見出し画像

『益岡和朗クィア小説選 しらゆきと書店員』試し読み

成城大学文芸部二十五周年を記念し、創設者であり、《ますく堂なまけもの叢書》発行人である益岡が初の個人創作集を刊行しました。
本記事では試し読みとして表題作としたレズビアンカップルが活躍する超能力SF連作「しらゆきと書店員」より、第一篇の「男の子が暴走している」を公開いたします。
お気に召した方は是非、文学フリマ東京で手に取ってみて下さい。
また、イベント後は大阪阿倍野の「古書ますく堂」、神保町の共同書店「PASSAGE」の他、通信販売でもお求めいただけます。
どうぞよろしくお願い致します。

■男の子が暴走している


「ちょっと来てごらんよ、書店員」
 淑子のことを書店員と呼ぶのは、しらゆきだけだ。
「ほら、これ、見て」
 ソファに寝ころびながら動画を見ていたしらゆきが、身体を起こして端末を掲げる。小さなモニターの中で若手人気アイドルの鳩町蛍人が、自信満々にフリップを掲げ、〈抜き打ち恋愛テスト〉に答えている。

①ずばり、告白の場所とセリフは?
図書館でさりげなく、勉強に熱中しているターゲットの前に座り、ふと、目があった瞬間に
「やっと気づいてくれた。オレ、ずっとオマエを見てた。今だけじゃない。このところ、気づくとずっとオマエのことばかり考えてる……オマエさえよかったら、オレと付き合ってほしい」

②仕事で疲れている彼女と久しぶりのおうちデート。あなたの家にやってきた彼女に、なんて声をかける?
「今日はオマエのための一日だから、オレが飯作るよ。何か食べたいもの、ある?」

③恋人がいながら、別の人を好きになってしまったあなた。何年もつきあってきた恋人になんと言って別れる? 
「ごめん。オレ、今、自分にうそついてる。オマエが変わらず好きだって。でも、もう限界。こんな気持ちで一緒にいるのは失礼だと思うし、つらい。別れてほしい」
 
