ハヴィガーストの発達課題~幸福に生きる上で乗り越えるべき課題
こんにちは。所長です。
教育学部で教育学を一番最初に学んだときの試験課題が、発達課題というもので、大変衝撃を受けた記憶があります。
今回は発達課題についてまとめてみます。
人生の中に潜む課題
人間の生涯には、発達課題というものが存在しています。
では発達課題とはどういうものでしょうか。
発達課題とは
人には一生涯の中にそれぞれの年齢に応じた発達課題が存在し、その課題を解決することで人は幸福になり、逆に乗り越えられないと社会で認められなかったりその後の課題解決も困難になったりする。
というものです。
この提言をしたのが、アメリカの教育学者ハヴィガーストです。
5段階の発達課題
ハヴィガーストは発達課題を「幼児期」「児童期」「青年期」「壮年期」「老年期」の5段階に分けています。
幼児期では歩行、話す、兄弟との結びつきから善悪を学びます。その多くを母親から学ぶので母親の役割は重要と説いています。
児童期では友達と仲良くする、遊びを通じての身体的発達、読み書き計算の基礎能力などを発達させることが求められます。そのため活動の主体は家庭から学校になり、道徳や社会性を学んでいきます。
青年期では両親や大人からの独立、経済的独立などが挙げられています。
そして一市民としてどのように責任を持って生きていくかといった人生観を持つことが重要としています。
壮年期では、配偶者を選び子どもを育てる、社会的責任を達成する、年老いた両親に適応するといった場面が見られます。
そしてハヴィガーストは、この時期こそ教育が大事と訴えています。
老年期では肉体的衰退と健康の不安に適応すること、収入の減少や配偶者の死に適応するなど、年齢的な課題に対応することが求められています。
発達課題を克服するために教育は存在する
このように、人間には各年齢や世代に応じて様々な課題に直面するものであり、この課題を克服するために人は教育を受けるもの、とまとめています。
そして発達課題が存在するから、教育が存在するとも述べています。
確かに幼稚園や小学校、中学校、高校、大学といった教育機関は、それぞれの発達課題の解決に向けてカリキュラムを作成していますし、課題を解決できるよう教師や教員は奔走しています。
人はなぜ教育を受けるのか。教育が存在するのか。
その根幹に発達課題があるからなのです。
まとめ
今回記事を執筆するにあたり、久しぶりに発達課題に関するテキストやリポート等を読んでみましたが、本当にその通りだなと感じます。
人が成長するにつれて、時に生きづらいと感じる場面があると思いますが、その背景には発達課題の解決ができていないことにあるかもしれません。
課題を乗り越えるために解決方法を探したり知識を得たりする。
そうした行動も、実はある意味教育とも言えるのかもしれませんね。