地球環境問題と相対主義と哲学

相対主義とは「客観的な認識」というのが絶対にできないということを示す立場である。(主観的な認識しかありえない。)
この相対主義は現代思想において中心的な立場を得ている。

だが、この相対主義は二つの問題点をはらんでいる。第一に、相対主義をこの世界のありようを説明するものとして考えるのならば、相対主義や懐疑論の言葉は有意味ではありえない。
説明とは、既に分かっていることを論理的に伝えることだからである。

相対主義の主張は「この世の絶対的な真理を見出すことはできない。(あらゆる言説は真実たりえない。)」なので、「真理は分からないということが分かった」を普遍とするものである。
しかしこの「真理は分からないということが分かった」という真理も、これが一つの主張である限り、真理であると主張することはできない。

分からないということが分かったという主張は、分からないもの(つまりこの世の全て)を分からないと言っているだけなので、それ自体無効となってしまう。
この主張から発せられる言葉は、結局の所なにも分からないまま、全て非現実を説明する言葉にしかなり得ない。

そして、第二に、この世の全てを分からないとする言説は、人の一生をすべて無根拠、無計画に向かっていく力に身や考えを任せることに繋がるからである。
この「見えざる力」は、現に地球環境に不可逆的な破滅をもたらそうとしている。

この巨大に膨れ上がった力は、もはやだれにも制御できないまま、人々を哲学的な思考ができない存在へと導いているような気がしてならない。