「どう思う?」しらゆきが楽しげに聞く。
「告白の場所はクラシカルでいいね」と書店員。
「どこが? 『耳をすませば』のパクリじゃん」
「いや、十代の子があの映画を踏まえているというのは、ちょっと感動だよ」
「書店員はロマンチストだからな。わたしはあの映画、きらい。っていうか、あの主人公の男の子がきらい」
「なんで? すっごくかっこいいよ、アマサワセイジ」
「ふーん、ああいうのがいいんだ」
 こういうときのしらゆきはかわいい。アニメ映画の中の男の子に嫉妬する四十代女子。ばかっぽいけど、こういうのに、書店員は日々、幸福を感じている。
「大丈夫だよ、しらゆき」
「なにが」
「しらゆきのこと。ちゃんと、好きだよ」
「ああ、うん……いや、そうじゃなくて、わたしが問題にしたいのはさ……」
「わかってる。オレとオマエ、でしょ」
 この回答に喜ぶファンはもちろん多いと思うけれど、問題は、オレ・オマエが象徴する男女の関係が無条件に肯定されるものだと鳩町蛍人が思い込んでいるらしいことだ。
 実際、講師役の恋愛学の教授が回答文のオレ・オマエに波線をつけ、減点の根拠としているにもかかわらず、蛍人は無反応に聞き流していた。その表情は、彼が自身の回答の問題点にまったく気付いていないということを、書店員に確信させた。
「これはいけないね。この子、まだ、十代でしょ」
「もうすぐ十八歳。ぎりぎりだな」
「ぎりぎりだね」
「いま、手当てしないと」
「オレとオマエ問題は、かなり引きずる」
「しかも、影響力も大きい」
「人気アイドルだもんね」
「これが男のスタンダードになったら、どう?」
「よろしくはない」
「これを当たり前だと思う女が増えるのも?」
「問題だと思います」
「一仕事、いたしませんか? 書店員」
 書店員は腕組みをして、ひとうなり、した。
「もったいつけるね」
「慎重さは大切です」
「わかってる。これは彼の人生への介入だからね。あるひとりの青年の今まで生きてきた経験と、その蓄積への……」
「やりましょう!」
「あれ、意外に早い」
「だって、しらゆき、そういう話になると長いじゃん」
「わたしの話をさえぎるためか」
 へへへ、と笑う書店員に、恨めしそうにため息をつく、しらゆき。
 しらゆきには、自分が出した結論に至るまでの思考を順を追って説明しなければ気が済まないようなところがある。その癖は昔からだったけれど、齢を重ねるごとに話が長くなっているような気がする。見た目の若さが保てているだけに、こういうところに年齢が出てくると、「ああ、しらゆきも中年なんだな」と実感する。その感覚が書店員にとっては哀しくもあり、うれしくもある。
「では、準備しますか」
「今から?」
「知らなかった? この子、わたしたちと同じマンションに住んでいるんだよ。ここの最上階」
「さすが人気アイドル。十代で最上階とは……」
「あと三十分くらいでね、いつもならジムに来る時間。実はときどき一緒に泳いで、顔なじみになっている」
「さすが、仕事がはやい」
「一応、経営者ですから」
 しらゆきは、著名なファッションデザイナーだ。彼女のメゾン〈しらゆき洋品店〉は、全世界に支店を持つ。
 書店員は、その名の通り、学生時代のアルバイトから数えればもう三十年近く、書店勤務を続けている。ふたりがともに暮らしている年月も大体おなじくらいだと思う。
「じゃあ、ちょっとシャワーに」
「必要?」
「必要。もう若くないし、失礼があったらいけないので」
「誰に?」しらゆきが笑う。「まさか、わたしに?」
「あなたにも、彼にも」
 書店員はバスルームに向かう。「じゃあ、わたしも一緒に」「だめ」「なんで」「だって、遅くなるじゃん、いつも」ついてこようとするしらゆきを押し返したり押し返されたりしながらいちゃいちゃする。
 こういうの、幸せだな、とふたりは思う。

 ふたりは、超能力者どうしのカップルだ。
 しらゆきは先天性、書店員は後天性だ。
 書店員の力は、この国がとても豊かだった時代にセミナー通いで身に着けた。
 彼女たちが若かったころ、世界中の人々が自分探しに勤しんでいた。特に人気があったのが、スピリチュアルな体験への接近だ。アメリカの神秘体験愛好家集団や、インドの聖者をとりまく人々の輪の中に入り、人間の可能性を追求する。この国は当時、そんなことに費やすための金と時間を多くの若者に許すことができていた。
 書店員は、その恩恵にあずかったうちのひとりだ。当時いくつもあったその手のセミナーに通いまくり、超能力者になった。
 当時、そんな風にして、とても多くの若者が力を手にしたことと思う。書店員自身は極めて特殊で、あらゆる点で限定的な能力しか身に着けることができなかったが、彼女よりもずっと使い勝手の良い能力を獲得した者たちの人生はあのころ、それはそれは楽しいものだったにちがいない。彼らはその力を使って、毎晩のようにこの世のものとは思えない、素敵なパーティーを開いていたものだ。
 あのひとたちは今、どうしているのだろうと時々思い出すけれど、彼女はそのうちの誰にも連絡することができない。当時は自分専用の連絡端末なんて持ち得ない時代だった。住所と電話番号は、よほど親しかった人間のものならどこかから出てくるかもしれないが、たいてい、そういうひとたちは、書店員たちの自分探しを「怪しい趣味」と整理していたひとたちだと思う。
 そして、そんな彼らの判断は結果的には正しかったといえる。
 書店員が超能力者になって数年が経ったころ、新興宗教団体による大規模なテロ事件が首都を襲った。
 その団体の構成員は、書店員のような方向性で自分探しを試行した若者たちが中心だった。
 もっとも、彼らは失敗したひとたちだったのだと思う。彼らがもし、それなりの能力を手にできていたならば、あんな暴走はしなくてすんだはずだから。
 ともあれ、あのテロ事件以降、この国はスピリチュアルな世界を敬遠するようになった。
 月に一度はテレビ放送されていた霊能力者たちの冒険も、ノストラダムスの予言をめぐる探索も、宇宙人の追跡も、目にすることはできなくなった。
でも、たぶん、あのころ力を手に入れたひとのほとんどは今でも、細々と、その力を使って暮らしているのだと思う。このふたりのように。

