アイドルと日々(魔法にかけられて)
ぞうのかたち、あれはソフトクリーム、あっちはキリン…
雲の形が何かに見えていた頃それは私だけの秘密ではなかった。
目の前にある景色の美しさを「みてみて!」と、隣にいるだれかに伝えなくなったのはいつからだろう?
ふともう会わなくなった人と、夏の夜、川縁に寝転がって瞬く星を見たことを思い出した。映画や小説のようなすてきなエピソードは一つもなく、お互いの困った日常の焦燥感や、とても書けないようなエロい話で盛り上がっただけだけど、ぼんやりとした記憶の中で、その夜の星の美しさだけはとても覚えている。
その時どこへ向かっていたのか、どんな話をしていたのか、思い出はいつか消えてしまうけど、美しい風景はずっとずっと記憶の引き出しの中に眠り続けているのではないかと思う。きれいなものを見つけた時、それを教えてあげたいと思う人がいることはとても幸せなことだ。
そしてそんな風に思われることも、とてもとても特別なことだ。
その日、空に月のかたちをした雲があった。
日本で初めてBTSがスタジアムに立った日、ナムくんが教えてくれたその雲は私の席からは見えなかったけど、カメラマンの人が機転を利かせてスクリーンに映し出してくれた雲は、確かに月のかたちをしていた。
翌日のライブで、ててくんはアンパンマンの雲を見つけた。
風に流れ、形を変えていく雲に何かを見つけることがこんなにもすてきで特別なことなのだと、私はその時、生まれて初めて気づいた。
そしてそのきれいなものを教えたいという思いの矢印は私たちに向けられた。
これまで見逃していた些細で大きな幸せがそこにはあった。
ててくんは七夕の日、“ARMYとずっと一緒にいられますように”…と祈っていたそうだ。
“ずっと”とはどれくらいの時間だろう?
ずっとずっと、本当に一緒にいてくれるのだろうか?私はずっと、今と同じ気持ちで7人の大切な男の子たちを好きでいられるのだろうか?
数ヶ月ぶりに目の前にしたその人は、なんだかとてもかわいらしかった。
彼の声を浴びると心臓の裏のあたりがくすぐったくてドキドキするのに、いつものその感覚を正直あまり感じなかった。
そのかわりにあふれた気持ちをどんな風に言葉にしたらいいのか分からない。彼が笑っていたり走り回っているのがとてもかわいい。
一年前の春、ゆんぎの纏う雰囲気が変わったように感じたことを思い出す。デビューした頃に持っていた、いつでも何かと闘っているような、命を削って絞り出しているような、張り詰めた孤高の光は今はもうなくなってしまったのかもしれないと思っていたけれど、少し丸くなったみたいに飾り気なく、楽しそうに笑いオーディエンスを煽り、ステージで舞い踊るその姿は、いつもと変わらず私の胸の内をあたたかな気持ちでいっぱいにしてくれた。
長いツアーにたまった疲労を抱えているのは重々承知だけれど、大好きな人が楽しそうにしていたら、それだけで充分だ。
“ずっとずっと一緒にいられますように”
本当は、願いたいことは山ほどあるけど、この幸福をくれた彼らに見せる短冊ならば、私はこんなリップサービスをしたい。
「月がキレイですね。」
夏目漱石は「I LOVE YOU」という言葉をそんな風に訳したそうだ。
リップサービスといえば、ててくんは私たちARMYにその言葉くれる。
雲の月を見て「くもがキレイですね」と言ったあと、「おっ!」とあまりにも無邪気な声で、月があります!と教えてくれた。
そしてコンサートが終わったらアミのみんなも月をみて下さいね。とかわいく話していた。
ドライな私はすっかり忘れていたけれど、コンサートの帰り道、スタジアムの外で携帯のカメラを夜空に向けている女の子を見て、ててくんとの約束を思い出した。
空にはあの雲の月と同じような三日月があって、いつかホソクくんが言っていたみたいに、三日月の出ている夜空は小さく笑っているみたいに見えた。
「I LOVE YOU」という言葉を、夏目漱石はどうして“愛してる”と訳さなかったのだろう。
きれいなものを見た時、“大切な誰かに教えてあげたい”という想いの中にあふれる愛は、きっと“愛してる”という言葉では伝えきれない。
ミスターとしでんせつのうけうりだけど、私たちの民族は、ひらがなやカタカナ、漢字を覚え、巧みに使い分ける特殊能力を持っている。
文字と文字や言葉と言葉の行間を読み、言葉にしない相手の気持ちを察することもできる。
どこの国にも翻訳できない言葉があるように、“愛してる”では収まりきらないあふれる想いを、私たちは「月がキレイですね。」という言葉だけで感じとることができる。
私たちはその特殊能力を用いて、雲の形を見て、同じ月を見て、静かに深く想い合うことができる。
忙しいスケジュールの中一生懸命おぼえてくれた言葉たちの美しさを、私はまた、彼らを通して知ったのだと思った。
目の前の他人の気持ちを、感じすぎてしまうほどに読み取り気を配る毎日に疲弊して、必死に使いこなしているこの能力は、実はとてもすてきなものなのかもしれない…。この国に生まれ、この国で生活をする私たちだけが感じることのできる情緒は、時に言葉を超えて心と心を繋いでくれる。
かたちを変えていく雲の姿も、蒸し暑い夏の匂いも、真っ暗な空に浮かぶ三日月も、ここにしかない、とてもとてもかけがえのない風景だ。
夢のような時間が終われば、またつまらない毎日が始まる。
だけど夢のような時間が終わっても、記憶の中にあるトキメキは消えない。
出勤中ふと思い出してはニヤけそうになる口をきゅっと結んで、誰にも悟られないように大人のふりをする。
“心に魔法があるの”
大好きな歌のように、消えないトキメキは魔法みたいにここに残っている。
その歌の映画のヒロインが、大好きな人とただいつまでも一緒にいたくてそうしたように、彼らが投げたボールを、まだもう少し追いかけ続けるだろう。
彼らが投げた、口にすると恥ずかしくなるようななぞなぞの答えを、私は私の特殊能力をもって。
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