反撃
何に反撃したいですか?
ソン・ウォンピョン氏の『三十の反撃』を読んだ。著者の最初の邦訳書である『アーモンド』は日本でもベストセラーとなり本屋大賞も受賞した。人間の虚無感を描いた文章は静けさの中にも共感を呼ぶ部分があった。それと対比すると、本著は若者世代が感じる不条理をダイレクトに書いた作品だったように感じる。
韓国に駐在していた時、自身も30代前半だった。赴任の約半年前に元妻は育児ノイローゼになり(私自身の至らなさで、そうさせてしまった部分も多々ある)、それから別居生活が始まっての矢先だった。自身や家族の未来がどうなるかも全く予測がつかない中で、仕事ではナショナルスタッフの管理・教育をしながら、韓国の超大手財閥企業を相手に研究や技術サポートを行うという難しい仕事をこなさなければならなかった。
そんな中で、同僚達とは喜怒哀楽(怒が一番多かったけれど)の日々を過ごして大酒を飲んだり、時には孤独な旅を行ったり。ソウルの地下鉄は当時の路線は全部乗ったし、ソウル競馬場で外国人インタビューを受けたり、各地の遺跡や城巡りをしたり、ソラク山から日本海を眺めたり。会社支給のiPhoneの地図では、日本海は東海と書かれてたっけ。そういえば、同じ地域を営業仲間とも言ったけど、一人でバスの旅をした時と、車を運転してもらって助手席に乗ってた旅だと、全然快適さが違ったけれど、それは車の乗り心地だったのか、居心地が良かったためだったのだろうか。
日韓問題も起こったり、北朝鮮の不穏な動きもあったり、その頃は北の国境近くの街では戦車を見かけたこともあった。セウォル号が沈没したその週末は近所の食堂のおばちゃんも悲しんでいた。お気に入りのドーナツ屋は店長が二回も変わったり、散髪屋のおばちゃんにお任せと言ったら韓国カットになったり、塾の先生とご飯を食べに行ったり、たまにその塾で勉強している先生の息子に会ったり。先生の息子も幼かったから、自分の息子は元気だろうかとふと現実を見つめ返したり。
駐在の二年間、自分は自我を制御できない感情の塊だったように感じる。一方でマトリョーシカのように何重もの仮面をかぶって日常を面白おかしく生きているふりをしていたピエロのような存在だった気もする。殆ど何もうまくはできなかったけれど、その中で情熱もあれば、後悔もあれば、孤独も味わったし、仲間の絆を感じた瞬間もたくさんあった。帰国が近づくと、帰国後に家族一緒に住めるのかどうか苦痛と不安で潰されそうな日を過ごした。そんな中で旅をしながら、お世話になった人たちのことを思い返すと、何故か自分は生かされているということがふいに心に湧いてきて、高速バスの中で、一人声を殺して号泣していたこともあった。
当時の自分が、今の自分に会ったとしたら、きっと反撃されてしまうんだろうなぁ。離婚したことに対してもそうだろうし、虚無感や疎外感について語ってることもそうだろうし。一方で、今の自分は諸行無常を受け止められるし、能動的な愛を理解できるし、自分の弱さも受け止められるようになった。だから、当時の自分自身をきっと優しく受け止めてあげることもできる。少しだけ羨ましいと思いながら。
人間が年を取ることは不可逆だから、この変化が成長や成熟なのか、はたまた後退や劣化なのかは正直分からない。ただ、そんなこととは関係なく時は進んでいく。その事実を受け止められるようになったことは、悪くはないことだろうと感じながら、韓国時代を懐かしんでみる。本に何度もソウルの知った地名や風景が出てきたため、少しだけ感傷的になりながら、たまには気持ちの赴くままに書いてみるのも良いものだと感じた一日だった。