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大人についてver2

さて、今日も昨日の続きといきましょうか🤸🏻‍♂️
大人について、ver2と言うことで
早速この順番で話そうと思います


言葉遣い

子どもの頃は周りでよく
汚い言葉を覚えては悪口に遣う子が居ました
(身を守る術や取り繕ったりしていたと思います)
みんなはあった?
暴言悪口、汚い言葉醜い言葉を吐く時代
子どもだと悪のイメージや、どこかカッコいいという印象があった
あれはどっから来てたのかは謎ですが
言ってしまえばその時のブームであったり
瞬間風速的な宗教じみた時期とも言えるかもしれません。

口を開けば汚い言葉、子どもなんで怒鳴るというよりは叫びに近い
幼稚だったなぁしか今は残っていないんですが
今思えば語彙力がなかっただけに
稚拙でストレートな武器だったのかもしれない

子どもの時は正義と悪がヒーロー物などははっきりと描かれ
自分中心に正義があると思っていました。
性格が悪いかもしれませんが
世界観としても視野が狭いのもあるかもしれませんね。

リアルと精神の視点の違い

現実でも子どもと大人とでは見る世界
触れる世界が違いますよね?
大人は道路に出ると歩道をちゃんと歩かなきゃと思うし
(人による?w)
信号は赤であれば危ないから止まって次の青信号まで待ちますよね?
しかし、子どもの頃は注意散漫だったと記憶しています
私は行きたい方向=道だったので
車が通るかどうかは気にせずに道路を渡ろうとしていました。
それでよく、おねーちゃんや親に腕を捕まれ怒られながら道を渡っていましたw
あ、私姉貴が居ります、はいw

また、精神的な面でも視点は子どもと大人で変わりますよね?
嫌なことがあったら子どもは、反発するし嫌とハッキリ言います。
性格的に我慢しちゃったり、人見知りで気の知れた人以外と会うと
その人の動向をジーっと観察したりしてねw
もしかしてあるあるって人居る?w
それに我慢の限界をずっとできるわけもなく、ある限界点に達すると
大粒の涙を流しますよね?それもまた自己表現です。

それでは、大人はどうでしょうか?
相手の立場を考えたり、人それぞれですが許容できる範囲までは
涼しい顔して受け流したり受け止めたりすることができますよね?
我慢が当たり前になったり、人見知りだけど話すとぎこちなくても
話そうと努力しますよね?しませんか? みんなの位置をちょっと確認w
私は話したい事を読者を置いてきぼりに
してしまいそうなので時々確認します
(レスポンスは無いけど🤣)
さらには人前で毎回堂々と泣いたりしませんよね?
それどころか、笑って顔を作ってその場をやり過ごし
安心できる場所や、一息ついた時、気を抜いた瞬間や
何かの景色や音が引き金となって、張り詰めた線がプツンと切れるように
ぽろぽろだったり、人によっては土砂降りの涙もあるのではないでしょうか?

大人と夢

子どもの時には簡単に夢を見つけましたが、大人になって叶えたいと思える
夢と出会っていない。
いや、言い方が変ですね、夢を追いかけたり見つけたり夢中になっていない。そう思ったりします。
言い訳をちょっと考えてみましょう、敢えてね‼

  • 日々の業務ややらなければならないことに追われ、時間がない

  • ときめくなりたい自分像が見つからない、分からない

  • 何かを成し遂げることが現実的に難しいことが分かってくる

上記で挙げた理由ですが、みんなはどう思いますか?
あるある、なのか、いや違うだろ!怠けるんじゃない‼となるのか
どっちでしょうかね?w
反対になぜ子どもの時は夢に溢れていたのでしょうか?

私が真っ先に思いついたのは
楽しさが先行していたから

つまり、楽しいとそのままずっとし続けたいというのが
人として希望は多いのではないでしょうか?
楽しいことを続けたい、嫌いなことはできるだけしたくない
まさに子どもの時を呼び起こした私の気持ちですw
賛同してくれる方、ハイターッチ🙌🏻

子どもと大人の夢について考えた時
子どもは考えるよりも感情『好き楽しい』で夢にする
大人は感情や自分の本心より、実際の時間や可能性を自分で憶測で決めて
諦めたり悩んだりすることが多いかもしれません。
大人の視点に立っているからこそ、社会に出ていたり
ある程度の社会的な知識を積んだからこそ避けることもありますよね?

