好き
noteを一昨日からして、初めて好きを貰えた。ありがたい。🤩
改めて、ありがとうございます。
どちらの方も年上だったことに目がついた。
年齢差別ではありません🙇🏻♂️
というのも、私は自分の年齢よりも上の方との縁がある。(ホントにたまたまの気もするが)
末っ子のお陰か、年長者に甘えたり関係が長く続くのは先輩たちが多かったです。
子ども時代は甘えられて、可愛がられてラッキーと思う存分年下の恩恵を受けていました🤣
人生の先輩に付いていくだけでなく、ちゃんと同い年や年下とも遊びました。子どもはやっぱり遊ぶに限るね🤸🏻♂️
子どもは風の子元気の子、というフレーズは全国共通なのかな?
今思えば年上の方たちとの縁は、母の教えがあるからだと考えました。🤔
小学低学年の時のことです。
「遊びに行ってくる〜」とただいまの二言目でランドセルを放り投げました。(行儀悪いですよね🥲)
家に居た母はてっきり「行ってらっしゃい」と返って来る、と私は思っていました。
「誰と遊んでくるん? 年上の子とできるだけ遊びなさいよ」
は?聴き間違い?
違いました。ちゃんと聞き返しても同じ言葉が返ってきたのです。
その時早く遊びに行きたくてウズウズしてた私は、「何じゃそら」とさっさと出かけました。
後々聞くと「アンタはドジだから、出来るだけ上の子と付き合いなさい。そうしたら色々守ってもらえるから」
だそうです。
ちゃんと聴いてもイミフメーイ。
覚えの悪い私は、その後も事あるごとに母からの呪文を受けました。
「年上と遊べ〜年上と付き合え〜」
毎度なので、あーハイハイと流していました。しかし、良いこともあるんですね時には
部活に入ってた事もあり、上も下も同い年もまんべんなく遊びましたね。練習も程々に🤣
(前に書いたこともありますが、平和主義者の私は何かで勝つことより楽しむことしか頭にありませんでした)
コーチや監督がどうやったら勝てるのか、戦略を熱弁してる側で、チームメイトと戯れてよく叱られました🥲
あの時の本気だった方たち
モチベを下げてしまったとすると、本当に申し訳ない🤦🏻♂️
とにかく、試合も楽しいし試合後の友だちと遊ぶのも楽しんでいました。
きっと真面目にスポーツしていた子は、試合に負けた日に落ち込んで、
それどころじゃなかったのかもしれない。
私は違っただけ。悪いといえば悪い、それでいいと言えば良い。だったら良いと捉える私である。
試合後友だちと遊ぶとき、
当時流行っていた遊戯王カードで遊ぶ
単純にトランプやテレビゲームをしに、友だちん家に行く
秘密基地を開拓して荒地を開拓する
忍耐力が無いのに港へ釣りに行く
こんな感じのことをしていた気がする。平和だなぁ(*´▽`*)
その中で年を関係なく遊んだ。
そんなことから私は学んだ気がする。年は関係なく仲良くなれる。(当たり前なんだと言われればそうだが、どの世代、どの年の方にも自分の意見を言える人がどのくらいいるのだろうと思う)
私は仲良くなった友だちは都市関係なく、本音で話す。ため口で。
反感を買いそうだが、私は誰かを見下げてため口を話すのではない。
悪意もどちらが偉い、上か下か、何を競っているのかなんてどうでもいいのだ。そう思う。
ため口で話すのは、敬意があることを前提で私の素になれるから安心して話すためです。悪く受け取ってほしくない。(それでも悪く思う人はいるだろうけど)
年上の人でも、人によってニックネームで呼ぶ方もいれば、”さん付け”が抜けない方もいる。でも話口調はため口。
それでも、こう思う人もいるのは確かだよね
親しき中にも礼儀あり
ごもっともだと思う。私はため口で話しても礼は欠かさない。日本語としておかしいと思うかもしれないが、もう一度言う。敬意があるから親しくしたいのだ。敬意があればため口を使ってもいいのか?と疑問がある人もいるだろう。それも間違えではない。それで良い。
私が敬意があって納得してくれている方に、『自分でも言われたら嫌、イラッ、は?舐めてる?』という態度および言動はしない。つまりため口だからといって、自分と同格または格下だから「お前、昨日まじバカしてたよ」なんて言わない。もちろん、格で最初から比較しない。
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず
まさしくこれなんです。自分の好きになった人。周りにいてほしい人。遊びたい人。時間を共にしたい人に限らず。しょーじき、これの人間関係だと思います。人それぞれ。言い方もそれぞれ。価値観もそれぞれ、生まれも環境も文化も見た目性別その他諸々全て違うから、その分だけの答えでいい。
本当の意味での多様性かなとも思う。
今は発行されない福沢諭吉さん。良い言葉と歴史を後世に残した貴方は凄い。私もそんな人に…人生何回目でなれるのだろうw
完璧なんて理想論。基準を細かく設定すればいけるのかもしれないが、この世界の基準なんて計り知れない。だから可能性しかないし、ロマンがある。
生をもって人生を享受し命に感謝して、生きるための使命を少しずつ探しながら旅をして、冒険をして大切な人にできるだけ幸せになってもらえるように動けたらいい、考えられたら素敵。大切な大切な時間という取り返しのつかない通行料。
だから、年だけでなく、誰に対しても(ここは暴論かもしれない)敬意を持てるように存在を尊重する。
私は自分以外の誰かは写し鏡、水面、ゴム…何でもいいがそんな風なもんだと思っている。私が、成長する、良くなる、悪くなる、弱くなる、強くなる、(ここも何でもいい)ための機会だと思っている。こう動いたらこうなるんだ、こう言ったらこうなってしまうんだ。考えることも増え、人生という壮大な実験は、自分なりの経験となり、日々の知識として生かすも殺すもその人次第。
