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[感想・考察] Metropolis (1927)から見るAIのある社会

 タイトルとポスターだけ見覚えのあった、恐らくかなり有名な不朽のサイレント映画の一つ。「AI時代の感情/歴史」という今一つイメージがつかめていない新しいクラスの予習課題として観たので、その視点でこの映画から現代に通じるものを自分なりに考察してみたものです。とことんネタバレします。

登場人物とあらすじ

Freder:支配者Joh Fredersenの息子。知識階級(指導者階級)のため上の階で遊んで暮らしていたところ、Mariaに出会うなどして仲介者(Mediator)となる。父親にクビにされた秘書とMariaと3人で扇動された労働者達の子ども達を洪水(機械壊したことによる)から救い、Rotwangを倒し、階級間の和解、父親と番人の握手を仲介する。
Joh Fredersen:支配者としてメトロポリタンを設計し、運営する。Mariaを中心とする労働者達の団結を防ぐためにアンドロイド(Machine-man)を利用しようとする。技術には詳しくなく、専ら発明家(Investor)に頼っている旨の発言がある。
Maria:労働者達の心のよりどころとなっている乙女。知識階級(頭脳)と労働階級(手)は心である仲介者が必要、仲介者を待とうと、地下の礼拝堂のようなところに集まった労働者達に呼びかける。発明家によりアンドロイドにインストールされる。
Rotwang:Joh Fredersenが頼る発明家。故人のFrederの母Helに横恋慕しており、Helを甦らせることと(それに反対する)Johが支配するメトロポリタンの破壊が目的でアンドロイドを作る。知識階級と労働者階級の世界の境界に住んでいる。Mariaを誘拐してアンドロイドにインストールすることでMaria-アンドロイドを作る。執拗にMariaを追っていたところをFrederに邪魔され、死闘を繰り広げる。
番人:Heart Machineというメトロポリタンの根幹となる機械の管理者を務める労働者階級のボス的ポジション。事故死した労働者のポケットに入っていた集会場の地図をJohに渡したことがJohの計画のきっかけとなる。Mariaの存在は知らなかった?
アンドロイド:Maria-アンドロイドはMariaと見た目の区別がつかない。労働者達にMachineの破壊、指導者層への暴動へ煽動する。知識階級には各種欲望を掻き立てさせ、正気を失わせる。番人の先導で労働者達に火あぶりにされた際、オリジナルのメタルなアンドロイドの姿が露わになり人々をぎょっとさせる。

HEAD and HANDS need a mediator. THE MEDIATOR BETWEEN HEAD AND HANDS MUST BE THE HEART!
(「頭脳」と「手」は仲介者が必要。頭脳と手の仲介者は心でなくてはならない!)---Maria

Metropolis (1927) - Quotes - IMDb

仲介者=心(Heart)という条件

 まず第一の条件として、2つの階級の合間の存在である、ことが挙げられる。階級間の調和を説くMaria、物理的に合間に存在して頭脳と手を動かす発明家のRotwang、労働者階級の中でメトロポリタンのシステムを理解し指導する立場にある番人、Frederと入れ替わった労働者も、いずれも合間の存在といえる。Frederは、労働者の子ども達を連れたMariaを追いかけて労働者階級エリアに行き労働者と入れ替わる、という経験をしてから、ただのぼんぼんから合間の存在となる。

 その上で心、という条件がある。Frederがそうしたほかの「合間ポジション」の人々と違うのは、そもそもの性質として他人への共感で行動するところがある点、と見える。まっすぐに訴えるMariaに心を奪われ、その子ども達が暮らしているという労働者の世界に興味をもち、爆発事故を何とも思わない父親に反発し、グビにされた父親の秘書を助け、倒れそうだった労働者と入れ替わりを申し出る、過酷な環境に労働者たちが蜂起するかもと考えるのも。
 Mariaは希望を説き、身を挺して子ども達を助ける一方で「仲介者なんて待ってられない」と憤る労働者に寄り添えていなかった。Rotwangは自分が望むものを実現するためだけにその頭脳と手を使う。番人は頭脳を使ってやるべきことをやる、入れ替わった労働者は別世界の刺激に圧倒されYoshiwara(キャバレー的な歓楽エリア)に飲み込まれたのみ。
 
