一緒にいたい人とだけ、一緒にいればいいんだよ。
「世の中には愛情深い人もそうでない人もいる。」
これは比較的スムーズに受け入れられる文言だ。
けれどもこれはどうだろう?
「世の中には愛情深い親とそうでない親がいる」
もやもやしたりざわざしたりして、素直に受け取れない人も多いのではないだろうか?
または、似たようなことを言ったら「育ててもらった恩ガー」とか「それでも親ナンダカラー」とたしなめられた経験がある人も多いのではないだろうか?
それはなぜだろう?
この国の潜在意識に「親は敬うべき」「子を愛さない親などいない」「親を大事にしないのは親不孝」という、事実と異なる、呪いにも似た強い強い「思考の体系」が沈んでいるからだ。
これは私たちが関知しえない「無意識」から私たちをじわじわと浸食し、行動を制限する。
だからこれに反する行動をしようとした時に、そのプレッシャーに負けそうになったり、罪悪感を感じてしまうのは貴方のせいではない。
ここの影響力は強大なのだから。
さて、では「親」とはなんだろう?
シンプルに表現するなら、「子をなした人間」である。
「世の中には愛情深い人間もそうでない人間もいる」ならば
当然「子をなした人間」の中にも、愛情深いのもそうでないのもいるのだ。
頭では理解できても感情的になってしまうのならば、貴方の中に「整理できていない想い」があって、それを見たくないからだ。
好き好んで親を嫌いたい子供なんていない。
生まれてきて、彼らに依存しなければ生きられなかった期間を超えても、たとえどんなにひどい目にあったとしても、「親という存在を愛したいプログラム」が子供には埋め込まれていると感じる。
だからその本能を超えて「嫌だ」「つらい」と感じるのなら、よほどのことなのだ。
その感覚に素直に従ったほうがいい。
ひとは理性の生き物だというけれど、望まないことをずっと続けても正気でいられるほど強くはないと思う。
自分の心を殺し続けては生ける屍になってしまう。
もしこのnoteを呼んでいる人の中で、何かしら響くところがあったなら、そゾンビ化する前に、ぜひとも自分の心に耳を傾けてみてほしい。
親子、家族、兄弟、恋人、夫婦。
どんな関係性かは、どうかかわるかとは一切関係なくて。
貴方が一緒にいて満たされて、心安らぐ人、元気になる人とだけ一緒にいていいのだ。
必要としている人に届きますように。