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ロビンソン・クルーソー(下)読書感想文

著者

ダニエル・デフォー(1660~1731)
11月2日読み始め11月10日読了。

訳者

平井 正穂

あらすじ

 波乱に満ちあふれ過ぎた男、ロビンソン・クルーソーの物語の続編。
“あの島”へ戻り、あれこれと皆に世話をしてから、アジアへ向けて出航!

印象に残った人物

 共同管理人。ロビンソンと、結構長いこと一緒に旅していると思うんだけど、たまにしか、それも「共同管理人」という名称しか出てこないから、影が薄い。その影の薄さが逆に印象に残った。

感想

 「上」にあたる無人島暮らし編でもそうだったが、色々な出来事が次から次へと発生し、ロビンソンがそれを乗り越えていくというスタイル。今でいう「エンタメ小説」のようでもあり、読者に息つく暇を与えず、物語の中に引きずり込んでいく。

 物語の半分までは“あの島”への帰還(物資支援)と、それにかかわる諸々の出来事。主な出来事は、難破船から救助してやった司祭による布教活動。そして、悪人アトキンズの改心。と、宗教色がかなり強い。フランス人の司祭はしつこいくらいにロビンソンに助言をして、それを受けたロビンソンも「はっ! まったくその通りだ! わたしとしたことが!」と、いちいち真に受けるのが、キリスト教徒じゃない者から見ると、かなりうっとうしい。まあ、“無”だった島を開拓して、少数ながらも人を住まわせ、経済(のようなもの)も回り始めれば、次にするべきことは“精神”の開拓で、それは大航海時代の西欧人にとっては、極めて重要なことだったんだろうな。

 そして、さあいよいよ出航! 新たな旅の始まりだ!と、大海原へ乗り出したのだが、まさにその直後、周囲の島に住む蛮人連合とも呼ぶべき船団が現われる。まあ、船団といってもロビンソンたちの乗る大型帆船の前にはアリンコのようなものだが……。そのアリンコ軍団を平和裏にやり過ごそうとしたロビンソンだが、彼の判断ミスで、永遠の召使いにして心の友、フライデイが敵の矢によって絶命してしまう。
 これは、どういう作者の意図なのだろうか? アジアを目指す新しい物語が始まるにあたって、そのターニングポイントの象徴として、フライデイの死を設定したのだろうか? まあ、深読みすればどれだけでも深読みできるけど、私としては、全く必要のない「死」のように感じた。フライデイが好きだっただけに特に。

 島を後にしてからの“新たな旅編”では、印象に残った出来事が三つある。それらがどういう意図を持って書かれたのかを考えながら紹介していく。

 まず一つ目。マダガスカルでの出来事。
 水夫の一人トム・ジェフリが、マダガスカルの原住民の女の子に手を出した(強姦か和姦かは不明)ことが原因で、ロビンソンの帆船と原住民との間で争いがおきる。大砲を持つ帆船は余裕の圧勝。しかし、それに物足らず、水夫たちは原住民の村に潜入した。最初は、原住民に連れ去られたトムを助け出すことが目的だったのだろうが、惨殺されて木から吊り下げられたトムの姿を見て、水夫たちは激昂。民家を焼き払い。老若男女を問わず殺しまくる。「トム・ジェフリを忘れるな!」を合言葉にして……。ああ、まるで「リメンバー パールハーバー」を掲げて、日本列島に爆弾を落としまくったアメリカの蛮行が思い起こされる。自分たちに正義があれば、敵を殲滅してもいいという残虐な志向は、西欧人、いや、我々人類が持って生まれた本能なのかもしれない。
 しかし、われらがロビンソンは、残虐行為をはたらいた水夫たちを厳しく批判! 彼によって水夫たちに厳しいお灸がすえられるか……と思いきや、あろうことか逆に船内で孤立してしまい、ついには船から追い出されてしまう。帆船という狭い世界に異端分子は置いておけないという、いわば“村の理論”が働いたのだろう。独善的で排他的な“正義”。でも多数ならそれが絶対的な正しいこととなる。

