日本人名物間違い英語「engrish」に見る現在日本人の闇
日本人名物間違い英語engrish
多くの日本人が知らない日本名物に、日本人の間違い英語engrishがある。
ENGRISH とは、万年rの発音がーとか言ってrとlを間違い全然進歩しない日本人の意味不明英語モドキを、外国人が揶揄ってつけた言葉。
日本語のウィキペディアのengrish は、アジア系言語者の・・とこせこく表現をごまかしているけれど、英語Wikipediaでは、はっきり日本人特有と指摘。ちなみに英語のWikipediaでは、別にJapanese English の説明もある。
わざわざ固有の単語が作られるほど、世界中の人達に、日本人はどうしてこんなに単語や基本文法を間違える??????????と思われている訳だが、日本人では、日本語Wikipediaの説明さえ胡麻化されるほどの特高警察検閲で、問題の存在そのものが抹殺される。イヤー怖い。
私の実感としても日本の街中に溢れる英語表記の2~3割くらいは、意味不明間違い英語もどきengrish なのではないだろうか・・・。と思える程に、日本の街では、意味不明間違い英語もどきengrish があふれかえっている。
もちろん私も、街の食堂のメニューやお店の注意書き英語表記間違いくらいは、スタッフが必要に迫られて書いたのだろう・・と理解できる。同様の不思議日本語なら、海外でも多数見かける。
けれど、ある程度公共性ある案内板や、広告パネルの場合は、違うでしょう。担当者も大卒だろうし、文言の決定、デザインの決定、稟議、制作プロセス、設置・・・と何重にも相応の人の確認のプロセスを経ているはず。なのに、どうして誰も気が付かない?
どうしてGoogleで確認するくらいもしないの?
このengrishを見て外国人がどう思うか知っているだろうか?
日本人の傲慢
の一言。英語で言えば、hubris ね。
どうしてgoogle 翻訳を使わないのか?
こんな間違いをするほど英語力が無いにも関わらず、どうしてgoogle 翻訳で確認する手間さえ取らないのか?
私もそう思う。
自分がいい加減な言葉を使っても、外国人はそれを(自分の意図通りに)理解できるらしいと考える傲慢は、される方には、自分達が軽視されているとか感じられない。
もし英語を書く事は、「日本語を解さない外国人に情報を伝えるため」というコミュニケーション目的を理解していれば、「相手に伝わるかどうか」10回でも20回でも辞書なりgoogle 翻訳で確認をするところを、それをしないから、こうした間違いengrishが氾濫している。
社会に問題を指摘できる人がいない日本の闇
とはいえ、hubris なのは、現場の一人一人の日本人ではない。
こんな事、社会的に誰かが指摘をして、皆が「間違い英語は失礼だ」と気が付けば、後は普通にgoogle だなんだでしつこくチェックをして、正しく書いて終わり!の問題ではないですか。
ところが現在の日本人では、そうした社会価値ある事が言える人がいない。ここに現在日本の闇があるのですよ。ちなみにお前がやれとは言わないように。私には経済メリットが全くない上に、私は普段「違う」として排除される側の人間です。
本来社会には、もっとそうした指摘をして社会を善きに導くべき立場の職業の方々が大勢いるでしょう。
例えば、テレビ・新聞・雑誌や自称ジャーナリストのマスコミ系、大学教授、官僚、政治家、作家、各有識者等々。
英語を話す教養もない知的エリートがのさばっている日本の闇
現在日本の闇の闇は、本来知性と教養があると考えられてきた知的エリート職業の人達が、ほとんど英語も話せず職業に相応しい知性教養を持たなくなった事に尽きる。
英語を問題にするのは、まず語学が教養の基本。そして英語はすでに国際共通語。
インターネットもなく英語学習法も発達していなかった昭和時代なら、必要性が無い限り英語を話せないのが普通だったにしろ、現在は、インターネット時代ももう30年、21世紀になってもう25年。最近はアプリだなんだと英語学習法も素晴らしく発達している。しかもネットで無料で世界中の人達と気軽に話が出来る時代。
だから日本以外の世界の他国では、もう10年前には、知的エリートに限らず大卒クラスなら、「国際共通語の英語を話しません」とかいう人、中南米やアフリカのマイナー国でも考えられなくなっている。知的エリート層なら英語で活発な議論をふっかけ/ふっかけられるのが当たり前。
