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わたしのすきなひと 6 (ゆんぎ編)



ミンユンギ(30)

この字面だけで溜息が出てくる。
正確にはまだ29歳だけど韓国では、ついに30歳になってしまった。
「ミンユンギ・35歳」はもっと最高な気がするし、「ミンユンギ・42歳」という響きは素敵すぎて涙が出てくる。

当の本人は配信中ファンに歳を取っても若く見えるといわれ「まだ歳は取ってないです」と答えていた。
彼にとって30歳はまだ若くて“何だって出来る年齢”だそうだ。
ゆんぎの基準は柔軟で新しく、誰かが決めた古い習慣の中にはなくて、そういうところがとても素敵だと思う。



1  理想の彼



BTSのSUGAは最近プロデュース業に忙しそうだ。
自分のカラーを全面に押し出していくのではなくてコラボ相手に合わせて音楽を彩る。すごい。

仕事ができてピアノも弾ける。
インテリアにも詳しくて色々な雑学を知っていて、料理もできて、バスケも上手で、絵も描けて、ギターも弾けて、、
時間にルーズだったり何かちょっとした約束を守れなかったメンバーにもとても寛容だ。
夜中にウイスキーを飲んでいたら本を読んでいた手をわざわざ止めて、冷蔵庫にあるものでカナッペをササっと作って振る舞ってくれるしオーブンで2時間もかけて大きなサムギョプサルを焼いてくれたりもするし、ゆんぎ考案の、コーヒーをコーラとレモネードで割った飲み物を飲んだときにはその洗練された味に舌から恋に落とされた気がした。
服のセンスも良くて香水はお腹にも振りかけるタイプの“正しい付け方”をなぜか知っていてお洒落な男の人なのに、ダサい遊びも全力ではしゃぐし、下手な脚玉もがんばるし、細かいところが抜けていたりもして、控えめにいって理想の男性の最大級だ。

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2  AgustD



私が好きになった頃の彼は、番組やコンテンツでは人一倍とてもよくがんばっていてこれから絶対に売れてやるんだ!!!と言わんばかりの気合いを感じるオーラを放っていた。
どこか尖っていていつもとても面白くて毒舌で、頭の回転が早くて、相手にブサイクだと毒づいた直後には自分も同じチームだとおどけて見せたりして、鋭い言葉を放っても人を不愉快にさせないラインをよく知っていて、それは実は彼が持っている人懐っこさの為せる技なのではないかと思っていた。
ひとたびスイッチがオフになると、メンバーだけの空間ではすごく話しかけ辛そうなオーラを全身から放っていたりもして、これは勝手なイメージだけど、強がりで素直じゃなくて不器用でマイペースな、とてもかわいい人だった。


誰かの心や人となりを他人が理解出来ることなんて一生ないのだけれど、1stミックステープを聴けば当時の彼の心の中をほんの少し覗くことが出来る。
そこにはどんな向かい風にも負けず必死に踏ん張って傷だらけになりながらもがむしゃらに走り抜けてきた一人の少年の物語が詰め込まれている。
冒頭から最後の曲の前まで夢を追い続けた少年のサクセスストーリーのような構成のアルバムで、最後に突然“夢を持たない”人の心情が綴られる曲が登場することに彼の優しさを見た気がしていた。



3  賢者の後悔



この世界は自由だろうか?不自由だろうか?
さまざまな選択肢を用意され、人は何にでもなれるしどこにでも行けるのだと世の中は語る。
そして何者かになる為に無数の選択肢の中から最善を尽くし必死で頑張ることが“良いこと”とされてきた。
そのレールに乗れない者は自分に甘く、努力が足りないのだから仕方がないとされ、それはそうだと、大抵はそういうものなのだと、私はまだ思っている。
それが正しいことなのかは分からない。
ただ、頑張ることを強要する世界は果たして正しいのだろうか?
自己責任という言葉を突きつけながら選択を迫る世の中に息ができない思いをしている人がこの世界にどれほどいるのだろうか?と考えている。


そして思い出すのは“夢がなくてもいい”と言った、私の大好きな人の言葉だ。
ゆんぎの作った『사람』という歌の中に繰り返される“뭐 어때”という言葉は日本語で“まぁいいか”というようなニュアンスを持っている。

時にはまた苦しむとしても
たまに落ち込んで涙を流すとしても
まぁいいじゃないか
そんな風に生きたらいいじゃないか(『사람』より)

こんな歌を歌うとても優しい人の心の中に思いを馳せる。
彼がこの曲たちを作った頃はとても若かったはずなのに、今私や世界の誰かにのしかかるイシューの答えをどうして先回りして知っているんだろうと思う。どんな繊細な心でたくさん傷ついてその優しさを身につけてきたのだろう…と思う。

