悪を、なだめ、ゆるして、とがむべからず。
いかり、うらむべからず。又、わが身不幸にして福うすく、人われに対して横逆なるも、うき世のならい、かくこそあらめ、と思いい、天命をやすんじて、うれふべからず。
つねに楽しみて日を送るべし。
人をうらみ、いかり、身をうれいなげきて、心をくるしめ、楽しまずして、むなしく過ぬるは、愚かなりと云べし。
たとえ家まどしく、幸なくしても、うえて死ぬとも、死ぬる時までは、楽しみて過すべし。
貧しきとて、人にむさぼりもとめ、不義にして命をおしむべからず。

十六
 年老ては、やうやく事をはぶきて、すくなくすべし。
事をこのみて、おおくすべからず。
このむ事しげゝれば、事多し。
事多ければ、心氣つかれて楽をうしなう。

十七
 朱子六十八歳、其の子に与ふる書に、衰病の人、多くは飲食過度によりて、くはゝる。
殊に肉多く食するは害あり。
朝夕、肉は只一種、少食すべし。
多くは食うべからず。
あつものに肉あらば、さいに肉なきがよし。
晩食には、肉なきが尤もよし。
肉の数、多く重ぬるは滞りて害あり。
肉をすくなくするは、一には胃を寛くして、氣を養い、一には用を節にして、財を養ふといえり。朱子の此の言、養生にせつなり。わかき人も此の如すべし。

十八
 老人は、大風雨、大寒暑、大陰霧の時に外に出べからず。
かかる時は、内に居て、外邪をさけて静養すべし。

十九
 老ては、脾胃の氣衰えよわくなる。
食すくなきに宜し。
多食するは危し。老人の頓死するは、十に九は皆食傷なり。
わかくして、脾胃つよき時にならいて、食過れば、消化しがたく、元氣ふさがり、病おこりて死す。
つつしみて、食を過すべからず。
ねばき飯、こはき飯、もち、だんご、類、糯の飯、獣の肉、凡そ消化しがたき物を多くくらふべからず。

二十
 衰老の人、あらき物、多くくらふべからず。
精しき物を少くらうべしと、元の許衡いえり。
脾胃よわき故なり。
老人の食、此の如なるべし。

二十一
 老人病あらば、先食治すべし。
食治応ぜずして後、薬治を用ゆべし。
是れ古人の説なり。
人参、黄ぎは上薬なり。
虚損の病ある時は用ゆべし。
病なき時は、穀肉の養の益ある事、参ぎの補に甚まされり。
故に、老人はつねに味美く、性よき食物を少づつ用いて補養すべし。
病なきに、偏なる薬をもちゆべからず。
かえって害あり。

二十二
 朝夕の飯、常の如く食して、其の上に又、こう餌、めん類など、わかき時の如く、多くくらふべからず。
やぶられやすし。
只、朝夕二時の食、味よくして進むべし。
昼間、夜中、不時の食、このむべからず。
やぶられやすし。
殊薬をのむ時、不時に食すべからず。

二十三
 年老ては、わが心の楽の外、萬端、心にさしはさむべからず。
時にしたがい、自楽しむべし。
自楽むは世俗の楽に非ず。
只、心にもとよりある楽を楽しみ、胸中に一物一事のわづらひなく、天地四時、山川の好景、草木の欣栄、是れ又、楽しむべし。

二十四
 老後、官職なき人は、つねに、只わが心と身を養う工夫を専にすべし。
老境に無益のつとめのわざと、芸術に、心を労し、氣力をついやすべからず。

二十五
 朝は、静室に安坐し、香をたきて、聖経を少読誦し、心をいさぎよくし、俗慮をやむべし。
道かはき、風なくば、庭圃に出て、従容として緩歩し、草木を愛玩し、時景を感賞すべし。
室に帰りても、閑人を以て薬事をなすべし。
よりより几案硯中のほこりをはらい、席上階下の塵を掃除すべし。
しばしば兀坐して、睡臥すべからず。又、世俗に広く交るべからず。
老人に宜しからず。

二十六
 つねに静養すべし。
あらき所作をなくすべからず。
老人は、少の労動により、少の、やぶれ、つかれ、うれいによりて、たちまち大病おこり、死にいたる事あり。
つねに心を用ゆべし。

二十七
 老人は、つねに盤坐して、凭几をうしろにおきて、よりかかり坐すべし。
平臥を好むべからず。

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