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子どもと自分。気づき満載!
人間国宝、坂東玉三郎さんが、
「潤いを持つためにすることは何ですか?」と質問され、
「朝日と夕日を見ること。潤いを持つためには、それしかない」と、お話していたそうです。
『お話しと素踊り』を、子どもが観に行って、教えてくれた、玉三郎さんの言葉です。
私は、会場のLINECUBEに、子どもをイレコミに行ったその足で、ロフトやハンズで水周り用品を物色しました。
終演後、「すごくお腹が空いた」という子どもと待ち合わせて、パスタを食べながら、前述の話し、
「朝日と夕日って聞いたとき、お母さんも同じこと言ってたって思った」
「やっぱり太陽ってなんかあるんだよ」
「アタシ、タマサブロウと同じなんですぅ~って、自慢したら?」
「タカサブロウ、ですぅ~。他にはなんて言ってた?」
「芸術や音楽に触れると、豊かになる」
「うん、うん。そうだよね~」
「人との繋がりで、今の私が出来たって。繋がりを大事にしたから。それは1番に言ってた」
「それ、パパにも教えてあげて」
ところで、ある方のご縁により、幼児のころから歌舞伎を観ていた子どもは、歌舞伎役者の化粧した顔も大好きで、日本古来のものが好き。
人との繋がりによって出来たもの、かも。
「うん。やっぱり、たまに(外に)出てくるといいね。今日、パンフいっぱいもらってきたから、今度オーケストラ聴きたい。でも、みんな平日なの……」
「あの、休校日に、オーケストラのチケット取ってあるから」
「あー、あれ、そうなんだ」
「やすこ、おおたに……」
やっぱり、やっぱり、芸術も音楽も人生を味わい深くしてくれる。
お金が幾ばくがかかるけど、心を動かすことをやめてまで節約しても、余計に苦しくなるばかり。
私は、心を動かすとき、自由になっているんだから。
玉三郎さんに少しでもあやかって、
出会いや芸術からの刺激を受けて、
豊かさを感じることに、手を緩めない。
まったく関係ないけど、子どもが可愛いことを言った。
「(名前)ね、〇〇だから、終わって出るとき、パンフレット全部落としちゃって、全部拾ったけど、後ろの人達が出れなかったの」
慰めて欲しかったのか、〇〇だからって、わざわざ自分を低くした言い方をする。
〇〇が何だったか、忘れちゃったけど、失敗しちゃったと思ったのかな?
終演後に、夜の景色に変わった東急ハンズまでおいで、入口にいるからって、待ち合わせしたけど、上手く会えなくて……。
やっぱり、まだ子どもなんだって思って、私は荷物をいっぱい持ってたけど、こちらから迎えに行ってあげたら良かった。可哀想なことをした。
でも、こうして子どもの名残を垣間見て、可愛いって思える。
まさか、心の奥底で、子どもが子どもであることを確認したくての待ち合わせ?
なんて思うと、心拍数が上がる。
いや、子どもを過信しただけなのだよ。
限られた時間の中で、もっと子どもを可愛がるにはどうしたらいいのかな。
なんだこれ、可愛がるには叩いてみる って変換が、勝手に出たぞ!
恐ろしや。
親に放置されていた子どもが結婚して、子を産んでも、可愛がるということが分からなかったりするから、いつも私は、私を見張っているのです。
ありがとう。生まれてくれて。