成長のきっかけは苛々にあり?
他人の立ち居振る舞いで 腹が立つ 苛々する
そんな経験はありませんか?
ぼくはそれらをきっかに
苛々してしまう事が多々あり
今でも皆無とは言えません...
大人なんだから〇〇するべき
セラピストなんだから〇〇するべき
職場では〇〇するべき
〇〇するべき べきべきべき...
...そう ぼくはべきべき論思考に陥り
固まり 他者を自分の物差しではかり
勝手に苛々していました。
あなたはべきべき論思考に陥ってないですか?
べきべき論思考が形成された要因は
環境 人との関わり 目にした本 テレビ ネット
その他 多くの情報を勝手に解釈し 蓄積し
正しい物差し を勝手に作った結果なのだと思います。
また なぜ苛々してしまっていたのか?
その原因を考えた時
自分にはできない してはいけないと思っていることをしている他者が
羨ましかった 妬んでいた 共感できなかった
のだと思います。
べきべき論思考で生活していると
嫌だな と思う他者がいます
そうすると その人の嫌なところしか
目につかなくなってしまいます。
色眼鏡をかけたり 意識しないようにします。
(しかし 実際には意識しないようにすればするほど逆に意識してしまうのです...)
でも それは勿体ないことでした。
完璧な人などいるはずがなく
人が1人の力で出来ることは限られている。
ぼくの周りには
自分が知らないことを知ってる
自分に出来ないことが出来る
そんな人がたくさんいます。
自分以外の 全 から教わることがあります。
ぼくが 嫌だな と思っている人にも
ぼくにはない魅力 知識 能力 を持っています。
自分に出来ないことがあれば 出来る人に聞く
聞けないのであれば 見て盗む。
盗めないのであれば 他の方法で学びを深める。
他者の良いと思ったことを素直に認め
真似をすれば 自分の成長のきっかけになり
誰かの助けとなる可能性も広がりますよね。
それには先ず 他者を意識する 気にする こと。
自分の勝手な思考や色眼鏡で 他者を判断し
成長のきっかけを失ってしまうのは勿体ない。
やっと そう想い始めました。
見えない目に 眼鏡をかけて矯正し
強制的に視覚からの情報を集めることを控え
目と心を柔らかく 視界に入ってきてくれる
情報を優先する その結果 色眼鏡もはずれてきたように感じます。
また そのお蔭もあり 少しずつではありますが
嫌な人の良い面も見られるようになり苛々も減ってきました。
また ぼくが他者を色眼鏡で見ていたと言うことは ぼくもそのように見られていたのだとわかりました。
嫌いな人や他者の立ち居振る舞いで苛々する
その原因の1つは 自分にないものを持っているからかもしれません。
人のふり見て我がふり直せ。
自分と向き合う 自分を成長させてくれる
そのきっかけをくれるのは
苛々させてくれる人や出来事かもしれません。
他者の振る舞いや 不意な出来事で苛々した時
おっ これは成長のチャンス到来 とそんな
おおらかな気持ちでいられるようになったら
今までより ゆとりもでき 楽しい日々を過ごせるかもしれません。
全てに敬意 respect を
尊敬する方が大切にされている言葉です。
お付き合いくださりありがとうございます。
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