韋堕天狗

日記とフィクション 思想と観察とダレ書き

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最近の記事

2023/1/20幸せとソフトウェアと身体性と共同体と老婆

幸せとソフトウェアと身体性 身体性の伴う幸福行動と伴わない幸福行動 身体性を伴う幸福行動 登山、茶道、お絵かきなど 身体性を伴わない幸福行動 SNS、サブスクなどのソフトウェア ソフトウェアはスケールし過ぎる コストが低くコピー可能な為ほぼ無限にスケールする そしてその中のコンテンツに身体性は伴わないので何かわかった気になった幸福や感情が拡大しているイメージ 共同体による助け合いや祭りが一種の身体性を伴う幸福行動だったのだろうが 都会ではもうない 共同体的助け合いは

    • 2023/1/18思想とメディア

      久しぶりに書き込み 今日気づいたが、 いろんなメディアで専門家や学者が今起きている問題や今後起きるであろう問題、過去起きた問題を語ることが多くある。 今やメディアでの発信はそれを見ようとしている人にしか共有されない。 セルフのフィルターバブルみたいなのが起きている。 今や見たいものだけをみてみたくないものは見ないというのが当たり前で個々人の世界観だけのメディアが完成しつつある。 元々のITの構想はメタバース空間のように誰もがアクセスできる一つのプラットフォームだった

      • 2022/8/24電極で繋がろう

        言語という壁がある。 壁を感じるのは異なる言語を使用してコミュニケーションをとる人間間で起こる現象である。 言葉をあまり理解していない子供の間では壁はないだろうか。 否 子供の間でも壁が表れる場合がある。 そもそも動物観では言葉によるコミュニケーションはあまりない。 フェロモンや音、表情やボディランゲージによるものが多い。 人間はコミュニケーションを明晰にできたがゆえ反動を食らうことが多い。 たとえば 自分が伝えたと思い込んでしまうこと。 相手の言葉だけを鵜呑みにした

        • 2022/8/20インターネットと民主主義と全体主義

          民主主義とインターネットはどのように関係していくべきだろうか。 民主主義は誰もが権利を持ちうる、下から上への精神を反映するシステムかもしれない。 インターネットは人々にとってほぼ混沌であるかもしれない。 一応制度が成り立っている旧式の権利保護システム と ほとんど制度は決まってないが利用ルールがかっちり決まっているカオスシステム 旧式というのは、何十年も利用ルールが変わっていないという意味で 利用ルールというのは 文法のようなものである。 言語と思っても良い。 そう

          2022/8/17チケットと生

          チケットというものがある。 チケットは何かモノやサービスと交換できる。 あるコミュニティでは ”お金を持っている人がすべての料金を払えばよい。” という考え方があるらしい。 私もその考え方には賛成であるがみんながそんな考え方では資本主義は成り立たない。私の生活も成り立たない。 資本主義が正しいとは思わない。 資本主義の恩恵を受けている人をうらやましいとも思わない。 資本主義であれば健全であるかもしれないが 資本主義でなければ恩恵は健全ではないと思う。 お金をチケットと

          2022/8/17チケットと生

          2022/8/15予期せぬ事故を予期する

          予期せぬ事故 という言葉があるが そもそも事故とは 思いがけず起こった悪いできごと 普段とは違った、悪い出来事 だそうだ。 普段という言葉が気になる。 普段とは いつもその状態であること らしい。 我々はいつも違う毎日を過ごしているが それは普段である。 違いを見出さないことで楽をして一生を過ごそうとしている。 そして毎日違うことが当たり前でその中でもなぜか同じ行動をとってしまう瞬間だけを切り貼りして普段という。 悪い出来事は事故 良い出来事は? 悪い出来事は

          2022/8/15予期せぬ事故を予期する

          2022/8/13雨と晴れ

          カンカン照りと土砂降りは似ている 似ているというのは私が思っているだけである。 実際に自然や人間の生活環境に及ぼす被害は全く違う。 いやそもそも被害というのは自然側は思っていないだろう。 被害を受けていると思うのは人間だけである。 日差しにあたりたくもないが雨に濡れたくもない 屋根のあるところで待ち合わせをして心地よい喫茶にでも入りたい 外は地獄だがそのギリギリまで体を近づけ そこにさらされる人を見ておきたい 心と体が休まったら 自分も外にさらされたい。

          2022/8/13雨と晴れ

          2022/8/11自由不自由

          快適な生活を目指して日々を送っている人は 本当に快適という感情を持ち合わせているか 一瞬は良いと思うだろうがすぐに不満が生まれていないか その不満は判断が先立って感情的な不満が生まれているのではないだろうか エピクテトスは 感情の手前には「判断」がある と言うらしい 感情的な不満の前に理想との対比を行い 優劣をつけている。 そういう意味では快適な生活を目指す人は実用的な 快適という感情や状態を理解できていない可能性がある。 なぜなら 自分の実現可能な快適を完全に理解す

