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泉涌寺・清少納言の歌碑

 前回、中宮定子が眠る鳥戸野陵を訪れたときのレポをお届けしました。今回は、その続きで、泉涌寺にある清少納言の歌碑について。

 鳥戸野陵を後にして、来た道を戻っていきます。

見事な木漏れ日

 
 途中、木漏れ日があまりに見事で、思わず撮影。我ながら、上手く撮れました(笑)。

 泉涌寺の参道に戻り、またしばらく坂を上っていくと……。

泉涌寺・大門


 大門に到着。堂々とした四脚門です。
 受付で入館料500円を支払って中へ入ります。のんびり歩くには丁度いい広さでした。

仏殿(本堂)


 さて、清少納言の歌碑はどこだろう? ちょっと探してしまったのですが、見つけたときは「えっ、ここ!?」って声が出てしまいました。
 日の当たらない寂しい場所にあったものですから、かなり意外でした。

泉涌寺水屋形


 仏殿の傍らに水屋形がありました。泉水が今も湧き出ているそうです。
そして、左側に視線を移すと……。

見つけた!


清少納言の歌碑


 せっかくの歌碑も経年劣化が酷いです。苔が生え、字はほとんど読めなくなっていました。

「夜をこめて 鳥のそら音にはかるとも 世に逢坂の関はゆるさじ」

 清少納言が藤原行成に宛てた歌で、百人一首に採用されています。あたかも恋愛関係にあるような、戯れのやり取りの中で詠まれました。
 この歌を読み解くには、孟嘗君の故事を知っておく必要があります。

 中国の戦国時代。斉の国の孟嘗君が、秦の国に使者として行ったときのこと。危うく捕らわれそうになり、逃げ出した孟嘗君は、函谷関という関門までやって来ます。そこは朝に鶏が鳴くまでは開けない決まりになっていました。そこで、従者が鶏の泣き真似をして関守を騙し、門を開けさせて追手から逃れることが出来ました。

 清少納言が言いたいのは、「夜が明けないうちに鶏の嘘泣きで関守を騙したとしても、男女が一線を超えるという逢坂の関を超えることは、私は許さない」ということ。つまり、「私はそう簡単には落とせないわよ!」と言っているのです(笑)。

よ、読めない……。


 昭和49年(1974年)に建立されたものですから、そこまで古くはないものですが、文字が読めなくなっているのは残念です。

裏の説明書き


 裏には説明文がありました。平安博物館によって建立されたようです。

清少納言・供養塔


 歌碑の左隣には、清少納言の供養塔もありました。
 ここでも手を合わせて、清少納言にご挨拶。『枕草子』にまつわる小説を何作か書かせてもらっていますからね。多分、まだまだ書いていくでしょう。
 これからも、よろしくお願いします!

月輪陵


 歌碑を通り過ぎて、少し奥に進むと、月輪陵がありました。

これだけの方々が眠っておられる


 四条天皇以下、これだけ多くの方々が眠っておられる場所です。

開山堂


 さて、今回のレポは以上になります。
 参考になれば幸いです。

 次回からは『枕草子』について書いていけたらと思っております。
 お楽しみに!

「中宮定子が眠る鳥戸野陵へ」はコチラ 
 https://note.com/ideal_colt6794/n/n00a6511bf3f0

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