 いま、彼女たちは素っ裸で向き合っている。
 描写が必要なのは、しらゆきの裸だろう。
 彼女の体は、長身で、筋肉質で、張りがある。乳房のない厚い胸板と、ペニスのある下腹部が、女性の身体としては特徴的であるといえる。
 男性の肉体を持つしらゆきから付き合ってほしいと言われたときには驚いた。レズビアンはともかく、トランスジェンダーなどという言葉は当時、少なくとも書店員の身辺には影も形もないものだった。
 書店員は一度、どうして手術をしないのかと聞いたことがある。
 しらゆきは即答した。
「自分の体に違和感を覚えたことは一度もない。わたしにとって、男の肉体を持つことと、女性であることとはまったく矛盾しないんだ」
 書店員は正直、今に至っても、このしらゆきの感覚を理解できずにいる。
 ただ、彼女の口調の明晰さと幽かな震えが伝える緊張に、その回答が長い時間をかけて用意されたものであることだけは察した。自らの思考のプロセスを逐一説明したがる彼女が、この時ばかりはただ結論だけを述べて、後を語ろうとしなかったという事実も、それを裏付けていた。
「では、失礼いたします」
 書店員はこの作業を〈書皮づくり〉と呼んでいる。
 いちばん初めに勤めた書店は個人経営の小さな店舗でお客も少なかったものだから、レジ台に大きな包装紙を広げ、本が売れる度に鋏を入れて、ブックカバーをつくっていた。本の大きさに合わせて紙を裁ち、ぴったりになるように適切に折っていく。職人的な技術と集中力を要する仕事だ。
 書店員はまず、相手の臍を観察する。正確には、臍の緒のかけらに残っているはずの穴の大きさを調べる。毛深い子が相手だとここで苦戦するが、幸い、しらゆきの体毛は薄いし、なによりもう慣れっこである。
あとはその大きさにあわせて自分の身体を裁ち広げ、一枚の肉の紙に仕立てた後、細い帯状に折っていく。最初は鋏をつかったが、今はそんなイメージを採用する必要もない。ただするすると身体は解れて、しらゆきの臍の緒へと吸い込まれていく。
 しらゆきの中に入るには、左足の人差し指の先からが良い。
 細く折り上げた爪先が臍をこじ開けはじめる一瞬のわずかな痒みに、しらゆきが発する「む」が書店員は好きだ。低く、艶めかしい「む」に、いつも胸がざわつく。
 最後になった左手の薬指の先を収めるころには、書店員の身体はすでにしらゆきの体内で開かれ、折りなおされている。そこは薄暗く静かな場所で、無数の本棚が並んでいる。
 書店員の力の前では、すべての人間がこの書棚を晒さざるを得ない。規模もバラエティも整理の度合いも人それぞれのセレクトブックショップ。その表面を撫ぜるように裸の書店員が逍遥する。
 しらゆきの本棚は、書店員にとってはもう自分の庭のようなものだけれど、それでも毎回発見はある。生きている限り人間は自らの知識を拡張し続ける。同時に忘れ、見失う。それが本の量や並びにダイレクトに反映される。しらゆきだって例外ではない。
 それでも、そのひとにとって一番大事なメインの棚はそうそう変わりようがない。
 しらゆき書店の心臓部は、「女の一生」とでも名付けるべきラインナップだ。吉屋信子、尾崎翠、平林たい子、野溝七生子、森茉莉、深尾須磨子、湯浅芳子、高群逸枝、金子文子、向田邦子、マイヤ・プリセツカヤ、トーベ・ヤンソン、ハンナ・アーレント……土井たか子の政論集や小林カツ代のレシピ集もある。選択理由も並びの基準も明確にはわからないのだけれど、とにかくたくさんの色々な女が生きてそして死んでいったのだということだけはよくわかる不思議な本棚で、書店員にはとても好もしい。
 その中でもマスターピースと呼ぶべき一冊が、『ギボギボ90分!』である。ふたりが若い頃にこの国を席巻した大人気霊能力者・宜保愛子氏の死後、氏の出演した霊視番組を徹底解析した一冊だ。結論から言えば、霊能力のいかさまを暴いている本ということになるのだが、全てを読み終わった後、宜保愛子という女性を尊敬せざるを得ないという構成になっている。
戦争を生き抜き、英文タイプを学び、英会話をマスターした高い知性を持つ女性はしかし、テレビの世界では終始、無知なおばさんとして扱われた。彼女の経歴はすべて、この本の隣に並べられた自叙伝『霊能者として生まれて生きて』で公表されているにも関わらず。
 ツタン・カーメンやノストラダムスの生地を訪ね、次から次に専門家でなければ知り得ないような歴史的事実を読み取っていく宜保さんの霊視は実はすべてペテンだったが、その手法があまりにも大胆だったために全国民が騙されたのだとこの本は明かす。
 宜保さんがその能力を発揮する度に司会者は叫んだ。
「この無知な普通のおばさんが、こんな難しい知識を持っていると思いますか? ありえないですよね。つまり、彼女の霊能力は本物なんです!」
 本当はちがう。宜保さんはとても優秀な女性だ。ファッションセンスも超一流のセレブだった。でも、それに誰も気が付かない。決して美しいとはいえない容姿を持った「おばさん」は、無知で無力なのだ。それを逆手にとって彼女は、一国を騙しおおせた。
 一方で、この本には、そんな扱われ方をされた宜保さんが、その境遇をただ甘んじて受け入れていたわけではないということもそっと示されている。
 専門家が熱弁を振るう。
「宜保さんが、こんな専門的知識を持っているわけはないし、調査をすることなどできるわけがない。それは、もう、百パーセントありえません。彼女の霊能力は極めて信憑性が高いと言わざるを得ない」
 そんな言葉を掛けられる度、宜保さんは苦笑したり、唇を噛んだりする。それは自分のペテンを暴かれることを恐れて緊張しているようにも見えるけれど、どうしても拭い去れない自らのプライドが蹂躙されていくことを耐え忍んでいるようにも見える。
 書店員はこの箇所を読むといつも涙ぐんでしまう。当時、この国で最高レベルの知性を持っていたかもしれない女性が、無知なおばさん霊能者としてしか名を残せなかったという事実が、書店員の心の芯をいつも締め付ける。
「もうそろそろ、そんなところで」
 拾い読みが熟読に変わりつつあった書店員に、しらゆきのたしなめの声が届く。
「間もなく、ターゲットに接触する」
 
