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最近の記事

地球環境問題と相対主義と哲学

相対主義とは「客観的な認識」というのが絶対にできないということを示す立場である。(主観的な認識しかありえない。) この相対主義は現代思想において中心的な立場を得ている。 だが、この相対主義は二つの問題点をはらんでいる。第一に、相対主義をこの世界のありようを説明するものとして考えるのならば、相対主義や懐疑論の言葉は有意味ではありえない。 説明とは、既に分かっていることを論理的に伝えることだからである。 相対主義の主張は「この世の絶対的な真理を見出すことはできない。(あらゆる

    • ブロックチェーンは公害問題を解決できるか

      公害と一口に言っても、その要因はさまざま考えられる。地球環境悪化などは人々のモラルの問題であるのかもしれないのだが、それ以上に、人口の増加(人口爆発)が一番大きな要因として挙げられる。 どんなに一人一人が倹約を心掛けたところで、それでも世界中が経済発展すれば、一人当たりの二酸化炭素やその他の有害物質の排出量増加は絶対に避けられない。 人口が増加する一番の原因は、自分が老後働けなくなっても生きていくために、世話してくれる子供をたくさん生むからだと言われている。 日本では社会保障

      • 哲学で宇宙の真理を理解することは不可能な理由

        哲学は所詮、同語反復(トートロジー)しかできない。   真理とは、哲学においては論理によって構成される同語反復のことなのである。 つまり一組の同語反復からは、それだけを前提とした同語反復だけが有効となる。   そしてこの同語反復の体系を、宇宙に当てはめて理解することは馬鹿げている。 それをするにはまずわれわれが宇宙の全てを理解するしかないからだ。  

        • 東浩紀氏の哲学「一般意思2.0」の問題点

          東浩紀氏は、超越論性を増やすことで現状の超越論から脱却しようとしている。 しかし、ここでいう超越論性とは、要は「現実に即した」世界認識のことである。 そして、現実に即した物でなければ「そんなものはさっさと捨ててしまえ」と。   ただ、ここから社会や政治のあり方の根拠を見つけ出すのは不可能である。 そもそも、社会的な普遍性を見いださず、社会を超越論性によって規定するという概念が、おかしいのである。 人が集まって社会を作るのは、そうやってあるべき姿を命令されているから

          マルクス・ガブリエル「新しい実在論」とは

          マルクス・ガブリエルは、偽を否定、つまり真から目を反らすことを否定し、真実への道を切り開こうとしている。 そして、偽の信念を持つことで人々は過ちを犯し、真実こそが人々を救う唯一の存在だと。   つまり、自然主義や科学主義など人々の見えている世界の表像は偽であり、人々が真なる信念を共有する社会(倫理資本主義)こそ、真に存在する世界ということになる。 これで力の強い国が力の弱い国を支配するという構造が変わり、世界が対立ではなく中立によって協力し合う連携が生まれる。

          マルクス・ガブリエル「新しい実在論」とは

          ニーチェ「力への意志」の問題点

          ニーチェによれば、力への意志とは人間を動かす根源的な動機である。 そして、真理は不変のロゴスとして存在するものではなく、力への意志によりその都度産み出されていくものとされる。 これによって、力への意志を肯定する行為こそ、ニヒリズムを克服することに繋がるのだと考えた。 しかし一体誰が、力への意思を感じたり、判定したりするのか。 人間の力の量=力への意思の量ではない。 人間が人間の力への意思を見たり測ったりする方法はない。 力への意思を絶対的な「(人間が生きるために必要な)神

          ニーチェ「力への意志」の問題点

          哲学における「私」の特別さ。

          「私」について考えているのは、「私」である。 そして、「私」が私について考えているということも、「私」によって考えられている。考える主体がいなければ、考えることはできない。 しかし、そもそも「考える」という事態よりも先に「私」は存在しないはずである。我思う故に我ありという言葉の通り、考えることによって初めて私の存在が認識される。 よって、この「私」というものは、「考える」ように先立って創られている。 つまり、考えるところの「私」というものが、考えるより前に先に知られてい

          哲学における「私」の特別さ。

          「倫理」と「道徳」の違い

          残酷人生論、倫理は道徳ではない(池田晶子)より 人は自由になるためには、現実を認識し、精神の本質をしっかり受け入れなければならない。倫理を考えるという行為こそ、確かな現実(現実を知ろうとする努力)であるのだ。

          「倫理」と「道徳」の違い

          作家、星新一が遭遇した戦時中のプロパガンダ

          きまぐれ星のメモ、追憶の一齣より 当時はプロパガンダという用語がなかったのか、本人もこれがプロパガンダだとは認識していなかったようである。

          作家、星新一が遭遇した戦時中のプロパガンダ

          昔の日本人は政界もユーモアで溢れていた?

          きまぐれ博物誌、笑顔とうやむや(星新一)より ユーモアとは、受け取る側の問題もある。ユーモアなど受け取る側が曲解しようとすれば、どうとでもできる。尊大な態度は気に食わないが、ユーモアを許容しようという雰囲気もない。これで政治家に自分以上の何かを期待しようだなんて無理である。このままでは国会はおそらく国民の総反省会のような場にしかならないだろう。こんなことに精神を疲労させていて、新しい時代に対応できるような政策がはたして生まれるのだろうか。

          昔の日本人は政界もユーモアで溢れていた?

          トークンエコノミーの最も優れた所は「悪人の排除」にある

          トークンエコノミーとは、人々がトークンを稼ぐことで生活する経済圏のことである。 従来の経済圏と比較して、トークンエコノミーでは、経済がブロックチェーン上で動いているため不正がとてもしにくいというメリットがある。 とはいえ現状では、ブロックチェーンはNFTを利用した詐欺など不正の温床となっている。しかし、ブロックチェーン業界は発足してまだ少ししか経っておらず、ポテンシャルはこの程度ではないだろう。まだブロックチェーン業界は成長分野なのである。 トークンエコノミーによる経済圏で

          トークンエコノミーの最も優れた所は「悪人の排除」にある

          フェミと引きこもりの共通点

          フェミ(ツイフェミ)と引きこもり(ニート)は、社会、もしくは社会に存在するものを否定する点において似てる。 例えば「萌え絵のポスターが公共の場所に貼ってあるのはおかしい」など。 この人達にとって社会とは、恐らく、プライベート空間の延長に過ぎない。縄張りを主張する動物と一緒である。 つまり、公共の場所で何かを作りたいのではなく、ただそこから得られる物だけを得て楽しく暮らしたいのだ。 しかしそれだけでは社会は回らない。社会には常に人が集まるような何かを生み出す必要があり、それはだ

          フェミと引きこもりの共通点

          東浩紀「オタクはコミケや萌え絵を美化しすぎ」

          というようなことを言っているが、そもそも日本においてインターネットの歴史ほど、エロと密接に関わっているものはない。最初から「エロ」や「ポルノ」コンテンツで溢れかえっていたのがインターネットのはずだが、この人の言葉によればインターネット空間もだいぶ美化されているようである。 この理論で言えば、音楽や美術、芸術のようなあまりにも昔過ぎて起源が分からないものに対してしか「ポルノと関係していることすら認めない」ことは不可能である。

          東浩紀「オタクはコミケや萌え絵を美化しすぎ」