無知と無限について

「知るということを教えてやろう。
 まず知っているものを知っているとして、
 知らないものを知らいないとせよ。」
「それが知るということである。」

誰かがそんなことを言いまいした。
私は言いました。
「わかりません。」

「彼は何も知らないのに何かを知っていると信じており、
 これに反して私は何も知りはしないが、知っているとも思っていない。」

誰かがそんなことを言いました。
私は言いました。
「ではあなたは何を知っているのですか?」


自分のことをはわかっている気はする。
気がしているだけかもしれないが、
自分の中のすべては自分で完結してしると思う。

無制限というとどんな項をとってもそのつぎの項があるような系列である。
(n+1)のようなモノ。

無限大というと無制限の系列を含むすべてであるようなモノ。

「至大は外なし。これを大一という。」
誰かがそんなことを言いました。
私は言いました。
「一つの全体を含む全体の場合は「外あり」では?」

「世界全体を認識するための枠組みの中では世界全体はとらえられない。
 なぜならば世界全体はその枠組みをも含むからである。」

誰かがそんなことを言いました。
私は言いました。
「自分に限ってはそんなことはない。
 私の中の世界全体は私以外が証明している。」

得られた教訓
私は何も知らずに死んでいくが、私たちはすべてを認識できる。

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