 二つ目は南シナ海から東シナ海あたりでの出来事。海賊行為を行なった帆船を購入してしまい、全ての国の帆船から海賊と見做されてしまったロビンソン一行は、どこの港へ行っても追われることに。
 とにかく、相手の盲目ぶりがひどい。海賊船とみなすや、即攻撃。ロビンソン側が話し合い希望の合図を送っても完全無視。この出来事に対するロビンソンの言葉が興味深い。
「絶えず何かを恐れているほど人間を徹底的に悲惨なものにするものはない。(中略)このたえざる恐怖心は、その作用としてきまってあらゆる危機をいっそう大きなものに見せかけ、人間の想像力をたかぶらせる。」
 恐怖にとらわれたほかの帆船が、自らの想像力で勝手に“海賊船への恐怖”を大きくしていく。さらに、多くの帆船(仲間)が同じ恐怖を抱くことによって、より一層ロビンソンたちの帆船に対して敵愾心を強めていく。これはとりもなおさず、マダガスカルで暴虐の限りを尽くした水夫たちと同じ精神状態ではなかろうか?
 恐怖、集団意識、そして正義。これらの要素が組み合わさることによって、人は限りなく残虐になれるということを作者デフォーは言っているのだと思う。

 そして三つ目は、シナからモスクワ帝国内に入ったばかりの村での出来事。これが実に興味深い。
 その村には韃靼人が住んでおり、彼らは鬼のような形相の木像を建てて、それを神として祀っていた。「むむむ! 我らがキリスト教の大敵、偶像崇拝ではないか! しかもこんな醜悪な像を! ムッキー!!」と激怒するロビンソン。韃靼人を改心させるために、彼は木像を焼き払うことを提案。その提案はさらに激化し、ついには「マダガスカルで水夫たちがやったようなことをしよう!」とまで言い切るようになる。このあたりは、読んでいて恐かった。水夫たちの残虐行為をあれほど避難していたロビンソンが、自分の中の正義に反するものに対してなら、水夫たちと同じことをやっても間違いではない。むしろ正義だ! と思い至ってしまうその思考が恐かった。
 ある出来事では冷静に物事を見ることができていても、自分の主義主張にかかわることとなると簡単に冷静さを失ってしまう。これは人間が簡単に陥ってしまう心理状態なのではないだろうか? これのやっかいなところは、自分では自分の間違いになかなか気づけないということ。デフォーは、意図してロビンソンを狂わせたのだと思う。

 思い返してみると、このロビンソン、結構独善的なところがあるんだよな。シベリアの流刑地トボルスキで知り合った元大臣がいて、この人はここでの人間らしい生活に心から満足しているにもかかわらず、「彼を救わなければ!」と脱走を唆すし、それ以前にも、西欧人以外の人種をあきらかに見下している言動を何度もしているし、同じ西欧人でも「貴族青年と女中との結婚はふさわしくない」と言い切ったりしてたからな。意外とヒエラルキー意識の強いこのロビンソンが、無人島で暮らしていたってのが、今考えると面白い。

 とまあ、齢六十を超えて旅に出て、母国イングランドに帰ってきたのが七十二歳。全てに満足したロビンソンは「今まで経験したあらゆる旅よりももっと長途の旅に出る準備」に入るのだった。
 おしまい。

 なんだか本当にいい物語だった。男の燃え盛る熱情を、三百年以上前にここまで言葉で表現していたってのが凄いことだと思う。宗教や当時の社会情勢、さらには人間の心理などが盛り込まれているけど、この物語の骨は“男の熱情”だと思う。それはロビンソン自身も言っている。
「私は放浪癖にとりつかれていて、すべての有利な条件を軽蔑していた」
 と。
 そう、彼は世間に媚びながら計算高く生きるよりも、男の熱情に身を任せて生きてきたのだ。
 一度きりのこの世の旅、心の赴くままに進んでいきたいと強く思う。

※追記
 岩波文庫さん、世界地図と島の地図はつけて欲しかったなあ。

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