例えば
子どもの時は、海に入る時は日焼けや替えの服を持っているのか考えず
真っ先に飛び込んで遊んでいました。
それがある程度大きくなってから、大人になったなと思う現在も含め
夏だし海行きたいなぁ→
着替え準備しなきゃなぁ→
ビーチの側にシャワー室や更衣室はあったかなぁ→
調べるの面倒だなぁ→
日焼けした後も痛いし、今日はやっぱやめとくかぁ
って考えてしまいます。貧乏神ならぬ面倒神が降臨しがちw
どんな神だよw

子どもは面倒神がいないのか、眼中になく好きや楽しいが
勝っているからかもしれませんね

夢か目標目的か

私はまた変換する癖、時として連想家にも繋がることがあります。
夢というと大袈裟な感じもするんですが
目標や目的となると、ちゃんと達成できそうなことを掲げる
そんな感じで自分を上手くコントロールしています。
夢じゃなくても、やりたいことやしたいことがあったら
細かな目標や目的に書き出してみたり
細分化してみるのもアリだと思います。

生きてる生きてく

私はよく歌を聴く時間が多いです。
ちょっとまた連想したんですが、”夢ではなく目標や目的に変換”の時
頭に浮かんだのが福山雅治の生きてる生きてくという歌でした。

不思議なものだ
子供のころは
大人になんてなれないのに
大人になれば「ときめく」だけで
いつでも子供になれる
いままで生きて 出した答えは
正解よりも間違いのほうが多いよ
僕は間違いながら
大人になってきたんだ

生きてる生きてくより

福山さんの考える子どもとは、ときめきがキーワードらしいですね。
また大人でも間違いながら大人になることが多い
それは確かに完璧な人生はつまらないなって思っちゃいますね
私だけ?😅

大きな夢をひとつ持っていた
恥ずかしいくらいバカげた夢を
そしたらなぜか小さな夢が
いつのまにか叶ってた

生きてる生きてくより

私が連想したのはこの歌詞でした。
ここでは大きな夢と小さな夢と解釈しているみたいです。
何も大きいだけが夢として定義できるわけじゃありませんもんね。
ですが、大きな夢も小さな夢もあると大筋を捉えつつ
小っちゃい事も達成しちゃおう
その方が、意識しなくても小っちゃい事が達成しやすいよ
って解釈です。合ってますかね?w
目標も目的も言い方が夢と似ていますが、大それたことではなくても
小さな事も達成させるべき項目としてあることで
達成させる意欲も出てくるのではないでしょうか?

セカオワの夢で締める

私が高校生の時から愛してやまないバンド
SEKAI NO OWARIなんですが、一曲ご紹介したい作品があります。
それがまさに『yume』というタイトルなんですが
その歌詞の一部を見ていきましょう。

そうさいつも僕ら一緒に
泣いたり笑ったりしたんだ
夢があるから変わる景色が輝くんだ
そして桜の花びらが
地球に舞っていくように
変わる景色を夢と見ていきたいんだ

そうさいつも僕ら一緒に
泣いたり笑ったりしたんだ
君がいるから
僕の命は輝くんだ

SEKAI NO OWARI/yumeより

歌詞内にある【君】というのは夢のことです。
夢は叶えるとよく使われますが、上記の歌詞では
擬人化ではないですが、夢自体を人生のお共にして
泣いたり笑ったりを一緒にする、役割を与えています。
夢を追うのは、自分の命が輝く糧であり、良きパートナーとなっているんだとこの歌詞で読み解きました。
私の見解です。
人それぞれの読み解き方や捉え方があって素敵だと思います。

昨日に引き続き大人について、考えてみました。
みんなが考えている大人像、大人だった対応や人はどんな感じでしたか?

今回も長々とした記事を読んでいただき
ありがとうございます❕

次はまた季節を考えるアキラについて書いてみますね!
それじゃ

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