2023/1/18思想とメディア
久しぶりに書き込み
今日気づいたが、
いろんなメディアで専門家や学者が今起きている問題や今後起きるであろう問題、過去起きた問題を語ることが多くある。
今やメディアでの発信はそれを見ようとしている人にしか共有されない。
セルフのフィルターバブルみたいなのが起きている。
今や見たいものだけをみてみたくないものは見ないというのが当たり前で個々人の世界観だけのメディアが完成しつつある。
元々のITの構想はメタバース空間のように誰もがアクセスできる一つのプラットフォームだったがそれは無理だと分かった。
プラットフォームにバグが現れると全てを停止する必要があり、何よりもセキュリティコストが高くなる。
そこで個人別のプラットフォーム構想だ。
言わばマトリックスの最初の世界。
個人別の仮想空間やメディアが今でできようとしている。
マトリックスの世界に一歩足を踏み入れた状態である。
別にそのような空間が何が悪いのかはいまいちわからない。
実存がーとか言うが人によるが無意識下(夢の中)ではそれを考える余地もない。
過去テレビが隆盛した時代では皆がテレビに夢中で一つのコンテンツをみんなで共有することがあった。
今は自分の見えている範囲でしか世界を見れないのでそれが全てであるように思っている人が少なからずいるだろう。アルゴリズムによって選別されたものと知らずに咀嚼して世論であるかのように考えている人が。
資本主義においては1億2千万人中のたった0.1%に名前が知られれば(フォロワー)生きていくには十分なお金を稼ぐことができる。
0.1%の人間の考え方が世論だとは言い難いし、その0.1%はすでにフィルターバブル渦中の人間であるから考え方に偏りが出てくるに違いない。
1つのメディアで「今世間ではこう言う問題がある」といってもそのメディアにアクセスしている人はすでに偏っていることになる。
しかし、嫌なことや興味のないことに目を向けてもそれすらすでに偏っているので真ん中の意見は取れず中庸だけがすっぽり抜けた意見、思想になる。
得られた教訓
どのメディア、プラットフォームにアクセスしてもネット上だけでは極化する為知り合い全員と意見交換するのが良さそう