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伝えて残したい私の旅路:自己紹介
はじめに
はじめまして。雨男と申します。私の最初のマガジンが終わったところで、自己紹介させていただきます。東京生まれ、東京育ちです。年齢はお察し下さい。鉄道と灯台が大好きな旅人です。国内旅行が好きですが、海外も嫌いではありません。スポーツはラグビーが大好きです。
私の旅路
「月日は百代の過客にして」。私の人生を旅にたとえるとずっと独り旅。他人と交わるのが苦手で、ここまで来てしまいました。旅もひとりが好きでした。アピールするのが大の苦手で、YouTube以外のSNSもやらなかったし、俗世を離れて生きているような感じでした。そんな私でも、旅の記録は残したくて、学生時代はノートに手書きの紀行文を書き、2000年からはテキストのホームページを作っていました。しかし、時代は変わり、ホームページはオワコン化してしまいました。また、旅への情熱が冷め、家庭や仕事の事情も重なり、あまり旅に出なくなりました。
伝えて残したい旅
私が旅を始めたのは、まだ国鉄があった頃でした。北海道には多くのローカル線が走っていて、街は賑わい、列車やユースホステルは旅人で活気がありました。
しかし、好きだった路線は廃線になり、北海道から足が遠のきました。それから月日は流れ、2023年11月、北海道の廃線跡の様子が知りたくて、レンタカーで道央を巡りました。士幌、広尾、富内、夕張・・・。線路が消え、街は寂れ、人の姿もなくなり、その変わり果てた姿に心を痛めました。そして、その旅程で、次に廃線となる根室本線の東鹿越駅に向かいました。
静かに別れを告げるために、雪の降る夕方、敢えて列車が出発した後の、無人の駅舎を訪れました。そこで私よりも、はるかに強い鉄道愛を持った若い旅人に会い、しばし立ち話をしました。彼女の鉄道に対する愛に驚きました。公共交通機関だけを使い廃線跡を訪れ、バスが無ければ、たとえ冬でも、跡地をひとりで歩くとの事でした。しかし、彼女は多くのローカル線が現役だった頃を知らない・・・。私が現役のローカル線に乗った話をすると目を輝かせて聞いてくれました。
北海道の鉄道が元気だった頃の話を伝えたい・・・。しかし、伝える手段もありません(SNSなんて発想は私にあるわけない)。「伝えて残したい旅」が伝わらない・・・。もどかしい思いでその場を離れました。
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一方で、まだ私の知らない北海道が残っていることを教わりました。彼女が語っていた天売島・焼尻島は未踏の地。北海道を卒業するためにも、そこへ行かねばなりません。
noteを始めた理由
2024年9月、念願の天売島を訪れました。ここで、本当に凄い旅人に会いました。50CC原付バイクで北海道をソロキャンプしながら旅をしている若い女性でした。
20代の若い方に「あの時は良かった話」をするのは良くない・・・とは思いながらも、私が昔、紀行文を書いていた事を話しました。SNS全盛の時代、時代錯誤かとも思いましたが、彼女も手書きで旅日記を残しているとの事だったので、理解してくれたと思いました。調子に乗って、紀行文について語りました。もしかしたら、「書く事は大事だよ」なんて言ったかもしれません。
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「釈迦に説法・孔子に悟道」。この方はSNSを駆使する時代の最先端を行く人気クリエイターでした。いわゆる旅のインフルエンサー。2024年12月、noteで彼女のマガジンを読み、美しいインスタの写真や、ネット上の記名記事を通して、その活躍を知りました。文章のプロになんて恥ずかしい事を言ったのだろう・・・。
とりあえずnoteの記事にコメントするためだけに、アカウントを作りました。IDが自動生成のままなのはそのためです。しかし、「書け」と言われた気がしました(実際は、ただの思い込みですが)。とはいえ、今の旅なら、若い人が書けばいい。私にしか書けないのは、過去の旅の紹介や、滞在記録だと思いました。廃線になる前のローカル線の乗車記録、活気があった頃の北海道の街の様子、カニ族の生態、震災前の三陸、自由だった頃の香港、近代化前の中国・・・。
つまり「伝えて残したい旅」です。
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noteを書くために、過去の旅の思い出が詰まった段ボール箱を開封しました。一部紛失しているものもありましたが、いろいろなものが出てきました。紀行文を書き記した手書きノート、旅先で知り合った旅人に書いて貰ったサイン帳、貰った手紙・・・。その中から、16歳の時に書いた紀行文を取り出して読んでみました。40年前の自分に再会しました。そうだ、これを紹介しよう・・・。これがマガジン1作目です。しかし、字が汚い。OCRでも読み取ることができず、ひたすら転記作業を続けました。これが意外と時間がかかる・・・。昔の旅を思い出しての転記作業・・・、いや、覚えていない事が多く、驚きの連続でした。やはり書き残すことは大事。
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連絡方法は手紙しかありませんでした
ちなみに、私は中学時代に、鉄道紀行文作家の宮脇俊三氏の時刻表2万キロを読んで、先生の文章に憧れて紀行文を書き始めました。先生の文章は、難しい表現や、誇張した描写はなく、臨場感があって、ユーモアがあって、それでいて短く読みやすい。本当に好きでした。今でも、先生を越える紀行文作家はいないと思います。
伝えなければならない旅
noteを書き始めて、すぐに思ったことがあります。「伝えて残したい旅」よりも書かなければならない大事な事があるのではないか・・・。悩んでいた時に、前述のクリエイターさんのnoteを読みました。東日本大震災の事に正面から向き合った記事を読んで、決心がつきました。
手元には父が遺した手記があります。満州からの逃避行の記録です。決して楽しい旅ではありません。この手記は父が孫に伝えるために書いたもので、私のものではありません。しかし、私が今の人に「伝えなければならない旅」はこれだ・・・。
今後の記事について
今後も過去の紀行文を中心に書いて行きたいと思います。国内だけではなく、海外編も書く予定です。本当は、しばらく滞在した香港や中国の話もしたいのですがセンシティブな話なので、全ては書けないかもしれません。
あまり過去に遡りすぎて、戻ってこれなくなると困るので、時には今の旅も書きます。私は今も現役の旅人です。ちなみに、北海道の卒業は・・・できません。鉄道やバス路線がある限り旅を続けます(もちろん可能な限り公共交通機関を使います)。
最後に感謝をこめて
SNSが何であるかもわからなかったIT音痴が、ここで創作活動をしているのは、前述のクリエーターさんの存在があったからこそです。本当に感謝しかありません。
noteも主要なSNSと同様に、フォロワーの数や「スキ」の数が表示されますよね。書き始めてから、自分の実力の無さに凹む事もあります(YouTubeでも収益化まで10年以上かかかりました)。
しかし、記事を書くたびに、必ず「スキ」くださる方がいるのは、とても嬉しく、感謝しています。16歳当時の文章を気に入ってくれる方もいます。YouTubeでは届かなかった読者層(視聴者層)にも、届いている気がします。その方々に届けるつもりで、しばらく続ける事ができそうです。ありがとうございます。
今後とも宜しくお願い致します🙇
2025年2月2日
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