世界中の知的エリート層の人達がどうして皆世界共通語の英語を身に着けて、他の国の人たちとコミュニケーションを積極的に行うかといえば、得られるメリットが多いの一言しかない。単なる他国の知識を仕入れる事ではなく、自分と自国の問題を、他国の人の目を通しても見る事で視野が広がり、多面思考ができるようになる。問題解決のアイデアが見つかる。
だから英語ネイティブのアメリカ人やイギリス人のエリート達も、意識的に国際的な友人や関係を作る。(例えばトランプの娘のイバンカの子供達のナニ―は中国系といった具合)
なのに、日本のテレビ・新聞・雑誌や自称ジャーナリストのマスコミ系、大学教授、官僚、政治家、各有識者等「だけ」は、昭和意識に留まり、世界の流れに無関心で、時代に合わせて進化する気がゼロ。それでいて自分は先進国の知的職業職に相応しいと思う。これぞhubrisの極みではないか。
80年代バブルから成長したくない「空気」が支配している
いやもちろんほとんどは、大学卒業まで最低10年に加えて、子供時代や大人になってからもこっそり相当の時間と費用と労力を英語学習に費やしている
のでしょう。けれど学校で使える英語を教えてくれなかったから無理、とか言える職業じゃないにも関わらず、結果が出なくとも、やり方を変えるとか、自分を成長させてコミュニケーション力を上げるとかいう事をしない。できない。全く酷い闇ではないですか。
テレビ・新聞・雑誌や自称ジャーナリストのマスコミ系、大学教授、官僚、政治家、各有識者等社会影響力ある職業の方々がみんなで結託して、バブル時代末期のジャパンアズナンバーワン意識で自己充足して、昭和の時代は話せない人多かった・・・事に自己向上などしようとも思わず、英語力を身につける問題は子供の教育問題にすり替えて、大人にはそんな問題は存在しないものとして問題そのものを抹殺する「空気」を張り巡らして、自分達が英語くらい話す教養を身に着ける程に成長しなくても構わない空気を濃厚に作り死守している。
この人達のたちが悪い事には、ネット時代で海外ニュースアクセスだけは出来るから、それこそ昭和のごとく知識を仕入れて、知識だけで、知ってるコンテストに勝ち国際力ある風を装いはする。でもいくら知識を身に着けても、知識だけでは、知力にも教養にもならず人間力の栄養にもならず、もちろん(同類仲間以外との)コミュニケーション力が上がらないのですよ。
地底階級の上がの体たらくでは、社会全体に、英語noticeを書く時くらい、確認をして正しい通じる英語を書こうという意識も育たない上に、なにより失われた30年が過ぎても、社会も経済も成長出来ないのは、あまりに当然の事でしょう。
ついでにいえば、この徹底抹殺のおかげで、現在の日本では、英語を話し国際性がある人、知識や教養、人間性がある日本人が排除されて居場所を失い自信を喪失している。この闇もおかしな話だ。
王様は裸だ、と言わなければ認める事になるから言おう
けれどもフジテレビの例を見るまでもなく、メディアの昭和から成長しない圧力もそろそろ綻びが見えてきた。若手は老害の問題に転換したがるけれど、てめーらも問題だ。
と言う事で、今年の私のNew Year Resolutionは、実社会でこうした人たちに出会ったら、直接顔を見て遠慮なくボロクソ言ってやる事。ボロクソと言うと弊害があるけれど、面と向かって率直に、英語を話せなくてよいのか?問題を興味深げに深く突っ込んであげよう♪
いつまでも排除されて黙ってないからね。日本人は都合が悪くなると被害者ぶりこがお得意パターンだけれど、この件では、常々排除される側の私が被害者。「みんな」側の方々が加害者だ。
少し前にも新年で友人と飲んでいて、だいたい私の友人は日本でも欧州系外国人か相当の海外滞在歴ある日本人かで、その友人も後者で、2025年のnew year resolutionとして、「私は今までは、日本語モードと英語モードを使い分けていて、英語モードなら言うけれど、日本語モードでは言わない事が多くあった。今年は、日本語でも英語モードなら言う事を言ってやろうと思う。特に、反対意見やネガティブ意見を、ぼかさずに根拠を付けてはっきりと。」と宣言をしてきたところ。
なぜこう決めたかというと、
この問題だらけの社会で、NOと言わなければ、それは支持しているのと同じ事になるから。
良くも悪くも変化を作るアメリカのトランプアゲインなど見ていると、私も多少は闇を蹴散らして、わずかでも前進する日本を見たくなった。