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わたしのすきなひと 4(ゆんぎ編)


28歳の君へ

君が読んだという本に登場した“カルピス”の味を、君は知っているのだろうか?
君の住む国のコンビニでも買えるそれではなくて、氷を入れたグラスに原液を注いで、濃かったり、時にはあやまって薄くなりすぎてしまったり定まらない味の、甘ったるく喉元に残るあの感触と、蒸し暑い夏の日に溶けていく氷と分離していくあの半透明な液体が匂わせる、当たり前のように満ち足りた幼い頃の幸福感を、君はその文字の中から感じ取ることはできただろうか?
私たちはお互いの知っているその味を確かめることさえできない。

毎日毎日一日のうちの大半の時間 君のことを思い出しているというのに、私には何一つ君の考えていることは分からない。
評論家たちは語るだろう。新しいミックステープにはこのような壮大な意味があるのだと。君がそこに仕掛けたという罠にまんまとハマった人たちは何にも関心がないというのは拘っているからこそなのだと、知ったように語るだろう。問題のあったサンプリング音源について、一つ一つ丁寧にこだわり抜くSUGAが知らずに入れた訳がない。ラッパーだと大口を叩いていたのに所詮は事務所に守ってもらうアイドルでしかなかったアイツはかっこ悪いと。知らないということは毒だと言う。これ以上好きになれないくらい、君のことを毎日大好きでいる私にさえ分からない君を、彼らはとてもとてもよく知っているみたいだ。


28歳の君は今、自分の思い描いていた大人になれたんだろうか?
君のくれた音楽の中には、これが夢見ていた今なんだろうか?という迷いと増えすぎた重たすぎる荷物に自由になりたいという葛藤が見えた気がした。それは誰かに何か大きなことを伝えたくて創りあげたというより、今の君がとても素直に綴られた長くて短い日記のような気がした。
Vlive中にある曲を流したら一人のファンが「どうしてそんなに憂鬱なの?」と言った。きっと曲の内容のことを尋ねたであろうその問いにゆんぎは「僕は今すごく…、すごく良い気分だけど?」と答えた。時々そんな風に質問に対してちょっとずれた答えをするのはたまに見せる意外な“抜けている”可愛さの一つなのだろうか?それとも時々ずる賢くて嘘つきな君の戦略なのだろうか?
「People」という曲の中に、ちょうどその問いのような歌詞がある。
“Why so serious?”という問いに“I’m so serious?”と考える。
どうしてそんなに憂鬱なの?と他人に自分の感情や様子を決められた時、どうしてそう思われたんだろう?と疑問に思うことがきっと君にはよくあって、君の言葉は強くてとても素敵だから、何か大きな意味に捉えられてしまうけど、きっと本当の気持ちはそこに綴られた言葉以上でも以下でもないのではないかと思う。
幸せで楽しい気分だけど、ただ悲しい曲を聴きたくて聴いていただけで、この人は今とても悲しいんだと勘違いをされるように、自分の知らないところで勝手に自分の感情を予測されるということは私にとってはとてもとても怖ろしいことだから、君が言葉にしない事柄までも誰かが予測して、まるで事実のように語られる世界の中で、どうか傷つくことがなければ良いと願うだけだ。

28歳の頃、君を見つける少し前の私はとてもとても焦っていたように思う。
社会に出る前に思い描いていた28歳の自分とはあまりにもかけ離れていて、ちっとも大人になんかなれなくて、多くの友人は家族を持っていくのに、たった一つの愛さえ見つけることができなくて、これでよかったんだろうかとかこのままでいいのだろうかとか、そんなことを考えていた。28歳って多分、多くの人にとってそんな歳なのだと思う。
だけどいつの間にかそんなことを考えなくなった。忙しい毎日に追われるように過ごしているうちに私の心は変わったのだろう。私も少し大人になったし、君に出会って私の世界は変わったのだ。
変化は必然だと君は言う。
みんなが変わったように、僕も変わると君は歌う。
だからもし、今も不安や恐怖を抱えていたとしても、君がいつか言っていたみたいに、振り返ってみるとその時は本当に大変で世界が崩れそうでも時間が経てばまた笑いながら思い出すことができる日が来るだろう。


