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わたしのすきなひと 2(ゆんぎ編)


2019年、恋に落ちて3度目の春が来る。

一瞬で心を奪い去っていくほどのパワーを持った、誰にも似ていない唯一無二のRapも、細い身体で背中を丸めて空を仰ぐかっこいい仕草も、よく喋り、言いがかりをつけたり、ズルをして勝負に勝とうとするいじわるな姿も、愛おしいその姿は、ぜんぶぜんぶ、色褪せることなく私の頭の中に今でも残っている。

歯に衣着せぬ物言いや無愛想な態度が目につくそのキャラクターは、一人でもまっすぐに歩いていける人だけが持つ、芯の強さがあって、いつでも迷い戸惑うことなく、自分の夢を実現するために走り続けるその姿はとてもとても光り輝いていて眩しかった。

俺のファンたち 堂々と顔を上げろ
誰が俺ほどやれんだよ

(August D『The Last』より)


その重く強い言葉には、とても説得力があって、どこまでも引っ張っていってくれそうで、ただただキラキラと眩しく輝いていた。


彼は2019年、3月9日。日本の年齢で26歳になる。
まだ26歳の青年だ。
ほんの3年前、彼の夢は、年末に香港で開催されるMAMAで大賞を獲ることで、東京ドームに立つことで、そんな夢に向かってがむしゃらに走っている男の子は、とてもとても眩しかった。

予想以上に早いスピードで、その夢は叶った。大きな夢が叶ったら、もっと大きな夢を口にした。口にした通りに、まるで魔法みたいに、米ビルボード・アルバム・チャートでBTSのアルバムは1位に輝き、AMAやBBMAのステージでパフォーマンスをすることも出来た。13歳の時はじめてMIDIを覚えたばかりのミン・ユンギ少年が予想もしなかったであろう、夢のような出来事だ。

まっすぐに追いかけてきた夢を追い越した日々の中で、私の目に映る眩しかったその人は、とても不安そうな顔をしているように見えた。
私たちファンは、少し時間が経ってやっと、本人の口から怖くて不安だったのだという話を聞くことができた。高く高く飛んでしまったら、落ちていく時もあっという間なのだと、インタビューで話していた。
AMAのステージに立つ日、メンバーに緊張するなんて珍しいと言われながら、とても緊張しているのだと笑っていた彼の親指は、不安を和らげるためなのか爪を噛んだ跡が傷になっていて、とても痛々しかった。
彼はその華やかなステージで世界中のARMYたちを魅了した日、ステージを終えてシャワーを浴びながら、怖くて泣いたのだそうだ。


とても強い人だと思っていたけれど、今でも変わらず、とても強い人だと思っているけれど、知れば知るほどに、大好きなその人は、繊細で感受性豊かでとても優しく、かわいい人だ。

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ゆんぎはかわいい。
2月16日、福岡でのLive後、一人でやったVliveでインターフォンがなった時のことだ。「テヒョンだろ?」「どうせメンバーだから出ません」と無視しようとしていたけれど、インターフォンが鳴った瞬間から口の端がきゅっと上がってとても嬉しそうだったのを私は見逃さなかった。扉を開けて登場したのはナムくんだったのだけれど、パンツを忘れたのか、買ってきてもらった品物が合ってるのかどうか、目も合わせずしきりに話しだしたゆんぎは、恥ずかしがってベラベラと屁理屈を捏ね、ありがとうが言えない少年のようで、とてもとてもかわいかった。

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『BonVoyage S3』でテヒョンにテレビ電話をした時の“愛してるの”言い方を覚えているだろうか?メンバーに誕生日プレゼントを渡す時もそうだ。部屋に投げ入れられたことがあるとメンバーたちが面白おかしく話していたけれど、うれしい時や恥ずかしい時にはあえてそっけない態度をとってしまうのかもしれない。でも、ナムくんがこのヒョンほど分かりやすい人はいませんと話していたように、よく見ていれば、とてもとても素直で分かりやすい人なのではないだろうかと思っている。


『Burn the stage』でドーム公演が決まったという知らせを聞いた瞬間も、とてもとてもかわいかった。うれしい時や恥ずかしい時にはそっけない態度をとるのかも…と言ったばかりだけど、この時は、とてもとても素直に両手をわっと上にあげて、ガッツポーズをしていたのだ。初めて観た時、別の人と見間違えたのかと思ったけれど、そこにいたのは紛れもなく大好きなゆんぎだった。

