知恵と宗教
宗教の教えについての疑問
宗教には教えがある。
宗教というと日本人は少し身構えます。
初めましての時に
「あなたはどんな宗教を信仰しているの?」
という会話はまず無い。
日本人は宗教についての大きな事件(無差別大量殺人)や身近な罠(無限定な課金)を目の当たりにしているためでしょう。
一方日本以外では大衆的で一般的な事柄であり、人々は基本何かもしくは誰か、を信じています。
そこの住人は教えや知恵という形で思想を内在化し、生きる指針にしているようです。
信仰というのはある意味広くある意味狭いもので、
モノやシステム、金や時間または自分を大切にに思い、そのために生きる人もいます。
しかし人間が利用し、利用されるようなモノやコトは危うさを含んでおり、それを奇跡と称することでプライオリティが発生しているといえます。
得てして、人間が認知できるモノすべては優先順位が高まる可能性があるともいえるでしょう。
ここでいう優先順位というのは思考の上で成り立つものとしてで、世界やすべての中のという意味ではありません。
しかしながら考えうるものすべてから知恵を学ぶことは難しい。
いくら寿命があろうと永遠と思考しなければならない。
永遠に続く変化のなかで新しく起きる出来事に優先度を設け、新しく教えや知恵を見つける。そしてまた新たな変化に気づく。。。。。
この無限の繰り返しは意味があるかはわからない。
意味の意味もよくはわからない。
意味のないことを探し、信じているとするならば人間の生活や思想なんかも意味はないのであろう。
得られた教訓
大切と思っているものは思っているだけで大切ではない。
ならばせめて幸せであるべし。