「こんばんは」
 不意にかけられた声に蛍人の筋肉が緊張したのがわかる。声の主がしらゆきだとわかると、首筋の張りが弛緩していった。
「ああ、しらゆきさん。今日は会わなかったですね」
「うん。仕事が立て込んで時間がなくてね。今日はお風呂だけ」
 サウナの中はふたりきりだ。元々居住者専用のジムだが、さらに特別なメンバーだけを絞って営業している時間帯があり、蛍人はその間にしか使わない。しらゆきもまた同じようで、ここのところプールでよく顔を合わせるようになった。
 蛍人の身体はアイドルらしく丁寧に整えられていたが、しらゆきの身体はもっとストイックに磨き上げられているという印象だった。特にトレーナーをつけているわけでもないようだということは、仕上がりを見ればわかる。専門家によってつくられた肉体は美しいが人工的だ。彼らは、クライアントの身体の特徴を正確に把握しながら、あるべき形に整えていくことができる。指定されたトレーニングメニューをこなし続ければ、本当に注文通りの筋肉に仕上がるのだ。ドラマでプロボクサー役を演じたとき、原作漫画のキャラクターイラストを示したら、その筆致そっくりの背中ができあがったのには驚嘆した。
 しらゆきの筋肉には、そういう作り物感がない。スレンダーで中性的なのに、ぎゅっと中身が詰まっているような、天然魚の刺身の歯ごたえを思い出させるようなところがある。ぷりぷりと押し返すような弾力が、肩や胸から醸し出される。
「試してみる?」
「え?」
「だから、試してみる?」
 そういうや、しらゆきの唇が蛍人のそれに押し付けられた。ああ、やっぱりぷりっとしていて弾力があるな、などと思いながら、蛍人の意識は遠のいていく。