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“ツンデレ”という言葉のお手本のような人だけど、時々しおらしく、ぽつりぽつりと語り出す胸の内は、とても素直でかわいい。
仕事をやりたくない時もあるけど、ARMYの皆さんを思うとやり遂げられると話したり、Burn the stageの中で、作曲する時は飲まないんだけど…と言いつつワインを飲みまくって「本っ当に大変です」とぼやきながら顔を真っ赤にしている彼は、ステージの上にいる毅然としてかっこいい彼とはまた違う魅力でいっぱいに溢れている。


そしてやりたくない時も逃げたくなる時もあるのだと素直な胸のうちを話したかと思えば、GENIUS LAB(ゆんぎの作業室)でジョングクと話していた時にはこんな事を言っていた。

「これが自分の道なのかと迷う時は、
これは本当に自分がやりたい事なのか?と考えればいい。」
商業目的のポップスをやっていく上で、自分のやりたい音楽をさせてもらえるということはありえない事であり、自分のやりたい音楽をさせてもらえる、今の自分たちの環境はとても幸せなことなのだと。
そして、「一生懸命やれよ。俺たちみたいな人間は一生懸命やるしかない。
天才じゃないから一生懸命にやらないと…」と言って笑っていた。BTSの2番目のお兄ちゃんはとてもとても大人に見えた。

アメリカンハッスルライフのBehindでグクがタトゥーを入れたいとカメラの前で話していた時、「たくさんのファンの皆さんが悲しんでるよ」と優しく話すゆんぎも、とてもとてもお兄ちゃんだった。

ゆんぎはこの頃からタトゥーを入れないと話していた。考え方がはっきりしているところは彼の魅力の一つだ。
いつか慈善事業をやりたいと話していた彼は、その時タトゥーがあることで良くない印象を与えるかもしれない可能性を考え、しないという選択をしたのだと言う。
ただがむしゃらに走って来ただけではなく、大きな夢の先の自分を俯瞰して見ることの出来る器があるのだ。


音楽がやりたくてHipHopが好きで作曲家のオーディションを受けるために大邱からソウルへやってきた彼は、アイドルになった事を後悔してはいないのだろう。アイドルだろうとミュージシャンであろうとやりたいのは音楽だからだと言う。
そしてアイドルになった彼は、ファンをとても大切にしてくれる。
少し太って輪郭が丸くなった頃も、見た目を良くしなきゃいけないからダイエットしなきゃと何度も何度も言い聞かせるように話していたし、2018年のFESTAの新聞でトイレのドアを開けたまま、セルカを撮っていた事をバラされていたけれど、暇さえあれば、私たちへ見せる為のセルカを撮ろうとしてくれているのだ。

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このセルカがそうなのかどうか、定かではないけれど、壁の柄が限りなくトイレのそれだ。どこで写真を撮ったのだろうと不思議だったけど、人に見られたら少し恥ずかしいセルカを撮る瞬間に、ドアを開けたまましている無防備さが本当に本当にかわいい。
7人の中でいちばん口数が少なくきっちりとしていて一見気難しそうに見えるシュガヒョンは、実は食器も片付けないし、メイク落としのコットンもそのまま置きっ放しにするし、被っているニット帽をへこまされても気にしない。クローゼットにズボンを突っ込んで、ジョングクに怒られたりもするし、先のVliveでも遠征にパンツを忘れて来たようだった。このゆるさもたまらなくかわいい。
昔のエピソードなので今でもそうなのかはわからないけれど、ファンに私服を見られる仕事の前日には、宿舎で一人フィッティングをしているのだそうだ。鏡の前でサングラスをかけ自分の姿を見ているらしい。“いつでもおしゃれなシュガヒョン”の姿は、アイドルとして、大切なファンにきれいな姿を見せようと努力してくれた成果なのかもしれない。

そして自分の誕生日にファンにお菓子を詰めた袋と手書きのメッセージや、ポストカードを送ったというエピソードはあまりにも有名だ。
弟たちに手伝ってもらいながら、淡々と静かに一枚一枚別の言葉を書く彼の姿は本当に心があたたかくなる。

