養生訓 巻第六 愼病
病を愼しむ
病は生死のかかる所、人身の大事なり。
聖人の愼しみ給う事、うべなるかな。
一
古語に、常に病想を作すと。
いう意は、無病の時、病ある日のくるしみを、常に思いやりて、風寒暑湿の外邪をふせぎ、酒食好色の内欲を節にし、身體の起臥動静をつつしめば病なし。
又、古詩に曰く、「安楽、常に病苦の時を思う」と。
云う意は、病なくて安楽なる時に、初病に苦しめる時を常に思い出して、わするべからずとなり。
無病の時、慎ありて、恣ならざれば、病生ぜず。
是れ病おこりて、良薬を服し、鍼灸をするにまされり。
邵康節の詩に、其の病後、能く薬を服せむより、病前、能く自防ぐ、にしかず、といえるがごとし。
二
病なき時、かねてつつしめば病なし。
病おこりて後、薬を服しても病癒えがたく、癒える事おそし。
小慾をつつしまざれば大病となる。
小慾をつつしむ事は、やすし。
大病となりては、苦しみ多し。
かねて病苦を思いやり、のちの禍をおそるべし。
三
古語に、病は、少し癒えるに加わるといえり。
病少しいえれば、快きをたのんで、おこたりて、つつしまず。
少し快しとして、飲食、色慾など恣にすれば、病かえっておもくなる。
少しいえたる時、弥かたく、おそれつつしみて、少しのやぶれなく、おこたらざれば、病早くいえて再発のわざわいなし。
此の時、かたくつつしまざれば、後悔すとも益なし。
四
千金方曰く、冬温なる事を極めず、夏涼きことをきわめず、凡そ、一時快き事は、必ず後の禍となる。
五
病生じては、心のうれい、身の苦しみ甚し。
其の上、医をまねき、薬をのみ、灸をし、針をさし、酒をたち、食をえらし、さまざまに心をなやまし、身をせめて、病を治せんとせんよりは、初に内欲をこらえ、外邪をふせげば、病おこらず。
薬を服せず、針灸せずして、身のなやみ、心の苦なし。
初しばしの間、つつしみ、しのぶは、少しの心づかいなれど、後の患なきは、大なるしるしなり。
後に薬と針灸を用い、酒食をこらえ、つつしむは、その苦み甚しけれど、益すくなし。
古語に、終わりをつつしむ事は、始においてせよ、といえり。
萬の事、始によくつつしめば、後に悔なし。
養生の道、ことさらかくのごとし。
六
飲食、色慾の内欲を、ほしいままにせずして、かたく慎み、風寒暑湿の外邪をおそれ防がば、病なくして、薬を用いずとも、うれいなかるべし。
もし慾をほしいままにして、つつしまず、只、脾腎を補う薬治と、食治とを頼まば、必ずしるしなかるべし。
七
病ある人、養生の道をば、かたく慎しみて、病をば、うれい苦しむべからず。
憂い苦しめば、氣、ふさがりて病くわわる。
病おもくても、よく養いて久しければ、おもいしより、病、いえやすし。
病をうれいて益なし。
只、慎しむに益あり。
もし必死の症は、天命の定まれる所、うれいても益なし。
人をくるしむるは、おろかなり。
八
病を早く治せんとして、いそげば、かえって、あやまりて病をます。
保養は、おこたりなくつとめて、いえる事は、いそがず、その自然にまかすべし。
萬の事、あまりよくせんとすれば、かえってあしくなる。
九
居所、寝室は、つねに風寒暑湿の邪氣をふせぐべし。
風寒暑は、人の身をやぶる事、はげしくして早し。
湿は、人の身をやぶる事、おそくして深し。
故に風寒暑は、人、おそれやすし。
湿氣は、人おそれず。
人にあたる事ふかし。
故に久しくしていえず。
湿ある所を、早く遠ざかるべし。
山の岸近き所を、遠ざかるべし。
又、土あさく、水近く、床ひくき処に、坐臥すべからず。
床を高くし、床の下の壁にまどを開きて、氣を通ずべし。
新にぬりたる壁に近づきて、坐臥すべからず。
湿にあたりて、病となりて、いえがたし。