          2022/8/11自由不自由

          2022/8/9無意識の毎日と考える軸

          ある病気の症状で いつもしていたことが分からなくなるというのを聞いた。 健康な人はほとんど無意識の毎日を送っている。が その人は無意識に何をしていたかを思い出せず その状態から自分が意思したことを選択して実行するという。 健康な人とその人ではどちらが自分らしい日を送るだろうか。 いつも通りに毎日を送れる人と いつも違う毎日を送るしかない人。 健康体で何も気にすることなくいつも通り生活している人 よりも 何をどうしたらいいかもわからず自分で選択して生活している人 のほうが

          2022/8/9無意識の毎日と考える軸

          2022/8/8世界観の獲得

          「日差し」というと自分に当たる太陽の眩い光を思い浮かべる。 「せせらぎ」というと小川の近くを歩いている風景が思い浮かぶ。 私にとっての私の世界観はこの程度である。 ディストピアを想像しても曇りが頭の中に浮かんでしまう。 それほど凝り固まっている。 もし自分だけの世界を自分が構築するとなると と 想像すると少し楽しくなる。 でもなぜか土地や気候、人や物をすぐに考えそうになる。 もっと自由でもっとキテレツな世界を求めているのに ありふれたものばかり思い浮かぶ。 これは

          2022/8/8世界観の獲得

          2022・8・7サブカルという旅の始まり

          個々人のサブカルを生活様式として認知しよう。 個々人に認知ほしいと私は思う。 サブカルチャーは一種の主義によって成り立つ。 どのような社会にいてもサブカルチャーは成り立つ。 少数の組織にいても個人として様式やルーティンを持つと 一種のサブカルチャーと言えそうな気がする。 サブがあると言ことはメインがある。 メインカルチャーはいわば主な文化である。 社会や組織において文化という名目で様式を作ることで 効率的になったり士気が上がったり 暇を消したり不幸や幸を分け合ったりで

          2022・8・7サブカルという旅の始まり

          共同体について

          生れは大阪、 これは自分では変えられない共同体。 仕事で東京に、 これは自分で変えることができる共同体。 共同体とは 血縁に基づく家族,地縁に基づく村落,友情に基づく都市などのように,人間に本来備わる本質意思によって結合した有機的統一体としての社会。 -広辞苑 だそうです。 本来備わる本質意思ということであれば 子供には 「血縁に基づく家族,地縁に基づく村落」 について選択の余地はないので その共同体へ属していると言えるのでしょうか。 子供でも家族やその周辺地区の名

          共同体について

          誠実ということ

          主に多くの人が思う誠実さは「やさしさ」や「義理堅さ」というイメージでしょう。 しかし意味は「まじめで、真心があること。」だそうです。 真心とは「うそいつわりのない心。」 らしいです。 「誠実でありたい」 と 「誠実にみられたい」 は全く異なるということですね。 「誠実でありたい」 というのはうそ偽りない心でであること。 つまり自分に嘘はつきたくない。 相手にも嘘はつきたくないというこですね。 言い換えれば我がまま。 誠実というのは自分に厳しいと思われますが実はそ

          誠実ということ

          無知と無限について

          「知るということを教えてやろう。  まず知っているものを知っているとして、  知らないものを知らいないとせよ。」 「それが知るということである。」 誰かがそんなことを言いまいした。 私は言いました。 「わかりません。」 「彼は何も知らないのに何かを知っていると信じており、  これに反して私は何も知りはしないが、知っているとも思っていない。」 誰かがそんなことを言いました。 私は言いました。 「ではあなたは何を知っているのですか?」 自分のことをはわかっている気はする。

          無知と無限について

          知恵と宗教

          宗教の教えについての疑問 宗教には教えがある。 宗教というと日本人は少し身構えます。 初めましての時に 「あなたはどんな宗教を信仰しているの?」 という会話はまず無い。 日本人は宗教についての大きな事件(無差別大量殺人)や身近な罠(無限定な課金)を目の当たりにしているためでしょう。 一方日本以外では大衆的で一般的な事柄であり、人々は基本何かもしくは誰か、を信じています。 そこの住人は教えや知恵という形で思想を内在化し、生きる指針にしているようです。 信仰というのは

          知恵と宗教

          散歩

          宇宙旅行に行きたい。 子供のころ私はそう思いました。 その夢がかなったのは子供のころのインターネットでした。 無料で宇宙についての知識が大量にかつ常に増殖し続けるインターネットの世界。 子供ながら難しい言葉が羅列されているものよりも ただの宇宙の画像や宇宙服の画像に目が行き、心躍らせました。 あっけなくちょっとした妄想がかなってしまった私はふと宇宙飛行士になるにはどうしたらよいか調べました。 何万人に1人という文字を見てあっけなく打ちひしがれたのを覚えています。 最近