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法律は道徳規範になり得ない
この記事は約950字、気軽に読めるよ。
Twitter(現:X)などで、どんなに小さい事でも法律違反は絶対的な悪であるという価値観が広く浸透しているように感じる。私はこれに非常に危うさを感じるのである。
つまり、法律と言うものを絶対的な倫理の規範か何かと勘違いしてしまう危うさである。
近代国家日本に住んでいながら法律に異議を唱えるとは何事だと思う人もいるだろう。しかし、法律ってそもそもそんなに万能で普遍的なものでしたっけ?
ナチス政権下のドイツではユダヤ人を匿うことは違法だったが、「法律違反は悪だ」という価値観を採用すると、ユダヤ人をゲシュタポに突き出すことが良い事になってしまう。
尊属殺廃止のきっかけになった、14歳の頃から実の父にレイプされ、5人の子供を生まされていた女性がその父親を殺した事件、この女性が父親を殺した行為を「法律に違反しているから」という理由だけで「悪」と言えるだろうか。
この二つの事例は法律というものは倫理道徳規範ではなく、秩序維持規範であるということを表しているように感じる。
つまり刑法には〜しちゃダメです。なんて一言も載っていない。「刑法に違反したらこういう罰を受けますよ」という一覧表である。
刑法199条、殺人罪の条文を読んでみよう
第百九十九条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
どこに「人を殺してはいけません」と書いてあるのか。私は法律の持つ、ある種の冷たさが好きだ。人を殺してはいけません!というのではなく、人を殺すとこうなりますよ、とだけ書いてあるこの冷たさ、無機質さが好きだ。法律はやっぱこうじゃないとな。
なので私は法律というもの倫理道徳の根拠になり得ないと考えるし、なり得ると考えるべきではないと思う。
これを読んだ人が、「いやいや法治国家である以上は悪法でも法、法律に違反するのはどんな場合でも悪だ」と思った人がいるかも知れない。いや実際に私の友達にそういう人がいる。そこまで言い切ってしまうなら、もう私は何も言わない。ただ、悪法の矛先が自分に向いた時も同じ事が言えるのか。私はそれが気になる。