或は、疫病をうれう。
おそるべし。
文禄の朝鮮軍に、戦死の人は、すくなく、疫死多かりしは、陣屋ひくく、まばらにして、士卒、寒湿にあたりし故なりとぞ。
居所も寝屋も、高く、かわける所よし。
是れ、皆、外湿をふせぐなり。
一たび湿にあたれば、いえがたし。
おそるべし。
又、酒、茶湯、水を多くのまず、瓜、菓、冷麪を多く食わざるは、是れ皆、内湿をふせぐなり。
夏月、冷水を多くのみ、冷麪をしばしば食すれば、必ず、内湿にやぶられ、痰瘧、泄痢をうれう。
つつしむべし。
十
傷寒を、大病と云う。
諸病の内、最もおもし。
わかくさかんなる人も、傷寒、疫癘をわずらい、死ぬる人多し。
おそるべし。
かねて風寒暑湿をよくふせぐべし。
初発のかろき時、早くつつしむべし。
十一
中風は、外の風にあたりたる病には非ず、内より生ずる風に、あたれるなり。
肥白にして、氣、すくなき人、年四十を過て、氣、衰える時、七情のなやみ、酒食のやぶれによりて、此の病生ず。
つねに酒を多くのみて、腸胃やぶれ、元氣ヘり、内熱ずる故、内より風生じて手足ふるい、しびれ、なえて、かなはず。
口ゆがみて、物いう事ならず。是れ皆、元氣不足する故なり。
故に、わかく氣つよき時は、此の病なし。
もし、わかき人にも、まれにあるは、必ず肥満して、氣すくなき人なり。
酒多くのみ、内かはき熱して、風生ずるは、たとえば、七八月に残暑甚しくて、雨久しくふらざれば、地氣さめずして、大風ふくが如し。
此の病、下戸にはまれなり。
もし、下戸にあるは、肥満したる人か、或は氣すくなき人なり。
手足なえしびれて、不仁なるは、くち木の性なきが如し。
氣血不足して、ちからなく、なえしびるるなり。
肥白の人、酒を好む人、かねて慎あるべし。
十二
春は陽氣発生し、冬の閉蔵にかはり、人の肌膚和して、表氣やうやく開く。
然るに、余寒猶烈しくして、風寒に感じやすし。
つつしんで、風寒にあたるべからず。
感冒咳嗽の患なからしむべし。
草木の発生するも、余寒にいたみやすし。
是れを以て、人も余寒をおそるべし。
時にしたがい、身を運動し、陽氣を助けめぐらして、発生せしむべし。
十三
夏は、発生の氣いよいよさかんにして、汗もれ、人の肌膚大いに開く故外邪入やすし。
涼風に久しくあたるべからず。
沐浴の後、風に当るべからず。
且夏は伏陰とて、陰氣かくれて腹中にある故、食物の消化する事おそし。
多く飲食すべからず。
温なる物を食ひて、脾胃をあたたむべし。
冷水を飲べからず。
すべて生冷の物をいむ。
冷麪多く食うべからず。
虚人は尤泄瀉のうれいおそるべし。
冷水に浴すべからず。
暑甚き時も、冷水を以て面目を洗えば、眼を損す。
冷水にて、手足洗うべからず。
睡中に、扇にて、人にあふがしむべからず。
風にあたり臥べからず。
夜、外に臥べからず。
夜、外に久しく坐して、露氣にあたるべからず。
極暑の時も、極て涼しくすべからず。
日に久しくさらせる熱物の上に、坐すべからず。
十四
四月は純陽の月なり。
尤色慾を禁ずべし。
雉鶏など温熱の物、食うべからず。
十五
四時の内、夏月、尤保養すべし。
霍乱、中暑、傷食、泄瀉、瘧痢の病、おこりやすし。
生冷の飲食を禁じて、慎んで保養すべし。
夏月、此の病おこれば、元氣ヘりて大いに労す。
十六
六七月、酷暑の時は、極寒の時より、元氣ヘりやすし、よく保養すべし。
加味生脈散《かみしょうみゃくさん》、補氣湯、医学六要の新製清暑益氣湯など、久しく服して、元氣の発泄するを収斂すべし。
一年の内時令のために、薬を服して、保養すべきは、此の時なり。
東垣が清暑益氣湯は湿熱を消散する方なり。
純補の剤にあらず、其の病なくば、服すべからず。
十七