 しらゆきの持つ能力については、書店員もよく把握してはいない。複数の力を持っているのはたしかなように思われるが、ひょっとすると本来の能力はひとつで、それを応用することでまったくちがうアウトプットを示しているだけなのかもしれない。
 どちらにしろ、しらゆきが生まれたときから、特別大きな能力を手にしていたことはたしかだ。
 しらゆきの実家は、過疎化が進む田舎町の神社だった。物心ついたときにはもう、母によって隠し巫女として育てられ、演出されていた。女物の赤い袴を履き、病や不運に悩まされる者たちを無償で救い続けるしらゆきを、町民たちは神格化していった。
 やがて、母子ふたりの活躍によってすっかり影が薄くなっていた父親が逝き(もっとも、この父もまた、生まれ持った特殊能力となによりその美貌によって、町いちばんの有名人ではあったのだが──その話はまた、別の機会に譲りたい)、母親が神主を継いだ。誰もがしらゆきが成人するまでの繋ぎだと考えていたこの母は、数年後に町長選挙に出て当選する。前町長は氏子だったし、実質、町運営の中心は神社だったのだけれど、神主自身が町長を担うのは史上初めてのことだった。
 母はその後、国政進出を経て、町が属する自治体の知事へと上り詰め、現在もその職にある。次の全国都道府県知事会長とも目される地方政治のドンである。

