孤独
どんな時に孤独を感じますか?
ノリーナ・ハーツ氏の『The LONELY CENTURY なぜ私たちは「孤独」なのか』を読んだ。著者の本は初めて読んだが、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの名誉教授で、これまでも社会や現代に対しての様々な著書がある。本著では、ネオリベラリズムと資本主義に起因する競争、格差の中でコミュニティーの崩壊と分断が起こり、さらにスマホなどのテクノロジーによる監視や緊張で精神が休まる間もない状態が、孤独を助長しているという流れで話はされている。また、孤独とは、物理的に独りでいる場合だけでなく、お互い一緒にいてもスマホを見ていたらそれぞれ孤独だし、信頼や信用が出来なければ集団の中で孤独を感じることも述べられている。孤独をビジネスにして、レンタルフレンドやAIロボット、さらにはセックスドールなど、様々なシステムやテクノロジーも生まれてきている。このように、21世紀は孤独を助長する流れが出来ており、こういった中でいかに個々人が責任をもってコミュニティーを創り、孤独を解消していけるかが重要であるということで結ばれている。
孤独とは、そもそも人間関係があって初めて生じるものである。世界に自分独りしかいなければ、もしくは群れずに独りで生きていけるならば、孤独という概念がそもそも生じない。ただし、人間は弱い生物であったため、他者と意思疎通を図り、コミュニケーションにより弱さを補いながら、長い年月を生き抜いてきた。独りで生きていくと生存確率が下がるため、様々な感情を想起して独りになることを避けるように、遺伝子レベルでもインプットされてきている。それなのに、今の世の中は競争と分断で個を感じずにはいられない世界になっているから、孤独を感じるのも仕方ない。
孤独が他者との人間関係によって生じるなら、他者が多ければ多いほど、孤独の概念が増大することが考えられる。昔は狭いコミュニティーの中での生活が主体であったが、核家族や都市化に伴いコミュニティーが崩壊し、一方でネット社会による見えない無数の他者と関わるケースが増えてきた。このような見えない他者の存在に振り回され、いいねの数を競ったりしているうちに、自己と虚像が倒錯してしまい、虚無感と孤独に苛まれる。そんなケースも増えてきているように感じる。
そもそも、精神や心というものは内側にあるもので、外側の世界とは無関係のものである。だから、孤独を感じるというのも内面の話であって外的環境とは本来無縁のはずである。ただし、自己が矮小化されたり肥大化されてしまうと、人間関係がうまくいかずにコミュニケーション不全になり、そこから不安や猜疑心が生まれ、孤独を感じ精神をむしばまれてしまう。だから、自己をありのままの等身大で捉え、かつ外的環境をありのままに認識することが、精神を健全に保つ上では重要だと感じる。
ただ、人は超人ではないから、時には感情の波に飲み込まれる。そういう時は、そっと寄り添って話を聞く。そういう弱さを見せられる相手を、健全な時に作っておくことが何よりも重要だと感じる。人は不思議なもので、与えることで喜びを感じるように出来ている。これも社会性をもつ人間ならではの特徴のように感じる。だからこそ、日頃から与えることを意識して、与える相手がいることに感謝して生きていくことが大切なのかもしれない。与えることを繰り返していると、その行為をするだけで孤独は薄らぐし、時にはリアクションをもらえてうれしい気持ちになることもある。そんな風に肩の力を抜きながら、日々の対人関係を過ごしていれば、独りの時も集団の中でも孤独は感じにくくなるのかなと思う。そういった生き方を、最近ようやく少しはできるようになってきたかなと思う今日この頃である。