夏月、古き井、深き穴の中に人を入べからず。
毒氣多し。
古井には先鶏の毛を入て、毛、舞ひ下りがたきは、是れ毒あり、入べからず。
火をもやして、入れて後、入べし。
又、醋を熱くわかして、多く井に入て後、人入べし。
夏至に井をさらえ、水を改むべし。
十八
秋は、夏の間肌開け、七八月は、残暑も猶烈しければ、そうりいまだとちず。
表氣いまだ堅からざるに、秋風すでにいたりぬれば、感じてやぶられやすし。
慎んで、風涼にあたり過すべからず。
病ある人は、八月、残暑退きて後、所々に灸して風邪をふせぎ、陽を助けて痰咳のうれいをまぬがるべし。
十九
冬は、天地の陽氣とぢかくれ、人の血氣おさまる時なり。
心氣を閑にし、おさめて保つべし。
あたため過して陽氣を発し、泄すべからず。
上氣せしむべからず。
衣服をあぶるに、少あたためてよし。
熱きをいむ。
衣を多くかさね、又は火氣を以て身をあたため過すべからず。
熱湯に浴すべからず。
労力して汗を発し、陽氣を泄すべからず。
二十
冬至には、一陽初て生ず。
陽氣の微少なるを静養すべし。
労動すべからず。此の日、公事にあらずんば、外に出べからず。
冬至の前五日、後十日、房事を忌む。
又、灸すべからず。
続漢書に曰く、夏至水を改め、冬至に火を改むるは、瘟疫を去なり。
二十一
冬月は、急病にあらずんば、針灸すべからず。
尤十二月を忌む。
又、冬月按摩をいむ。
自身しづかに導引するは害なし。
あらくすべからず。
二十二
除日には、父祖の神前を掃除し、家内、殊に臥室のちりをはらい、夕は燈をともして、明朝にいたり、家内光明ならしめ、香を所々にたき、かまどにて爆竹し、火をたきて、陽氣を助くべし。
家族と炉をかこみ、和氣津々として、人とあらそはず、家人を、いかりののしるべからず。
父母、尊重を拝祝し、家内、大小上下椒酒をのんで歓び楽しみ、終夜いねずして旧き歳をおくり、新き年をむかえて、朝にいたる。
是れを歳を守ると云う。
二十三
熱食して汗いでば、風に当るべからず。
二十四
凡そそ人の身、高き処よりおち、木石におされなどして、損傷したる処に、灸をする事なかれ。
灸をすれば、くすりを服してもしるしなし。
又、兵器にやぶられて、血おおく出たる者は、必ずのんどかわくものなり。
水をあたふべからず。
甚あしし。
又、粥をのましむべからず。
粥をのめば、血わき出で、必ず死ぬ。
是れ等の事、かねてしらずんばあるべからず。
又、金瘡折傷、口開きたる瘡、風にあたるべからず。
扇にてもあふぐべからず。
し症となり、或は破傷風となる。
二十五
冬、朝に出て遠くゆかば、酒をのんで寒をふせぐべし。
空腹にして寒にあたるべからず。
酒をのまざる人は、粥を食うべし。
生薑をも食うべし。
陰霧の中、遠く行べからず。
やむ事を得ずして、遠くゆかば、酒食を以て防ぐべし。
二十六
雪中に跣にて行て、甚寒えたるに、熱湯にて足を洗うべからず。
火に早くあたるべからず。
大寒にあたりて、即熱物を食飲すべからず。
二十七
頓死の症多し。
卒中風、中氣、中悪、中毒、中暑、凍死、湯火、食傷、乾霍乱、破傷風、喉痺、痰厥失血、打撲、小児の馬脾風等の症、皆卒死す。
此の外、又、五絶とて、五種の頓死あり。
一には自くびる。
二にはおしにうたる。
三には水におぼる。
四には夜押厭はる。
五には婦人難産。
是れ皆、暴死する症なり。
常の時、方書を考え、又、其の治法を、良医にたつねてしり置べし。
かねて用意なくして、俄に所置を失うべからず。
二十八
神怪、奇異なる事、たとえ目前に見るとも、必ず鬼神の所為とは云うがたし。
人に心病あり。
眼病あり。
此の病あれば、実になき物、目に見ゆる事多し。
信じてまよふべからず。