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私の体は私だけのもので、私は私の体から逃げられないということ

たまたまコンタクトを外すのを忘れてそのまま風呂に入った日、鮮明に鏡に映る自分の丸く膨らんだ胸と横に張った骨盤、骨の輪郭の見えないふくよかな体に得体の知れないショックを受け、ふと涙が出た。

ただ痩せたいという話ではない。性同一性障害でもない。自分の体の、何キロか痩せただけではどうにもならない女性らしさに嫌気がさすような絶望するような、なんだか分からない、しかし確実なショックを覚えた。





この膨らみがなければ Tシャツ一枚で着れば



女王蜂の曲をシャッフルで聴いていた時にたまたま流れてきたこの曲。初めてこの歌い出しを聴いた時、耳を疑った。こんなにも自分の気持ちがそのまま歌われている曲があるとは思ってもみなかった。

「この膨らみがなければ」に続く言葉は浮かばない。この膨らみがあることで、何か具体的に明確に、耐えられないほど嫌なことをされたり言われたりしたことがあるわけではない。ただ、男とか女とかそんなことは何においてもどうでもいいのに、それ自体は価値にも枷にもなってはいけないのに、自分は女であるという宿命を目の当たりにして混乱した。

自分らしさってやつ パンツの中身だけじゃないはず
複雑でも特別でもなく みんな 要求にはストレート
FLATでいたいよ 心をどうか失くさないよう
羨ましさと比べ合いの いたちごっこはやめたいの




夏になり、大好きなバンドマンのステージ写真が毎日のように上がる。華奢だけど弱々しくはない上半身に、胸元が切り開かれたジャストサイズのカットソー。力強くギターをかき鳴らす為に必要な筋肉だけがついた骨ばった腕。感嘆が漏れるほどに素敵な写真たちに恍惚として見入りながら、自分は決してこうはなれないのだと絶望する。


体と心の性別がどうだとか、恋愛対象がどうだとか、それを理解してほしいとかしなくていいとか、そういった”多様性”と呼ばれるような云々は一旦置いておいて、男性の体でしか出せない魅力と女性の体でしか出せない魅力が確実にある。さっき書いたことと矛盾するかもしれない。それでもきっと、私が彼とまったく同じ身長体重になったとしても彼の再現はできないのだろうと思う。

逆も然りだ。彼が私になることもできない。別にどうしても男性に産まれたかったわけではなく、女性としての自分の体がとてつもなく好きな日もある。女性のグラビアだって大好きだ。ただ、私は女として産まれたこの体でしか生きていけないというどうにもならない窮屈さに反吐が出る時がある。




中村うさぎさんの「私という病」を読了した。自分の中のアンビバレントが決して間違いではないことや過去に感じた不快感の正体が分かって目から鱗だった。今の私が読むべき本だった。本書が発売されたのは2006年。私の抱える蟠りは、私が3歳の時に既に解明されていた。


第4章「東電OLという病」の中にこんな記述がある。

私の意志を無視し、私の許可も得ずに、私の肉体を性的対象として扱うことは許せない。(…)私の身体は私のもの。他人が許可もなく触ったり、私の意志を尊重せずに性的行為を強要していいはずがない。

目の前の女が自分の欲望を刺激するような(そして欲望を刺激された自分に自己嫌悪をもよおさせるような)存在であろうと、または逆に自分の欲望をちっとも刺激してくれない存在であろうと、その女を断罪したり罰したりする権利など、男にはない。何故なら、女の存在や肉体は、その女自身のものだからだ。

私の肉体の主人は私であり、男たちが私の肉体に触れるためには金を支払って私の許可を得なくてはならないこと、さらに、私の肉体にはそれだけの価値があることを、私は身をもって確かめたかった。

本書で語られていることはフェミニズムの領域内のものであるため男性に対する形で書かれているけど、”自分の体は自分だけのものであって他人が許可なく触ってよいものではない”という点において、性別は関係ないと考えた。これは私の実体験と結び付いたものだ。


大学に通っていた頃、野球場でお酒の売り子のアルバイトをしていた。よく晴れた夏の日、男女2人組のお客さんのもとで話しながらお酒を注いでいたところ、女性が「こんな暑いとべたべたしちゃうよね、お疲れ様」などと言いながら私の腕を軽く掴むようにしてぺたぺたと触ってきたことがある。その後、一緒にいた男性に向かって「これ貴方はやっちゃダメだよ、女子の特権」みたいなことを言ったのだ。文言はハッキリと覚えていないけど、"自分は女だから売り子の腕を急に触っても大丈夫"という旨のことを言われて、とてもびっくりした。触られたこと自体にも、その発言にもびっくりした。

わざわざ「やめてください」と拒絶するほどではなかったけど、私は触られて多少なりとも驚きと恐怖があった。「いや、貴方もダメだよ」と思った。それと同時に、私は女の子の友達と手を繋いだり腕を組んだりとにかくベタベタくっつくのが大好きなので、女性に触られて怖いと思ったことが不思議だった。この不快感は何故だ、とずっと考えていた。それが時間が経った今、解明されて感動している。あの時同性に腕を触られて嫌だと感じたのは、そこに私の意志が介入しなかったが故なのだった。


本を読んでいると、このように急に視界が開けて自分のことが分かることがある。読書は偉大である。話が逸れるのでここには書かないが、この本を読んでいる間私は目から鱗を落とし続けていた。



私の体は私だけのもので誰にも勝手に触られていい、ましてや傷つけられていいものではないのと同時に、私は死ぬまで私の体から逃げられないということ。こう分かったとは言えど、私の自意識と体の関係の絡まりは簡単には解けそうにない。




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