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【国際協力の流儀 ~プロジェクトの現場から~】第1回:参加型復興計画づくりを推進し地域社会とコミュニティの強靭化を図る

☆開発協力事業の大切な担い手である開発コンサルタントや技術者たち。自らの経験と知見、そして技術力を頼りに彼らはどんな思いを抱きながら、プロジェクトに邁進しているのだろうか。国際協力に生きる技術と“流儀”をシリーズで追う。

パシフィックコンサルタンツ(株)
グローバルカンパニー 国際開発部 都市・交通室
チーフコンサルタント
明石 正人氏


 開発途上国との出会いは、学生時代の貧乏旅行であった。2000年代初めの頃だ。リュック一つ背負い、タイ、インド、ネパールを回った。街々で目にする子どもたちの姿。中には物乞いする女の子の姿もある。「衝撃を受けた」と明石正人(文中、敬称略)はふり返る。「平和な日本で、何の不自由もなく大学で学べる自分」と「当時のインドやネパールの子どもたち」。自分との対比、あるいは自己の客体化が始まった。当時、東京理科大学理工学部で建築を学ぶ学生だった。
 帰国後、明石に2つの変化が起きる。一つは「何の疑いもなく、当たり前だと思っていた日本での暮らしが、決して当たり前ではない」という新しい気づき。もう一つは、貧窮な途上国の子どもたちを前に「何もできない自分」を意識し、「中途半端な技術や知識ではだめだ」という強烈な思いであった。「もっと視野を広げたい」と大学院への進学を決意したのは貧乏旅行から帰ってからのことであった。

国内業務で知見を蓄え、技術を磨く

 大学院は東京工業大学総合理工学研究科に進学。人間環境システムを専攻し、都市計画や都市交通の研究に打ち込んだ。
 大学院修了後、パシフィックコンサルタンツに入社したのは2007年4月。都市計画分野などで実績と技術力のあるコンサルタント会社という定評があった。ただ、最初から海外業務に従事できたわけではない。最初に配属されたのは北海道支社。海外の仕事に携わりたい気持ちが強かったが、月刊「国際開発ジャーナル」(本誌)を読んで海外の開発情報に触れながら、海外へのモチベーションを維持したという。
 明石が特に深く関わったのは北海道釧路だ。釧路都市圏の都市・地域開発、交通計画のマスタープラン(M/P)づくりにほぼ3年間従事した。交通量などのデータを収集・分析し、計算モデルを使いながら土地利用と交通需要の伸びなどをシミュレーション。地理情報システム(GIS)なども積極的に使いながら将来的に人口が変化していった場合、釧路の街づくりをどうするかについて詳細に検討し、M/Pに落とし込んでいった。「実態調査から需要予測、さらに関係者の合意形成を図りながら、計画づくりを進めていった。海外案件では経済分析など各専門家が分担するが、国内は担当者が全部一貫して進める。コンサルタントとして幅広く知見を蓄え、技術力をつけることができた」と明石は話す。
 東日本大震災が起きたのは2011年。明石は釧路都市圏のM/P作成のさなかにあった。釧路も地震による津波災害のリスクがあり、決して他人事ではない。パシフィックコンサルタンツは震災後、名取、気仙沼、南三陸、大船渡などにいち早く復興支援チームを派遣していたが、明石も何度か現地に足を運び、被災の状況を調べた。緊急支援から復興段階に入ってからは被災地の復興計画づくりの進捗を丹念に把握し、さまざまな課題や解決策を実地で勉強した。

