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リレー小説#2 不穏

連載、リレー小説の2作目。第2走者(作者)は雨合忍です。

【リレー小説】2話目 作:雨合忍

 集団下校なんて、小学生の時以来だろうか。帰る方向が同じ人同士で集まり、濡れたアスファルトの上を進んでいく。普段なら出歩かない時間だということと、文化祭前日の高揚感が相まって、どこか奇妙な陽気さが皆を包んでいる。私の淡い期待はあっけなく雨に流されてしまったけれど。前を行く男子の声が、それに応える女子の笑い声が、雨に負けじと響く。耳が痛い。きっと、実際よりも大きく聞こえているんだろう。
「文化祭終わったらすぐテストとかふざけてるよなうちの学校」
「思い出させんなよ忘れてたのに」
「うちあれ読み終わってないわー、なんだっけあの話」
「羅生門?」
「そーそれそれ」
 会話は否応なしに耳に入る。らしょうもん。らしょうもん。頭の中でひらがなが現れては消えた。そんな小説、読んだっけ?
「野木はどうせ勉強してねえだろ」
「俺もう読み終わったよ」
 皆の話は当然のように進んでいく。私は一人冷や汗をかいた。「羅生門」。作者は太宰治。それは分かる。でも、授業の内容が全く思い出せない。芥川龍之介の「藪の中」なら読んだ気がする。でも言い出せなかった。「まー、まずは学祭っしょ」
 隣で歩いていた子が声を張り上げた。
「名画喫茶ー!」
「いえーい!」
 「名画喫茶」。そう聞いた途端、全身が冷たくなった。頭の中をどこかで聞いたクラシックが流れる。クラスメイトが練習をしている姿も浮かぶ。私は、どこにいたのだろう。何を見て、何を聴いていたんだろう。野木くん、と小さな声で呟いた。彼の存在だけは本物だと確かめるように。
いよいよ本降りになってきた雨に、私の声はいとも簡単にかき消される。
震える手を隠しながら歩き続ける今は10時12分。

 脱いだ靴を丁寧に揃える。濡れた服を脱ぎ洗濯機に入れる。クローゼットから、しわ一つない服を取り出す。「モデルルームかと思った」。人に見せれば必ずそう返ってくるほど、すっきりとした部屋を机へと進む。整理されたファイルとMac。ほこりなどないのは言うまでもない。私は何処に何が在るかきちんと把握している。自分が何をすべきかも。Macを起動し、液晶画面に映る時刻を確認する。あと1時間くらいは仕事をしても差し支えないだろう。

「お前は建築家向きだよ。その性格じゃなきゃ無理だ」

 かつて彼はそう言った。相手の要望を聞くことも、計画をたてることも、問題があったら解決することも、相応の根気ときめ細かさを要する。
そうだな。それをずっと建築だけに向けていられたら良かった。
私の細い指はキーボードの上を軽やかに動き回る。少し前まで、冷たいナイフの柄を握っていた指。どちらにも違いはない。
穏やかな旋律を奏でるように動いていた手は、ぴたりと止まった。ジリリリ、という携帯電話の着信音。手はキーボードから、シルバーのスマートフォンへと移る。
余嶋。
指先が受話器のマークに触れ、すっと横にずれる。10時12分。

 眩暈がする。心臓がいやに大きな音を立てている。ゆっくりと上昇していく観覧車のせいか、目の前に座った男のせいか。これだけ狭い空間に二人きりでいると、沈黙はより密度を増す気がする。ネクタイを緩めたくなった。濃くどっぷりとした静けさに、僕は早くも呑まれそうだ。余嶋の瞳が笑っているように見えた。
「そんなに興味がおありだとは」
「誰だって気になるでしょう。ただ方法を知らないだけです」
「知ったら、なかったことにはできませんよ」
「ええ。だから観覧車に乗っているんでしょう」
 光り、次々と色を変える観覧車。外から眺める分には、きっと綺麗だろう。動き始めたものは、もう僕の力ではどうしようもない。
「まあ、ここら辺ではそれが妥当ですから」
 観覧車はどんどん上昇し、鼓動はますます速まる。僕は努めて静かな声を出した。
「ですから、お願いします」
「未来が見たいとは、よく言いますね。過去は顧みないのに」
 余嶋は僕の未来を知っている。それと引き換えに、僕は彼が接触したがっている人物の情報を差し出す。そういう取り決めだ。交換する情報量の差は大きい気がするが。どんな大金を払ってもいいから未来が知りたい。そう言った時、しかし、余嶋が提示した条件はそれだけだった。
 雨音が戻ってきた。まもなく観覧車は一周を終える。外の様子はよく見えない。光の洪水が、水に滲んで溶けていた。
「言ったでしょう。幻想は矛盾を孕んだものであると」
 余嶋の声からは、丁寧さがすっかり抜け渇ききっていた。
観覧車を降り、彼が立ち去ってからもしばらく僕はその場に突っ立ったままだった。十時十二分、雨は上がらない。

3話目に続く

【今回の作者紹介】
雨合忍
文学専攻。英文学といわゆる「少女小説」、YA小説が好き。映画オタクでもある。


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