 ここで気になるのは、Frederが知識階級であることも条件なのかどうかである。労働者階級から仲介者は現れ得ないのだろうか。支配者層・知識階級の余裕が生み出すものでしかないのだろうか。

Maria-アンドロイドをAIとみる

 ひとまずアンドロイド=AIとしてみてみる。労働者=一般人、知識層=インテリ層、支配者=政府、発明家=テック企業、と当てはめられそう。国や社会をどう維持・発展させるかを考えている支配者は、それ無しで成り立たなくなっているMachineを含めて技術のことが、作り手である発明家ほど分かっていない。支配者がオーダーした場合であっても、その狙いが必ずしも技術によって実現されるとは限らず、結局のところ発明家の願望を実現するように作られている。つまり、基本的には経済的な利益が見込めることが前提であり、一部のテック億万長者のように、自分の遺伝子・頭脳を永久に残したい、というような個人的な野望も含まれる。Rotwangのように。

 分断を拡大して自分たちの首を絞めるように扇動するとともに、欲望を刺激して自分勝手になるような影響をもたらす、というMaria-アンドロイドの役割は、SNS(のアルゴリズム)の影響としてむしろ指摘されてきた部分である。ただし、アンドロイドの導入理由が支配者の視点=労働者の管理、であるところが、また、人格を持つようにみえ諸悪の根源として罰する対象となり得る点で、AI的であるとも思う。
 (一方で、Maria-アンドロイドはブラックボックスで暴走しているわけではなく、発明家の意図したとおりに動いている点、また、不思議と労働者の「監視」をするわけではない点、を思うと、AIと捉えた解釈はやはり今一つ座りが悪いようにも感じる。が、このまま行くこととする。)

 仲介者は未来に必要なパーツとして空席にする。そこで、現代においてMariaに該当するものを考えると、知識階級から仲介者を生み出すきっかけとなり、世界について新しい視点を与え、発明家にとって転用価値のあるもの、としたら、芸術、思想、宗教(に携わる人)といったところだろうか。Mariaは宗教家のような感じではあるけれども、そのルックスの美しさが強調されているところから仮に芸術と解釈してみる。と、昨今の生成系AIの創作分野への進出は、Maria-アンドロイド的な影響をもたらすのかもしれない、なんて解釈ができる。確かに、新薬の発見よりビジネスコンサル的な役割より監視より、自然言語的な文章や画像を作り出すものが出てきたことによってお祭り騒ぎになり、それに伴って開発が加速している。AIが作ったものか人間が作ったものかの見分けがつかなくなりつつある。それらがインターネットの中で人々を扇動し、粗悪な刺激物としてのコンテンツを蔓延・増殖させていく可能性はあるだろう。その場合、結局は将来、社会の崩壊と同じくしてそうしたAIを糾弾し、排除することとなるのかもしれない。

仲介者を待つ世界

 この当てはめで考えると、支配者・知識階級から生まれ、芸術を愛し、共感の心を行動原理とし、実務的に将来世代を救い、現在のテック企業に相対する、そんな何かが分断・格差の世界を結び合わせる鍵になるということになる。よって、Frederがなぜ仲介者になり得たのか、というポイントを深堀りすることで、AIによってMaria-アンドロイドがもたらすような問題に直面した状況を解決するために何が必要か、その要素を知り、備えることができるのかもしれない。

※ヘッダー画像はWikipediaより。公開時のHeinz Schulz-Neudammによるポスター、MoMA所蔵とのこと。
By Illustration by Heinz Schulz-Neudamm. Distributed by UFA. - https://www.moma.org/collection/works/88251, PD-US, https://en.wikipedia.org/w/index.php?curid=63350586

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