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「夜の果てへの旅」読書感想文
著者
セリーヌ(1894~1961)
12月8日読み始め12月31日読了。
訳者
生田耕作
あらすじ
放浪せずにはいられない若者バルダミュ。アフリカやアメリカに滞在するも、結局フランスに戻ってきてしまう。細々とながらも医者として働くようになり、もはや放浪する気持ちは枯れ果ててしまったが、それでも意識だけは「夜の果て」へと突き進む。一体、行き着く先に何があるというのだろうか。
印象に残った人物
マドロン。バルダミュと腐れ縁の友人ロバンソンの恋人。ロバンソンから相手にされなくなった後の彼女の狂気が恐ろしかった。
感想
これではない何か、ここではないどこか、この人ではない誰か、そういう言わば“ないものねだり”が根っこにある主人公バルダミュ。アフリカの奥地で原住民に囲まれて暮らしても、ニューヨークへ行ってもデトロイトへ行っても、生活がそれなりに安定してくると、旅立たずにはいられない。上巻はフランスへ帰るため、アメリカ人の恋人モリーと別れるところで終わる。
下巻で、バルダミュは貧民街の医師として働くようになる。もはや放浪癖は枯れ果ててしまったが、“ないものねだり”の性分だけは残っている。彼は“夜の果て”へと流れていく(行かざるを得ない)。
最終版、友人ロバンソンが痴話げんかの末、恋人のマドロンによって殺される。銃弾で。目の前で。共に暮らした人たちが次々と亡くなっていき、最後に友人(という言葉では言い表せないような深い存在)のロバンソンが去っていった。もはや、“夜の果て”へと進む者は自分一人しかいない。いや、それとももう行き着いているのか?
なんというか、諦観という夜空のもと、絶望という大地の上を惰性という大河が滔々と流れていく……そんな世界観だった。そんな世界では、結局何も求められない、ということなのだろうか?
12月31日に読み終えたが、一年の“果て”に読むのにふさわしい小説だったような気がする。