「男性支援」とは言わないけど「女性支援」とは言うよね?
こんにちは。
さてさて、夏なのでそろそろ新しいことを。
っていう理由ではありませんが、"note"を始めてみたいと思います。
急に始めた理由はいくつかあるのですが
私にしかできない私の経験を何か形に残しておきたい
という自己中心的な思いからです。笑
今、株式会社WellSideMeetingの代表をしています。
https://wellsidemeeting.co.jp/
通称”井戸端会議"
Well = 井戸 Side = 端 Meeting = 会議
Well = よりよく
Side = そばに
Meeting = 話し合って作り上げる
⇒あなたのそばに寄り添って良いものを一緒に作り上げる場
というかっこいい理念が一応ありますが
まあ「井戸端会議みたく雑談を面白く形にしていこうぜ」
ってそういう場所です。
井戸端会議なんてちょっとダサい、と思ったそこのあなた笑
その名前がたまらなく愛着がわきませんか?
かっこいい人生がいい
あこがれるような人生がいい
「羨望される人間になりたい」というのは究極な承認欲求の一つだと思うのですが、なにぶん人間はどこまでいってもただの人間だと思うのです。
だから地道に泥臭いことをやれるようなそんな場所にしたいし
そんな人間でありたいなと思うのです。
井戸端会議では”女性”に焦点を当てて活動をしています。
私は"女性”ですし
たぶん今後も女性として生きていきます。
男女平等と言われようがやはり"女性"のために何かをしたいと思うのが本心なのです。
ただ
「男性支援」とは言わないけど「女性支援」とは表現される”支援”の言葉の違和感も感じています。
「女性支援」とは一体なんなのか?
「女性支援」されたから女性の地位が確立するのか?
私は起業して5年経ちます。
今までベンチャーの社長や会社を上場させた方も含めて数多くの男性の方とお話をしたり仕事を共にしてきました。
色々な女性に「どうやったら若くして起業できるんですか?」「女性なのに男性と変わらずバリバリやれててすごいです!」「どうやったらそうなれるのか教えてください!」とありがたいことに相談いただきます。
これの答えはいくつかあるのですが
"支援されたからこの地位にいるわけではない"
"女性が輪の中でどう在るべきか私はひたすら考えた”
ということは言えます。
やりたい方向のための自分の考え方は合っているのか?
どう頑張ればいいのか?
何を頑張ればいいのか?
このnoteで
井戸端会議として取り組んでいることをアウトプットする場であったり
今悩んでいる女性やこれから前に踏み出したい人の力や気づきの場として
何か提供できることがあれば提供したい。
私自身もっと辛辣にいろんなことを言いたいのです。笑
ぜひ暖かく見守っていただければ幸いです。