コミュニティの形成で住民の生業と生計を守る
 7年間にわたる国内業務を経て、海外部門に移ったのは2014年。以来、国際協力機構(JICA)の調査・計画業務を中心にキャリアを積み上げている。災害対策・防災分野業務の従事歴が多い。特に深い関係を持っているのが、学生時代に訪れたネパールだ。
 ネパールをマグニチュード7.8の大地震が襲ったのは2015年4月25日。首都カトマンズの北西を震源とする地震により、建物の倒壊、土砂災害などが発生。甚大な被害をもたらした。明石は、震災直後に実施されたJICA の「地震復旧・復興プロジェクト」で復興計画を担当。さらに後続の「カトマンズ盆地における地震災害リスクマネジメントプロジェクト」、「カトマンズ盆地強靭化のための防災行政能力強化プロジェクト」、直近では「参加型地方復興プロジェクト」に専門家として従事し、開発計画策定支援と参加型復興プロセスの支援業務などを担当した。プロジェクトでJICAが重視したのは「地域社会の強靭化」や「参加型プロセス」。その方針にもとづき、明石は「住民参加型の復興開発計画」づくりという重要な分野を担当した。
 震災後、道路や住宅などインフラの再建は着々と進んでいるが、「インフラなどフィジカルな支援に加え、被災した住民の生業、生計の問題はどうしても長期の取り組みが必要。その意味で住民の参加プロセスは重要である」と明石は話す。なぜ重要なのか。明石は「国内で学んだこと」と前置きし、主に①住民の生の声を聞くことによる現地ニーズと実態の的確な把握、②住民と共に作り上げることによる復興開発計画の合理性と説得力の向上、③計画策定プロセスに住民を巻き込むことによる政府、自治体、住民などのネットワーク形成の促進、の3点を指摘する。
 住民の参加を促し、組織・ネットワーク化を図る上で特に明石がポイントとするのは、行政・住民を含めて共通の目標を設定し、達成に向けて意識と行動を集約していくことだ。「計画づくりにはさまざまな種類や制約がある。コンサルタントはそこに一手間かけ、生業や生活の向上と関連づけながら、行政のリーダー、職員、各地区の住民リーダーなどに集まってもらい、ワークショップや研修などを粘り強く続けていく。その中で参加型計画づくりの重要性に関係者の理解が深まっていく」。参加型プロセスがうまく軌道に乗るかどうかの鍵は、現地関係者や住民自身がその重要性に気づくこと。支援するコンサルタントはその”気づき”を生むため、困難を乗り越えて最適な思考と行動をとっていく。これが明石の流儀である。ワークショップなどでは、日本の経験を伝えることも忘れない。

行政・住民参加型開発計画づくりワークショップの
様子(ネパール・バルパック村)
=写真提供:JICA/パシフィックコンサルタンツ

参加型プロセスによる地域社会の強靭化
 明石は、2017年に会社の支援制度によって、英国のUniversity College Londonに1年間留学。開発途上国の都市開発計画を集中的に学んだ。クラスにはアジアや中東、アフリカ、中南米など20カ国近くの留学生が在籍し、彼らと議論しながら学べたことは開発協力に関する視野を広げ、インフォーマルセクターへのアプローチなど、途上国ならではの都市計画のあり方に気づく貴重な機会になった。
 「途上国における参加型プロセスと防災・国土強靭化の観点からすると、災害に見舞われる人々は川沿いや被災しやすい土地で暮らす低所得層が多い。被災したら孤立しがちで、生業や生計が成り立たなくなり、結果的に都市部でスラムを形成。都市問題の一層の悪化を招きかねない。孤立を防ぐには、やはりコミュニティのネットワーク化と強靭化を図ることが欠かせない」と明石は強調する。コミュニティが形成されたところに支援していく、英国で学んだアプローチである。
 気候変動に伴い、世界的に自然災害が激甚化している。日本も毎年のように災害に見舞われており、この夏は台風10号の直撃を受け、暴風・大雨により全国的に甚大な被害を受けたところだ。政府は2020年に都市再生特別措置法を改正し、災害リスクのある地域を分析・ゾーニングし、危険な地域では新たな開発を抑制するという方針が打ち出された。現在、明石がアサインされているプロジェクトは、インドネシアとヨルダンの都市計画、またネパールの防災計画には引き続き、参画する。法制度も含め、日本の新しい都市計画や防災計画の知見なども海外の開発協力案件にさらに生かしていく考えだ。                       (本誌:和泉 隆一)


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本記事は国際開発ジャーナル2024年10月号に掲載されています
(電子版はこちらから)

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