1984年16歳の北海道旅行記(5) ~トドワラ死の恐怖
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さて、これから一晩かけてトドワラを目指し、野付半島※1を約20㎞歩くつもりだ。野付半島は、知床半島と根室半島の中間に位置する細い半島(砂州)だ。半島の先に、トドマツが自然の厳しさに負けて立ち枯れた、トドワラと呼ばれる場所がある。定住者はほとんどおらず、観光用の道路があるだけで、宿などはない。そんな場所を深夜に歩いてみたいと思った。この旅で楽しみにしていたイベントだ。地理の先生に相談すると、
「ヒマラヤに行くつもりで行け」と言われた。
野付半島縦走死の恐怖
磯の香りがする駅のロッカーに、撮影機材と寝袋※2以外の荷物を預けた。駅員さんは「物置で寝ていいよ」と言ってくれたが、計画を話したところ、「虫に食われるぞ」と笑いながら答えてくれた。
出発してすぐに、主食である乾パン※3をロッカーに預けてしまったことに気がついた。さすがに何か食べないと厳しいと思い店を探したが、焼き肉屋しか空いていなかったのでジンギスカンを食べて出発した。
しばらく行くと家がなくなった。霧の中で街灯が、一つ、また一つと見えてくる。これが最後かと思うと、また次の街灯が見える。街は濃霧に覆われていた。やがて野付分岐から野付半島に入ると、車は全く通らなくなった。堂々と車道の真ん中を歩く。
ボンノウシの停留所を過ぎると、本当に無人地帯に入る。街灯もなくなり、真の闇を期待したが、なぜか足元だけは懐中電灯なしでも見える。もっとも、懐中電灯をつけると真っ白になるだけだ。
0時を過ぎたのに、まだ着かない。聞こえるのは潮騒だけだ。灯が見えて、やっと着いたかかと思うと牧場だった。こんな所にも牧場はあった。
気になるのは、時々光る謎の光。灯台の光であって欲しいと思っていた。雷であってほしくなかった。何しろ、野付半島は木も生えておらず、両側は海で逃げる場所がない。灯台の光という事にして歩き続ける。
謎の光はどんどん強力になってきた。灯台ではないのは間違いない。雷鳴が轟く。もはやこれまでか。「5」と書かれた看板を見つけた。これはトドワラまでの距離だ。
稲妻が光ると、まわりは真っ白に照らされる。照明弾のようだ。雨も降ってきた。もう走ろう。滅多なことでは神頼みしない私だが、この時は祈った。走って行く先に光が見えた。牧場?、トドワラ?・・・牧場だった。それでも「2」と書かれた看板が見えた。このまま走り続けよう。そしてついに自動販売機の光が見えた。助かった。シャッターが降りている小屋の下に退避した。途端に大雨となった。
トドワラ見学
朝、オホーツク海の海で顔を洗う。曇っていて、目の前に見える筈の国後島が見えない。乾パンが無いので、開店したばかりの小食堂で500円のテッポウ汁で朝食とする。散財だ。食後、トドワラの散策へ。
すれ違う人が「こんにちは」と言う。カニ族たちだ。しかし、家族連れの観光客に「こんにちは」と言うと無視された。
トドワラは写真で見る以上に面白い。船着き場で観光船を見送る。まるで湿地の中を船が行くみたいだ。コンブが積もった浜辺で振り返ると、まさに360度展望。なんにもない。人工のものはほとんど見られなかった。再びトドワラ入口に戻り、レンタサイクルで灯台へ。放牧中の馬と時々すれちがう。ここでは馬は放し飼いなので、近づくと怪我をすると注意書きがある。道を間違えて、漁師の奥さんに聞く、どこか東北なまりだった。
バスに乗って、駅に向かう。運転士さんは、晴天だと国後島を歩く人が双眼鏡で見えると言う。11時40分。苦労して歩いた道を呆気なく走って、駅に着く。テープの案内も良かった。気持ちのいいバスだった。
解説
※1 野付半島
※2 寝袋
前年は寝袋を持たずに、そのまま野宿していたが、北海道なので寒いと思い。今回は寝袋を借りてきていました。
※3 乾パン
前年は、旅費を節約する為にほとんど食べずに旅をしました。家に戻ったら、悲鳴があがるほどやつれてしまいました。今回はその反省もあって、乾パンを持ってきて主食としていました。