 接吻を渡って書店員がたどり着いた蛍人の書店は、十代の男の子としては決して悪い内容ではなかった。読書量は多くないのかもしれないが、演技や舞台演出に関する理論書と楽譜の豊富さには目を瞠った。
 ただ、整理が悪い。床に散らばったまま、形を崩してしまった本たちを拾い上げ、陳列し直すところから始めなければならなかった。
 書店の心臓部はほぼ漫画とアニメの関連本で占められていたが、これは若い世代にとっては珍しいことではない。体内書店の陣容は持ち主の幼少期の思い出が基調となることが多いし、彼らが子どもの頃にはすでに漫画やアニメはこの国において基礎教養と見なされるべき文化だった。
 鳩町蛍人はインタビュー等でもオタク趣味を公言していて、それ故に同好の男子たちからの支持も厚い。だから、この心臓部の書目自体は納得だ。問題は、こちらも他の書棚と同様、たいへん整理が悪いということである。
 全巻が揃えられていないのは構わないのだ。一見乱暴に見える切り取り方をされた長篇漫画の群れが、棚全体を俯瞰すると意外な視点で統一されているのに気付かされることもある。
 蛍人の棚にも、そうしたアンソロジー的な趣向があるのかもしれないと、床に散乱している本を拾い、棚からはみ出している箇所や複数の作品がごちゃ混ぜになっている箇所に手を入れていく。
 最初、この棚のテーマは『イケてる男子になるためのメソッド』なのではないかと思った。抜粋されたエピソードは、最終巻やその近くの巻が多く、そのどれもが主人公やライバルの男子たちが最高にかっこよく活躍する見せ場ばかりだったからだ。
 彼の職業を考えれば、これは非常に順当なテーマである。アイドルとはつまり、かっこいい男の子であり続ける仕事だ。今の彼の人生にとってこれ以上のテーマはないだろう。
 だが、一通り仕分けたところで、書店員は頭を抱えて呟いた。
「男の子が暴走してるなあ」
 書店員が思い至った、鳩町蛍人書店の真のコンセプトが、これだ。
『イケてる男子は女の子をオマエと呼ぶ』
 蛍人の選んだ作品の主人公は例外なく、ヒロインを「オマエ」と呼んでいた。当たり前のように、まるで生まれ持った権利であるかのように、女の子を「オマエ」と呼ぶ。
 それに応える女の子たちもまた、なんの疑問も持たずにそれを受け入れているようだった。
 物語のクライマックスに「呼び方でもめる」なんて展開はありえないことはわかっているが、皆、一様にその関係を認めてしまっているのはたしかだ。
 もちろん、彼女たちがそれを受け入れているのは、パートナーである男の子にそれだけの魅力があるからだ。ともに闘ってきた長大な冒険が、心と心をぶつけ合った年月が、ふたりのあいだにあるからだ。
「オマエ、ここで、オレと一緒に死んでくれるか!」
 ある女の子はこう叫ばれて、泣き出さんばかりに胸をいっぱいにしていた。
「オマエには、迷惑ばかりかけちまったな」
 宿敵としてぶつかりあった男にこう囁かれた女は、切なげに空を仰いだ。
 彼女たちの表情はとても美しくて、書店員の胸にもこみあげてくるものがあった。
 ただし、そんな女の子たちには例外なく、男の子と対等の口調が用意されていた。彼女たちは、強く乱暴に「オマエ」を使う男に対しては、「オマエ」と叫び返せる女たちだ。男が柔らかく使う「おまえ」には「あんた」と返す女たちだ。
 こんな女と男の関係を集めているのならば、書店員としては、彼の書店の品揃えに文句を言う筋合いはないと思った。今回の仕事は、しらゆきの勇み足だったと言ってしまったって良かった。
 残念ながら蛍人の書店にそんな深い関係性への配慮を思わせるようなところはなかった。
 男に呼び掛けるときには必ず、「くん」「さん」づけで呼ばなくてはならないと躾られてきた女の子に、とても乱暴な調子で(見ようによってはとてもかっこよく)「オマエ」と怒鳴って満足する男たちが集められた本棚を『イケてる男子のメソッド』として放置するのは憚られた。
 書店員はまず、心臓部の棚を増設し、蛍人が一部だけを切り取って集めていた長篇漫画の全巻を収めていった。物語の女の子たちが、自分を「オマエ」と呼ぶ男の子たちを当然のこととして受け入れているわけではないこと。相応の結びつきがあるからこそ、その関係が成立し得るのだということを物語の全貌を示すことで蛍人に思い出してほしかった。
 そして、この棚の最も目立つところにアニメ映画『耳をすませば』のシネマ・コミックを面出しで置いた。
 主人公の月島雫は、後にカップルになる天沢聖司に初対面からオマエと呼ばれる(厳密には、最初の呼びかけは「アンタ」だけれど)。
 彼氏彼女の関係になってからは、聖司は「月島」「雫」と名前呼びになるけれど、相変わらず「オマエ」も使い続ける。
 対する雫は、当初、「君」「あなた」を使っている。これは聖司の名前を知らなかったからだけれど、カップルになってからも「聖司くん」と丁寧さを失わない。「月島」「雫」「オマエ」と呼ぶ男に対して「聖司くん」である。
 ただ、これは、雫の聖司に対する敬意と憧れと後ろめたさの表れでもある。中学生にして自分の進む道を「バイオリンづくり」に見出し、クレモーナへ短期留学を決めてしまう聖司。それに対し、ただ漠然と聖司と同じ高校へ行けたらいいと夢見ていただけの雫は自分の未熟さを痛感する。対等な関係になれない自分が、彼の隣にいていいのかと思い悩む。
 それを乗り越えるため、雫は小説を書き始める。長大なファンタジーを書き終え、聖司と再会した雫は、そこで初めて「聖司」と口にする。最終幕に至って、雫は初めて、恋人の名を呼び捨てるのだ。
『耳をすませば』は、ひとりの女の子が、大好きな男の子を呼び捨てにできるようになるまでの物語なのだと書店員は思っている。
 それは、ある種の女性にとってはとても困難な行為だ。少なくとも、世の男の子が思っているほど簡単なことではない。
「おーい、まだかい、書店員」
 蛍人の書店が生まれ変わったのを見計らったかのようなタイミングで、しらゆきの声が響いた。
「はやくしてくれ。あたしも彼もそろそろ干上がる」
 
