くせを炙り出す山小屋の日々
さすがにずっと山では生きていけないなあ。
そういう気持ちを胸にしまい、12年前に山小屋で働くことに一区切りつけた記憶がある。
その時は結婚するつもりでいたし、東京で生き方をもう一度模索しようとしていた。
その頃はもう少し人生が楽観的で、真剣味を求めていた。
そのなんならまだ何者かになれるのでは?という足掻き(あがき)のようなものもあった気がする。
山小屋という楽な生き方(楽ではないのだが)は、知的労働の少ない運動率の高い仕事ばかりしていては、自分をダメにするなあという危惧もあったのだろう。
山小屋家業というのは、仕事と生活が直結している。山に来るお客さんをもてなし、体を動かし食事を運び寝床を整え、3食ついて早寝早起き。
あまりに健康的だけど、何年も働きに来るスタッフは少ない。
一生に一度ぐらいこのチャンスに住み込みで街を離れて働きたい。
そいういう人達の人生の狭間時間によって山小屋は成り立っている。
狭間に迷い込んでいるので。
年相応という言葉を置いて、皆若く、皆青い。
小屋には浮世離れした人、浮世離れしたい人が集まるわけで
あたりを見回すと皆、周りは変な人が多くて、自分が一番マトモだと思っているフシがある。
こういう感想を持ってしまうのは、人間のもつ一種の持病だと思われるが小屋のスタッフは皆それぞれ豊かな人間味を感じる。
毎日同じルーチンで集団生活をすれば、自ずとくせが浮き出るのだ。
ご飯の食べ方、休憩の過ごし方、休みの行動、寝る前のお喋り。
人間どこに住もうと、自分のくせを炙り出す時間が必要なのだろうか。
僕と言えば、山を降りて東京にいる時から浮世離れした女性に寄生して
浮世離れしたラーメン屋の常連になり、
浮世離れした山小屋に戻ってきてしまっている。
地上波の入らない山小屋のテレビ画面からは、更に現実感のないBSのワールドニュースが流れることで、世間や人波から流されない日々を送る。
自分のくせが実社会とのバランス良く歩調を保てないことを知った10年。
僕はマイペースなんです。
という言葉で片付けるには収まりがつかないほど、右往左往した街での生活。
梅雨が明けて夏が始まる予感。
3連休はシンプルに忙しくて、街以上に人波に襲われた。
天気予報はまだぐずついているけど
くせの少ない清々しい朝。天気予報しか見ない日々もあっという間に過ぎて
日々が過ぎてくのを恐れて、朝の狭間に書き留めたくなるのも、くせの一つだろうか。