またやってしまった。話が逸れた。
本題は好きについて、語ろうと思っていた。
ここに書き続けて、本当にネットに保存されている?情報の海に私はプランクトンでしかないと思っていたが、そもそも公開されてる?という不安がまず払しょくされた。
改めて本日2度目のありがとうございます。m(__)m
ちなみに、だいぶ前からパソコン入力に切り替えたので絵文字がなく、殺風景であることを報告します。ごめんね( ̄▽ ̄)
本題の私の好きなものは、漫画から挙げるとキリがない。私は話が逸れすぎてしまうので本題に忠実な本筋を話したい。気に入ったもの、それはその時その状況その環境下で私が求めたもの。
それはそうだろ、と言われてしまうことだけど。だからこれまで知らないこと、嫌いなことも、私が好きになった事や物が今まで確率や性格のパターン、成長や精神年齢で当てはまっただけだとすると、好きになる可能性を秘めてるはずなのだ。私たちが毛嫌いするだけで、嫌いなものが好きになる可能性を捨てるのはもったいない。
例えば、嫌いだったピーマンやタマネギが子どもの時食べれなかったのに、今では野菜は美味い美味いと言いながら、草食動物ばりにボリボリ食べるようになった。
それだと屁理屈を言ってるだけで、好きについて語っていないのでは、と思われるので、違う視点から語りたい。
私は周りが熱狂していると、その波に乗りたいと思えなくなってしまう。
期待感や周りの情報にレッテル、イメージを上乗せされても本来のその物、内容に自分の素直な想いが反映されないのではないか、という恐れがあるのかもしれない。(ただ単にミーハーになるのが嫌なだけとも言える)無意識の内に私も周りの情報に飲まれ、気持ちや考えさえも私のオリジナル(似たりよったりだとしても自分でちゃんと考えたい)でなくなるのを避けたいのだ。
岡田斗司夫という方の動画で教えてもらったのは、ある人気やブーム、楽しいことを単に楽しむ人はリア充だという。私はこのパターンではない。
ソレに一々理由や資格や意味を問うてしまうのは、非モテの部類だという。
納得する。頭がいい人は、ありがたい情報を教えてくれるから先生として、素直に入ってくる。何より分かりやすい。素晴らしい。
岡田斗司夫さんの動画は好きです。吉田拓郎の『今日までそして明日から』も好きです。
自分を知らずに周りに合わせても、自分の人生を生きているとは思いません。そんな意味として私はこの歌詞を受け取りました。
吾唯足るを知る(われただたるをしる)
恐らく言わずもがなの名言。ヒョイと連想されるんですよね。
みんなどこかで意識は繋がってるからこそ、こうして時代や文化を超えても受け継がれるもの、廃れていくものがあるのでしょう。
昔(おじいちゃんじゃないけど言ってしまう私。過去という意味で使っちゃいます)に私の周りで流行っていた脳内メーカーというウェブがありました。
名前を入れると、その人の頭の中で考えてることは何かを表示してくれるサイトで、いわば診断系です。いかにも子どもや思春期に受けそうなサイトで楽しかった印象があります。
※ここまで書いて、毎度ですみません、話逸れます。というか、逸れてました。
その脳内メーカーのように、私の頭の中を言葉で一部表現するとこんな感じになっちゃうんですよね。
吉田拓郎の唄
我ただ足るを知る/老子
諸行無常の響きあり/平家物語
考える葦(あし)/パスカル
脈略もなく何じゃこりゃ、と思うかもしれませんね。ww
矢印で書いた方が分かりやすいかもしれません。
吉田拓郎→今日までそして明日から→自分を知る→我ただたる~
→老子→古い→変わっていく時代→変化は絶えない→自分はなぜ変わってしまうのに考えるのか→倫理→考える葦(あし)→備えあれば患いなし…
と、まぁまだ繋がってしまうんですけど、キリがホントにないので省略します。ちなみに上記4項目は高校時代の内容なんですよね。
吉田拓郎の『今日までそして明日から』を初めて知ったのは『恋妻家宮本』という邦画がきっかけです。キャストの阿部寛さん、天海祐希さんが大好きでそっから知りました。高校の倫理の授業でパスカルの言葉を知りました。
老子も確か古典だったはずです。
ごめんなさい。平家物語だけ中学でした( ´艸`)
中学の古典の授業です。
また、吉田拓郎の同曲はクレヨンしんちゃんの映画の劇中歌としても有名だと思います。タイトルが『オトナ帝国の逆襲』だったはず。懐かしいw
作中、子どもの精神に戻った父ヒロシをしんちゃんが、激臭靴下で目覚めさせるシーンがまた泣けます。共感する人も多いはず。
そして太文字するほど強調したかった天海さん。大好きです。カッコいいし綺麗でやっぱり女性の魅力が私は凄かったです。それこそモーレツにw
主にテレビドラマの影響ですね。女王の教室は当時トラウマでこんな先生は嫌だなぁ、と他人事のように観てましたw
GOLD→金メダルを目指す一家の話で家庭でのそれぞれの役の視点が凄かった。
Around40〜注文の多いオンナたち〜→40歳を目前に女性の人生を様々なシチュエーションで深堀していくのが、子どもながらに響いた。
偽装の夫婦→結婚を偽装し、過去に一度付き合ったゲイとの夫婦関係が笑えて、天海さんの各エピソードで魅せるスキルにワクワクした。
映画もありますが、ちょっともう良いよと聞こえてきそうなので、ここまでにしますw
まとめ、天海さん好き。締める。
もう5000文字いってしまいそうなので、まだまだ好きを解放できませんが、今日はここまでにします。
我ただ足るを知る、ですもんねw