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中宮定子が眠る鳥戸野陵へ

 今より千年も前に、随筆の最高傑作『枕草子』を書いた清少納言
 そんな才女が仕えていたのは藤原定子で、一条天皇の中宮、のちに皇后になりました。
 宮仕えを始めた当初は、緊張で縮こまっていた清少納言ですが、中宮定子の美しさ、聡明さ、何より優しさに震えるような感動を覚え、一生をかけてお支えする、と覚悟を決めたのでした。

 ふたりが身分を超えた深い絆で結ばれていたことは、『枕草子』を読めば、これでもかと伝わってきます。
 現代風に言うなら、清少納言にとって、中宮定子は”推し”といったところでしょうか。

 現在放送中の大河ドラマ『光る君へ』でも、ファーストサマーウイカさん演じる清少納言と、高畑充希さん演じる中宮定子の絆が涙を誘いました。

 私は作家デビューを目指して、立花鏡河(たちばな きょうか)というペンネームで公募に挑戦中ですが、小説投稿サイトのノベマ!で開催された【第44回キャラクター短編小説コンテスト】で特別賞を受賞しました。お題が『十代向け 超新釈”令和版”名作古典文学』でしたので、私は馴染みのあった『枕草子』を選んだのですが、清少納言にとって中宮定子は推しであり、ふたりの関係は百合! という妄想全開で突っ走った作品です(笑)。

 
 さらに第13回角川つばさ文庫小説賞でも、清少納言が令和の世に復活し、中宮定子の生まれ変わりの少女と再会する…という怪作を応募しました(現在選考中)。

 
 そうしたこともあって、「清少納言中宮定子のお二人には、いずれ挨拶せねば!」と思っておりました。
 長すぎた残暑も収まり、ようやく秋めいてきた10月10日、私は京都へと出発したのです。

 降り立ったのは、JR東福寺駅。向かうは、中宮定子が眠っておられる鳥戸野陵。読み方は「とりべののみささぎ」です。さらに、その近くの泉涌寺には清少納言の歌碑と供養塔があるという情報をゲットしていました。この二箇所を巡ろう、というのが今回の目的。
 事前に地図で調べていましたが、かなり歩くことになりそうでした。改札を出るとファミマがありましたので、多めにペットボトルを購入。

 さあ出発! ファミマのある通りを東福寺とは反対方向、北に向かって直進。道幅狭いのに交通量が多いので要注意です。瀬尾神社の所で右折し、しばらく進んでいくと大通りに出ます。交差点を渡り、交番のある細い道を直進すると、泉涌寺総門が見えてきます。

泉涌寺・総門


この門をくぐると参道です


 参道は木々に囲まれ、ひんやりと涼しかったです。坂道になっていますが、そこまで勾配はキツくありません。ただ、参道といえど、幼稚園や中学校があったりで、車が結構通りますので、ここも要注意です。

 しばらく進むと、左手に今熊野観音寺の立て札が見えてきますので、そこを入って、坂を下りていきます。

今熊野観音寺へと至る道

 
 朱色が目に鮮やかな鳥居橋が見えてきますが、渡ってしまうと今熊野観音寺に行ってしまいます。清少納言の父・清原元輔の邸宅があったとされる寺ですので、あとで立ち寄ったのですが、今回のレポでは割愛。

ここを渡ると今熊野観音寺


 鳥居橋を渡らず、右側の下り坂を下りていきます。御寺泉涌寺霊園と書かれた石碑が目印。

鳥居橋の右側の下り坂

 

鳥居橋の真下


 下っていくと、こんな風に鳥居橋の下を通ることになります。寂しい小道なので不安になりつつ進んでいくと……。

鳥戸野陵参道・入口


もうすぐ定子さまに会える!

 はやる気持ちを抑えつつ、石段を上っていく。途中、民家の飼い犬に吠えられてビックリしました(笑)。

 そして、ついに、、、

 見えたーーーーっ!!

ここが鳥戸野陵!


 ここに中宮定子が眠っておられる!

 感動しました。清少納言は晩年、このあたりに住んで余生を過ごしたと言われています。この陵にも、何度も何度もやって来たはずです。
 

中宮定子が眠る地

 
 とにかく定子さまにご挨拶!
 心の中で、特別賞の報告と、何度も定子さまを小説に出していることのお許しを乞う私でありました。

清少納言も手を合わせたはず!


宮内庁の説明書き


 ここには、中宮定子だけでなく、これだけの高貴な方々が眠っておられます。

この光は!?


 天から、やさしい光が降り注いでいました。

 感動のあまり、しばらく佇んでいたのですが、結局、誰も来なかったですね。観光スポットになっても困りますが、中宮定子を推している方は、ぜひ行ってみて下さい!
 このレポが参考になれば幸いです。

京都タワーが見えました


 さて、このあと泉涌寺に行って、清少納言の歌碑を見てきたのですが、それについては次回!
 また近日中にアップします。お楽しみに!

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