そしてまた一つずつ歳を重ねていく君が、これからどんな人になっていったとしても、どんなに変わっていっても私はきっともう君を嫌いにはなれない。

私たちのタイムリミットは後どれぐらいだろう。
必ずやり過ごさなければいけないしばしの別れさえ、きっと君の大好きなテクノロジーの恩恵を受けて、寂しさなんて感じないまま、あっという間に2年弱の季節はすぎていくのかもしれないし、そうだったら良いなと思うけど、私にとって君のいる毎日はあまりにも日常になってしまったように思う。
君はもう、私にとっての日常だ。
永遠ではないものに美しさやトキメキを見出すにはもう、私の感情はあまりにも習慣になり過ぎてしまったのだと思う。映画や漫画の世界のヒーローのように君たちを飾り立てる人たちは美しい終わりを望むだろう。だけどずっとずっと出来るだけ長く一緒にいれたらいいと、遠い未来の話をしてくれる君の心の中もまた、私たちのあやふやで不思議な絆が手放しがたい習慣になってしまっているのではないだろうか…。
だからもう、誰かの批評などどうでもいいのだ。
何か間違ったことをしたとしても、その責任の取り方をかっこ悪いと言われようと、どうぞ勝手にそう思っていてくれと思うだけだ。
出来るなら、誰も傷つけないで生きていたいけど、君を想う気持ちの前には何が正しくて何が間違っているかという議論など、風に吹かれたら飛んでいってしまう塵のように頼りない。かっこ悪くていいから逃げてほしい。傷つかないで、ただ一日でも何も心配なく、ただ一日でも何も恐れることなく平穏に過ごしていて欲しい。

最近読んだ本の話を聞かせてくれた時、「音楽を作って世に出すことが僕にとっての慰めになるし、だから僕はこれをやってからすごく心が楽になってすごく良いんです」という話をしてくれた。
誰かが君に「いてくれてありがとう」と言った。それはこの世界中のたくさんの人たちが思っていることだ。「聴いてくれる皆さんがいて僕の方こそありがたいです」と答えたその言葉に私はとても温かなものを感じた。音楽を作って世に出すことが慰めなら、ただ受けとるだけの私たちも君の慰めになれているのだから。



最近の君はとても忙しそうだ。
ラップだけしてたらいいと言われたのに厳しいダンスの練習に、話が違うと冗談交じりに文句を言っていた人が、一度ボーカルレッスンを受けたという。そして先生の言いつけを守っていろんな歌をたくさん練習していると話していた。
ミックステープのMVの為にダイエットも頑張って、たったの2、3週間で8キロも痩せたという。絵を描かれていたお母さんに少しやり方を習って、自分は描いた事がないのにとても大きなキャンバスに初心者とは思えないすてきな絵をコツコツと描いては、その姿を見せてくれる。
私は某女性グループのようだと自ら言っていた細い脚や華奢な肩や猫背気味な君のフォルムが大好きなのに、ここ数年筋トレに励んでいる君のダンスは、そのシルエットや所作がとてもとても洗練されてかっこよくなった。
見るたびに痛々しかった親指も私にとっては君のチャームポイントだったのに、爪を噛むくせが治ったのだと嬉しそうに、きれいな白くて長い指と対照的に丸くてかわいいギザギザの消えた爪を見せてくれた。
私はそれを喜んであげたらいいのに、嬉しいようなさみしいような、なんだかとても泣きたい気持ちでそれを見ていた。


人は変わる。
どんな風に変わっていくのかが重要だという自分の書いた詩を気に入っていると言っていたけど、君は毎日毎日私や世界中の人たちを恋に落としてしまうほど素敵さを更新している。
もう爪を噛まない君は、私たちの隣や後ろを一緒に歩いて行きたいと言う。
君はいつでも私のずっと前を走っていて、私はいつもその大きな背中に憧れるのに、君はそんな夢を語る。
私たちはお互いのことをよく知らない。決してつながることのない別々の島で彼は彼の人生を、私は私の人生を生きている。
なのにどうしてだろう。私が欲しくて、自分で見つけられなかった言葉をとても絶妙なタイミングでくれるのは、どういう仕組みなのだろう。
君が知らずに投げた言葉は、君の言う、ぽんぽんと疲れた心を慰めてくれる優しい雨のように、私の迷う心に沁みこんで、再び日々を彩る。そんな時、ずっと先を走っているはずの君はたしかに、私たちの隣や後ろからついてきてくれているのかもしれない。それは言葉では説明のつかないとても不思議な魔法みたいだ。



君は私にとって日常だ。
これまでかけた時間だけ特別になってしまった、そこにいることがあまりにもあたりまえのこの世でたった一つの私の星だ。
あなたが読んでくれた物語の中の、星の王子さまとキツネのように、私たちは毎日絆を結んでいく。


私たち、きっと明日も会いましょう?
時にはくっついたり、離れたりもするかもしれないけど、
ずっとずっと一緒に遊びましょう?
約束の時間が近づくとわくわくドキドキしてとても幸せな気持ちになれるから。

いつも幸せをくれる君へ
お疲れさま、今日も



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