オーバーに言葉に抑揚をつけたり表情がくるくる変わるタイプではないから、分からない人は分からないまま、その優しさを見過ごし、通りすぎてしまう。


ちょうどこの動画の少し後の事だろうか?チョッパン村を訪ねた時、そこで暮らすおばあさんと話していたゆんぎの眼差しは、本当に、とてもとても優しかった。

チョッパンという狭い住居の集まった地域で暮らすおばあさんには、おそらく一緒に暮らす家族がいない。ゆんぎは甥っ子に似ていると握られた手をずっとおばあさんに委ねてた。恥ずかしい時、うれしい時、つっけんどんな態度をとるはずのゆんぎは、涙を溜めたおばあさんの話に優しく相槌をうち、そっとハグをした。おばあさんの背丈に屈んでハグした彼の所作は、見ているだけで温かい気持ちになる。大げさなリアクションも、絵に描いたような素敵なセリフなんてなくても、ミン・ユンギという青年の優しさは、このたった数秒で分かるだろう。
きれいごとも嘘もなく、飾らないその優しさとそれを取り出す場所の正しさには、まだ二十歳そこらだった彼の度量の深さを感じる。


かたや年末の歌謡祭というARMY以外のたくさんの人の目に触れる場面で、口パク疑惑を一蹴するかのように自分のパートで黙るというパフォーマンスをしてみたりめちゃくちゃSwagなdisを披露してくれたりもする。どちらかというとこちらが天才SUGAの表の顔だろう。
ゆんぎの書いた曲にはよく昔の自分の話が織り込まれているけれど(それがHipHopのスタイルだ)『NEVER MIND』という曲で繰り返される、“ぶつかりそうなら強く踏みしめろ この野郎”という詩が大好きだ。



ゆんぎがラップの魅力に触れ、自分も音楽をやっていこうと思ったきっかけになった曲がある。Epik Highの「FLY」という曲だそうだ。2013年3月5日のLogによるとナムくんも同じ曲を聴いてラップをするようになったのだと話していた。
そして26歳になった2019年、小学校6年生のゆんぎ少年が憧れていたEpik Highのアルバムに、SUGAというもう一つの名前を列ねることになった。
高尺やドームツアーを周り、ビルボードの舞台に立ち、スタジアムツアーを控えた世界のBTSのメンバーである彼にとって、思いがけなかったであろうこの夢の実現はどんなものだったのだろう。不安になるほどに、予想よりもずっとずっと高く飛ぶことになった今、音楽へと導いてくれた人と肩を並べて曲をプロデュースするということは、とてもとてもうれしい出来事だったのではないだろうか。



ゆんぎはまっすぐに夢を叶えていく。
強くしなやかな細い脚で地面を踏みしめて駆けていくように。

“I don`t give a shit   I don`t give a fuck”と、自分を強く見せていただけだったのかもしれない少年は、少し素直になって、そのかわいらしい弱点を見せながら、これからも大きな野望を叶えていくのだろう。


アンチの声なんて気にも留めず毅然と振る舞う一方で、360度のステージのコンサートに緊張したりしながら、これからもきっと最高のすてきな男性になっていくのだろう。

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3度目の春が過ぎて、この恋がいつか冷めても、
私にとって、この世界の別の誰かにとって、彼は宇宙で一番かっこいい人であり続けるだろう。

出来ることなら、4度目の春も6度目の春もずっと、変わらない気持ちで、笑って世界中に祝福されるその人を見ていたい。
2013年のあの頃みたいに、生まれてきてくれてありがとうと言われる度に、そっけなく照れ笑いを浮かべる表情を眺めていたい。

私たちがきっと、さみしかった時、必要としていた時に現れた、
彼は人生の片隅のひとかけらで、心の友達で、時には家族で、私にとっての春で、時には冬で、幸せで、子守唄で、始まりと終わりを共にしたいと願う、どこにも代わりのいないたった一人のヒーローだ。
私にとってのwonderであり、それについてのanswer。
そして、宇宙で一番かわいいTearだ。


Happy Birthday!!
宇宙で一番大好きな、わたしのすきなひと。






※おわりに
最後まで読んでくださりありがとうございます。
このnoteは人物の考察ではありません。だれかの中の“好き”という気持ちがいっぱいになりますように。

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