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[舞台感想] ラブ・ネバー・ダイ:美はその対価ゆえに美なのか
どのバージョンであるにしろ、この、ベルエポックの時代の、クリスティーヌという天賦の歌姫と辛いハンデを背負った才能の塊のファントムと、それに巻き込まれる人々がうごめく世界観が大好きなんだなと、改めて気付かされたという話です。2回観た感想でがっつりネタバレします。
概要
オペラ座の騒動から10年後の米国。マダム・ジリーとその娘のメグ・ジリーはファントムを匿ってニューヨークの海岸のサーカスのような劇団で興行している。ファントムはクリスティーヌが恋しくてたまらない。そんなとき、クリスティーヌが家族でオペラ公演で米国に来るというニュースを聞きつけ、夫のラウルが多額の借金を抱えているということを利用して自分達の劇団で歌わせる計画を発動させる。が、ある事実を知ることで計画を大きく変更し、それが意外な結末をもたらしてしまう。
感想①:ネバーダイな愛よりもメグ・ジリーに幸せになってほしい
クリスティーヌ、お前とんでもないやつだ。そして、とにかくラウルとメグはそれぞれ幸せになってほしい。というのが1回目観終わった直後の感想でした。グスタフ(息子)がファントムの方へ行った瞬間に、ラウルの報われなさとメグのズタボロメンタルに感情移入しすぎて視界がかすんだ。そして、帰宅後も2人には報われて欲しすぎて、後日談を考えていたら2時間経っていた。年表書きながら、パリで米国風のキャバレーを開業して成功するとか、バレエ・リュスで活躍するとか、色々考えたものの、結局メグとラウルが鉢合わせする展開は避けられそうになく、(ファントムがメグが撃ったとをラウルに伝えそうにないとみると)そこからのハッピーエンドがイメージできなかった。それでも、あの親子はどうにか禁酒法の時代まで生き抜いていきそうな気がしている。
2回目は、やはりメグ・ジリーにどっぷり感情移入しつつ、これは芸術への対価の話なんだ、と妙な切り口にとりつかれた(感想②にて詳細)。きいちゃん(真彩希帆)の歌声がものすごかったのと、宝塚ファントムの時のクリスティーヌ像も含めて「あー彼女はこういうとこあるんだったわ」と冷静になったからかもしれない。それと、グスタフがファントム初対面時に「狂った人に溺れさせられる」夢をみたと語るシーンでぞわっとしたのもある。
オペラ座の怪人が、マダム・ジリーが舞台上の軸になっていると同様に、あるいはそれ以上に目立つ形で本作品はメグ・ジリーが軸になっていると感じる。ファントムとクリスティーヌがもちろん主役だし、その愛の話が表向きテーマになっているわけだけれど、そこだけではこの一連の作品はここまで引力があるものにならない気がする。彼らの愛はとても不安定なもの同士ある種共依存のようであって、美を生み出すという才能ゆえに周りの人が巻き込まれる、という構造であり、彼らに対してあまり共感、感情移入要素がない。よって、どちらも生身の人間というより、とんでもない才能とか芸術の神様の権化とみると、イライラせずに、それに対する周囲の生身の人間の関わり方パターンとして物語の解像度が上がってくる。
オペラ座の怪人の時から、メグがどの程度ファントムのことを知り、クリスティーヌが活躍していく姿に何を思っていたのかが気になっていた。最後のシーンで椅子に残った仮面を見つけたのは彼女というのもずっと引っかかっている。嫉妬というほどではないのだろうけれど、もしファントム(というか音楽の天使という感じ)にレッスンをつけてもらえればスターになれるのでは、ということは考えてもおかしくない。また、今作の母親とのやり取りを聞いていると、母親が強制したのではなく、彼女が自分から身を削って尽くしてきたようにも思える。
感想②:生々しいファンタズマの秘密
ファントムは自分の醜さが美を生み出す対価だと思っているかもしれない。けれど、現実には、スター歌手のクリスティーヌを正規に出演させることも、ファンタズマでやりたいことをするのも、自分では何もできていない。この新しい切り口で冷静にメグのセリフを振り返ると、果たしてファントムはハマースタインの報酬の倍を払い、ラウルの借金を帳消しにする財力なんて今あったのだろうかと疑問に思える。そしてジリー親子に(おそらく)見捨てられたファントムは今後どうやっていくのか。まあ子供の頃と同じようにあのメンバーとサーカス的な興行を続けていくということなんだろう。
ファントムやマダムはサーカス興行になじみがある一方、メグはパリのオペラ座しか知らない。ガチもんの上流階級が観に来て、劇場の経営はある程度安定して、競ってパトロンや支配人、プリマドンナになりたがる人がいる対象。コニーアイランドは全く違う環境になる。メトロポリタンの劇場があるマンハッタンならまだしも、コニーアイランドなんて、まともに芸術がわかる人が来る場所ではない。5回公演とか「お得だ」とか、そう売り込まなきゃ来る人がいない。いくらパリでもパトロンと踊り子の関係があったとしても、このエリアは作品の出来に関係なくあからさまに「対価」だけを目当てにしてくるのだろう。
「秘密を見せてあげる」「全部見せて」のグスタフとのやり取りが、ファントムとメグとでリピートされている。ファントムのいう「秘密」は、からくりと自分の顔のことでしかない。ファントムはやはりファンタジーの中でしか生きておらず、だからこそ人を殺めもするしマダム・ジリーの献身も知らない、メグについても全く気にも留めていないということなんだろう。メグの「秘密」は見たくない、自分自身ですら目をそらしている現実そのもの。
感想③:美術最高すぎるで
舞台美術も最高だけど、衣装もめちゃくちゃかっこいい。中でもウララ・ガールの最初の曲の衣装が大好き。頭に動物の骨をつけてピエロ風のチュチュ型になっている。
グスタフのYes!シーンの鏡の間とそこに現れる謎の骨骨コンビも、舞台ならではの演出というか、曲と相まって素敵だった。爆音すぎて歌詞が分からなくなるところもあるとはいえ、目が足りなくなっているのでいいやと。その後、マダムが箱から出てきたのは、正直面白かった。全く笑っちゃいけないシーンなんだけれど、マダムはそういうところあるよね、と言いたくなってしまう。そういうところが厳しいバレエ教師でも嫌われないところなんだよと。
ということで、また考察が止まらなくなったら書いてみたいと思います。ラブ・ネバ・ダイ、本当に面白い。いっぱい語りたくなる作品でした。