彼は言った。
「一生懸命やれよ。俺たちみたいな人間は一生懸命やるしかない。天才じゃないから一生懸命にやらないと…」と言って笑っていた。
ジョングクに語った“商業目的で自分たちのやりたい音楽をさせてもらえるということはとても幸せなことなのだ”という話に続いた言葉がそれだった。

そして2021年の彼は後悔していた。
「頑張るべきだとずっと話していたから、だけどそれが欲張りすぎたのかな、と思って後悔しました。」
頑張るべきだと話していたのは、先のジョングクとの会話のようなことだろうか?
そしてゆんぎの後悔にジンくんは、
「違うよ、君が積み上げたことがこんなにあるじゃん」と話していた。(『In the SOOP 』より)


いつか大きな夢を語り、誰よりもがむしゃらに頑張っていた、あのかわいい男の子はすっかり大人になった。
だけどあの頃、頑張ることが全てだったかもしれない日々の中で、自分の軌跡を刻みつけるように作ったアルバムの最後に、自分とは正反対の夢を持たない人たちの物語を美しいメロディに乗せて綴りアルバムの幕を閉じたことは、まるで現在30歳になった彼が纏っているような、とてもフラットな優しさの気配を感じるのだ。



4 一人で泣かなければいいよ



人は間違える生き物だ。
そしてそれに気づいて学んでいく人はとても素敵だと思う。
賢くて優しくて強くて、間違えることなんてなさそうに見えるゆんぎもまたそうなのだろうか?
自分が後悔したことを優しさに変えて誰かに手を差し伸べているのだろうか?


ゆんぎがいつかジョングクに
「泣いてもいいよ、一人で泣かなければいいよ」と言っていた。
インタビューの中で冗談ぽく放たれた言葉だったけど、ジョングクがLYSツアー中に体調を崩したとき、彼の異変に驚いてトイレで“ちょっと泣いた”と面白おかしく話していたゆんぎを思い出す。
初めてAMAの舞台を踏んだあとも恐ろしくてシャワーを浴びながら泣いた…という話は武勇伝なのか持ちネタのような感覚なのか、明るくたびたび話しているけれど、彼がジョングクに言った言葉通り、いつも一人ぼっちで泣いたという話をするゆんぎが、もう一人で泣くことがなければいいなと思う。
高まりすぎた人気や知名度や大きくのしかかるプレッシャーに、どうかもう怖い思いをしないでほしいと祈っている。



5  あとがきの話



6度目の3月9日がやってきた。
春がゆけばまもなく7周目の季節が訪れる。
飽き性のはずの私がこんなにも長い間こんなことを続けているのは彼らの持つ魔力のせいだと思う。
いくつもの季節を共に過ごしていく間に、彼らは世界中から愛されるスターになり、会社名も変わって、ビッヒレーベルの練習生たちは(勉強なのかプライベートなのかは分からないけれど)系列事務所の先輩のジャスティンビーバーのコンサートを観に行っている。
青い壁の家に住んでいたあの子たちはもうどこにもいなくて、隙間なくきれいに服が敷き詰められたあのパイプのハンガーラックは、もう使わないんだろう。
彼らはとても変わったし私自身も変わったのだと思う。


いつか『斜めから恋する人たちへ』というタイトルのnoteを書いた。
ありがたいことに今でも時々、どうやってたどり着くのかいいねやRTをしてくれる人に遭遇する。
こっそり見にいくと「痛いほど分かる…」というような感想を見つけるのだけど、残念なことにあの時の気持ちがもう分からないのだ。
考え方はきっと変わってはいないのだけど、小さなことで飛び跳ねるほど喜んだり落ち込んだり、誰かが作った根も歯もない噂やスキャンダルに狼狽えることはもうないような気がする。それは私の成長とも言えるし、あの“イタさ”を忘れるということは少しさみしいことでもあるのだろう。


過去のnoteを振り返ってみれば、よくもこんなに長々と毎年毎年書いたものだと自分でも驚くけれど、尽きない言葉の羅列を眺めていると、あぁ、ゆんぎのことをこんなに大好きだったんだな…と思う。


私の人生の中に彼らがいてくれて本当に良かったと思う。
ミンユンギという人を見つけたことは、私にとって最高のラッキーだ。


音楽を通して、成功の先に転落していく物語の主人公と自分の物語を重ねていた彼はもういない。
いつも果てを見ているような空気を纏っていた人が、一生BTSでいたいと言ってくれることがとても嬉しい。
いつまでも、Vliveをするたびに「元気がないの?」と謎の質問をされ「なんで?」と答えていてほしい。
一生届くスキンケアの質問をもう無視してしまえばいいのに、毎回丁寧に「何もしていない」と話す優しい君の姿がみれるといい。


30歳の君の願いが全て叶うことを祈っている。
そして35歳のミンユンギになってもねこちゃんのケーキを持て余して「甘いものは食べない」と、同じ話をずっとずっと聞かせてほしい。


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