 サウナで熱中症を起こして、しらゆきに助けられて以来、蛍人の調子は少しおかしい。
 身体のどこかが悪いとか、そういうことでは、たぶん、ない。
 ただ、ときどき、むずむずするのだ。
 たとえば、仕事中にカメラ目線を決めるとき。ファンの女の子たちにメッセージを送るとき。好みの女の子について話題にするとき。
 今までだったら自然にできていたことが、なんだかちょっとやりづらくなった。地上を歩いていていると思っていたら、急に水の中を歩いていることに気づいたみたいな。身体を動かす度に「これでいいのかな?」と誰かに確かめたくなるような、そんな居心地の悪さ。
 でも、それでいて、パフォーマンスへの評価は悪くない。
「なんか落ち着いたね」とか、「一皮むけたね」などと声をかけられるようになった。シェイクスピア劇の主演も舞い込んだ。大御所演出家が「是非、蛍人を主演に」とオファしてくれたらしい。
「順調なら、いいんじゃない?」
 リビングのソファにもたれてテレビを眺める蛍人に向かって、キッチンから声がかかる。
 蛍人には実は、デビュー前からつきあっている恋人がいる。料理上手で二歳年上の幼馴染みだ。
 蛍人は彼女をいつも「オマエ」と呼んできた。それが当り前だという空気がふたりのあいだには流れていると感じていた。ちょっと乱暴に聞こえるときもあるかもしれないけれど、そんな風に呼び掛けることが親愛の証だと信じて来た。
 でも、今日、久しぶりのオフで、蛍人の部屋でのデートの約束をして……やってきた彼女の顔を見たら、なんだかひどくむずむずしたのだ。「オマエ」と呼びかけるのが、何故か気恥ずかしいような、申しわけないような気分になって、言葉にできなかった。
「うん……あのさ……」
「なに? どうしたの?」
 ごにょごにょとごまかした。さっきから、ごまかしてばかりいる。なにかを言おうとしては、ごにょごにょに戻ってしまう。
 そんな蛍人に彼女もだんだん無口になっていく。空気がどんどんヘンになってく。
「……なにか、話したいことがあるの?」
 キッチンからの声のトーンが、少し下がったのがわかる。
 怒っているわけじゃないと、蛍人は思う。多分、心配してくれているんだ。
 そう、いつも彼女は蛍人のことを心配してくれる。子どもの頃から誰よりも、蛍人のことを第一に考えてくれている。まるで、本当の姉ちゃんみたいに。
「あ」
 ここで、やっと、蛍人は掴んだ気がした。ここ最近、ずっと自分をむずむずさせていたものの正体を。
 そうだ。元々、オレは彼女をオマエなんて呼んでなかった。
 ガキの頃、オレは彼女を頼りにしていた。彼女だけを頼りにしていた。その頃のオレは彼女をこう呼んでいたはずだ。
 カナねえちゃん。
 それがいつしかカナになって……オレが告白してつきあうことにもなって……それからは、カナとオマエが混じっていたはずで……でも、今では、オマエとしか呼ばない。
 なんで忘れていたんだろう。カナねえちゃんをなんで、オマエなんて、当たり前に呼んでいいと思い込んでいたのだろう。
 蛍人はテレビを消した。キッチンにいる彼女には見えないはずなのに、シャツの裾と背筋を伸ばしてソファに座りなおした。
「あの、さ」
「なに?」
「オマエ……いや、カナは、さ」
「……ん?」
 フライパンがジャーッと音を立てた。生姜焼きの香ばしい匂いがリビングにも漂った。音が落ち着くまで、蛍人は待った。
「本当は、オレに、なんて呼ばれたい?」

いいなと思ったら応援しよう!