主体的に柔軟に工夫する

どうも。伊田錦です。

今日も、思い出語りを。



養護学校時代


以前にも、話したが。

僕は中学生時代、入院と養護学校生活を経験した。

一般的に、入院や養護学校というと、あまりポジティブなイメージは沸かないのかもしれない。

だが、僕にとっては良い経験だった。

入院中は、自分の身体と心と向き合う時間だった。

命に直接関わるような病気や手術、入院ではなかったが、自分も含めていろんな人生と出会えた場でもあった。

自分よりも年下なのに、自分よりも過酷な治療をしている子。

同年代で、自分と同じように治療している子。

養護学校でもそうだった。

自分の病気と向き合いながら、学校に通っている子。

自分のペースで授業に参加する子。

多様な病気や障害、事情を踏まえた上で、誰も取りこぼさず、それぞれのペースで学校生活を送ったこと。

「できないことがある。」
「みんなと僕は違う。」
「前はできたけど今はできない。」

1人1人、できることやペース、タイミングが異なる中で。

「そんな中でも」
「だからこそ」
「どうすれば」

【違いを受け入れ、工夫と柔軟で共に楽しむことができる。】

大げさかもしれないけど、養護学校でそんなことを学んだ。


ピアサポート活動時代


場面は変わり、大学生時代。

大学のピアサポートグループに所属していた。

平たく言えば、同じ大学生の立場から大学生活をサポートしよう。という活動をしていた。
(ややこしい)

主な活動は、悩み相談を受けたり、居場所の提供、勉強会や各種イベントの開催など。

学生自らが考え、運営し、手探りながら活動していた。


なぜ、急にピアサポート活動の話が出てきたのか。

それは、中学生時代の養護学校での思い出と大学生時代のピアサポート活動の思い出が、僕の中で強く印象に残っているからだ。

この2つの経験には、共通点がある。

それは、“少人数の中で主体的に関わっていた。”ということだ。

少人数の関わり合いの中で、自分の役割を見つけることができ。

他者へ働きかけたり、提案したりすることができ。

ありのままの自分が受け入れられた感覚があった。

だから当時を思い出すと、イヤなこともあったけれど、「楽しかった」とか「経験してよかった」などの感情が最初に出てくるのだろう。


大勢の中の1人


それに対して思い出すのは、高校生時代。

1クラスだいたい30人から40人くらい?(もう覚えてないが)で構成されていた。

クラスの中には、一度もまともに喋ったことがない人もいた。

そんな中で、ふと思ってしまった。

「俺、このクラスに必要か?」
「俺1人居なくなっても何も問題ないのでは?」

一応友だちはいたが、それでもクラスの中の自分としての役割や居場所を感じられなかった。

“大勢の中の1人でしかない”自分に価値を感じることができなかった。


別に、学校が悪いとか先生やクラスメートが悪いとか言いたいわけじゃない。

むしろ、いろいろ接し方や振る舞い方を間違えていた俺が良くなかった。

でも。

自分らしくいられていたかというと、決してそうではなかったと思う。

何かを責めたいわけではなく。

時間が経ち、改めて考えることができるようになった。

というだけの話だ。


おわりに


結局なにが言いたかったのか、自分でも分からないが。

良くも悪くも、今の自分に影響を与えた出来事だったのだろう。

では。また。いつか。

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