緊急事態
ステイホームで何をしますか?
四度目の緊急事態宣言。正直なところ、宣言に効果があるのかどうかは疑わしいものの、逼迫した医療体制をはじめ、少しでもエッセンシャルワーカーの苦しみが認知され、宣言がでることで心理的負荷が軽減されるのであれば、それも意味があることなのではと思う。
そもそも、緊急事態とは何なのか。もちろん、物理的に人の死亡率が高まっている状況は緊急事態と言えるのだろうけれど、そのような状態の中でも、資本主義下での競争をしなければならないこと自体が、本質的な緊急事態のように感じる。自由主義とセットで、個々人に経済的責任が付与される構造となって以来、競争しなければ生きていくための金銭を得ることもできない。だから、緊急事態でも歩みを止められないし、ややもすると緊急事態というピンチはチャンスだとリフレーミングして、競争を乗り切ろうとしている企業や経営者もいる。また、不安だからこそ、職場というコミュニティーに人間関係や癒しを求めて、感染リスクを負いながらも働き続ける人も一定数はいるように感じる。
マネージャーという立場としては、このような状況の中でも成果の維持向上が求められ、部門内ではコロナ疲れによる体調不良者も抱えながら、ワクチン接種の副反応による欠勤などにも対応して、発熱者がいたら対応に苦慮しながらも、シフトなどを考えていく必要がある。そんな中で、アジア圏の顧客は比較的コロナを抑え込んでいるため、経済活動も依然として活発なわけで、その顧客へ価値提供をしようとしている競合他社は世界各国にいる訳だから、コロナの状況も一様ではなく、格差がある中での競争を強いられている。随分と難しい時代でマネージメントをしているものだ。
グローバルの中でも、コロナに対する考えは国毎に本当に異なっていて、世界が歩みを揃えるのはほぼ不可能と言っても良い。本来であれば、ピンチな時にこそ全体最適化の視点で主導ができるシステムや構造が必要なはずだが、そういったことが期待されるWHOなどの機関も役に立ってるとは言い難い(せいぜい、感染リスクや状況の情報を出しているだけだ)。そうなれば、結局できることは国毎の部分最適化でしかなく、その国内での地域毎の部分最適化でしかなく、その地域の企業毎、公共機関毎の部分最適化、それが家庭や個人レベルに落ちていって、結局は全責任が個人に課される。今の世の中の形は、全体最適が本当に難しくなってしまった。SDGsは平常時に掲げられた理念なのである程度は浸透しているものの、完全に機能しているとは言い難い。ましてや、コロナといった予想外のことに対して一致団結するには、人は増えすぎたし、人の能力も超えてしまった感がある。
だから、簡単なのは諦めることだけれど、それだと人生も楽しいことにはならないので、可能な範囲でも部分最適化を試みてみる。自分の周囲の人たちが少しでも前向きに働ける職場環境を作ってみる。それが給与などの衛星要因を満たすだけでなく、競争に明け暮れるでもなく、個々の動機付けからなり立つ組織づくりを目指してみる。結局は、自分のできることにフォーカスするしかないのかという結論に毎回至る。そして、自身で納得した上で、1 on 1の面談を今日も対応する。
続けていればよいこともあって、今日は若手のメンバー2名の1 on 1があったけれど、やりがいのある仕事が出来ていて嬉しいとのフィードバックがあった。そういうフィードバックを期待していた訳でもなく、すべきことを粛々としていただけだが、ポジティブな返信をもらえると気分も良い。見返りを求めないからこそ、何かもらえた時は嬉しくなる。どうしたら良いか答えなど分からないけれど、それでも気持ちだけは切らさずに、周囲の人と向き合うことが、苦境を乗り切る一つの手段になるだろうと思いつつ、週末はゆっくり家で休んで、来週に備えていきたいと思う。