アイドルと日々(いくつかのセイギ)
肌の色だけでは分からない国籍、住んでいる国だけでは分からない、信じている思想や宗教。男、女、そのどちらでもない人、の3つでは分けられないたくさんの性別と趣向。多種多様なこの世の中で、マイノリティであるということはどういうことだろう?偏見や差別もなく互いに認め合い、共存しあえる生きやすい社会への扉は開き始めているのだろうか?
トイレの近くにエロ本のないコンビニに、急いで飛び乗った女性専用車両におどろいて、そそくさと別の車両へと移動するおじさん。
心ない言葉を浴びることのない、配慮の行き届いた社会……。
誰かを傷つけないように、あまりにも敏感になりすぎる社会は、時々息苦しい。
だけど、見た目では分からない、その人の性質や大切にしているものが、これだけ多様化していることが認知され始めた社会の中、公衆の面前でいつまでも古い考えをたらたらと大きな声で垂れ流し続ける人を見るのは不愉快だ。
私だって、知らない間に誰かを傷つけていることがあるだろう。私には嫌いな人がたくさんいるし口も悪い。だけどわざわざ面と向かって、あるいは気づかれるようにわざと大きな声で誰かを批判したりするのは好きではない。
私には私の価値観があるように、私の嫌いな誰かには、その人なりの信じている価値観があるからだ。どちらが正しくて、どちらが愚かかなんて誰にも決めることはできない。分かり合うことは出来なくても、理解しようと歩み寄ることは出来る。
歩み寄るのもバカらしいなら、それぞれ違う世界で好き勝手にすればいい。
なのにどうして、この世界には放っておいてくれない人がいるのだろう。
この世界には、誰かを批判し、自分よりも劣っているところを賢く見つけ、見下すことでしか自分の価値を確かめることが出来ない、悲しい人たちがいる。そしてそういう人たちに対して、自分はそうではないのだと、マイノリティに理解があるようなフリをしてまるで高みにいるかのように批判するのなら、それもまた同じことだ。どちらが上にいるのかを比べ、批判し、自分と主義主張の違う誰かを陥れたり傷つけようとする人たちは、なんて悲しいのだろう。
〇〇Tシャツを着てチャラチャラしていたバカなアイドル。
私の中でとっくの昔に終わった話なのに、時間と共に風化され、誰も思い出さなくなるはずのその話題の矢は、忘れた頃に、思いがけないところから飛んでくる。
何にも知らないくせに。古くなった時事ネタを引っ張り出して、この国への愛でも語っていたつもりだったのだろうか。
どんなツラを下げたら一人の人間のすべてを安易に批判することが出来るのだろう。
…誰が悪かったのだろう?あんなTシャツを作ったデザイナーだろうか。プレゼントしたファンだろうか。国の教育?お互いの国の歴史?
真相はどうであれ、知らなくて着ていたとしても、知らなかったこと自体が罪なのか?
そうだ。無知でいることは時々罪になる。
知らないということは、時々とても人を傷つける。誰かにとって、差別的なものなのだと知らなかった言動は、時々とても残酷だ。
無知でいることが罪ならば、一人の青年が、どんなに優しくてどれだけの人の力になっているのかを知らずに批判する無知も、また罪ではないのか。
自分の大切にしているものを批判された時、私はすぐに苛立つ。
私はその時、きっと分かったような言葉を並べて、必要ならば、相手がよく分からなくなるような難しい言葉をわざと取り出して、論破することが出来るだろう。
だけどそうしたところで、何の意味もない。
例えば幼い頃、友達とひどい替え歌を歌って遊んだことがおもしろく、母親にその楽しさを伝えたかっただけなのに、その酷さを延々と諭されたことはないだろうか?そんな言葉を使うべきではない。何が面白いのか分からない。誰に教わったのか……。なぜいけないことなのか、どうしてそれが楽しかったのか、そんな気持ちは置き去りのまま、私たちは、先に、正しさを身につけていく。
本当に話したかったのはその歌の内容ではなく、友達と楽しく過ごした時間のことだったとしても、本当の気持ちは分かってもらえないまま、私たちは正しさと同時に、世の中の苦さや自分と世間とのズレを学んでいくのかもしれない。
正しいとは何だろう。10人いれば10通りの正義がある。
それぞれの正義を押し付けあったところで、心を通わせることは出来ない。お母さんに楽しかった1日の出来事を伝えたかっただけの子どもの心のように、どこかに置き去りにされるだけだ。
私にとって、何が正しいかは問題ではない。
何が正しくて間違っているかなんて、私には難しくて分からないことだらけだ。
ただ一つ、大切な誰かが脅かされない世界であったらいい。大好きな人たちが傷つかない世界だったらいい。
ジミンくんはVliveで「人生は楽しく生きなきゃいけませんよ、みなさん」と言って、あのずるい笑い方で微笑んでいた。
「みなさんもしたいことをしながら、幸せに暮らして欲しいです」
そんな言葉をかけてくれる正直な男の子にとって、この世界が優しいものであったらと思う。
ジミンくんのことはちっとも分からない。大好きなゆんぎの心の動きは手に取るように分かるようでいて、本当のところは全然分からない。だけど、私が一生観ることはなさそうな映画を好きだと言っていても、よく分からない本を読んでいても、私には理解不能なその違いが、とてもとてもおもしろい。
違うことをおもしろがれる人になりたい。
分かり合えなくても、自分と違う別の誰かが、幸せに暮らせる今日を想像できる人でありたい。くだらないと見下されても、きれいごとだと笑われても、それが私の“正しさ”だから。
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