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オテル レ ドゥグレ ドゥ ノートルダム 2/2

愛しきパリの想い出

Hôtel Les Degrés de Notre-Dame 2/2
Hôtel Les Degrés de Notre-Dame 1/2 より続く)


 「晴れた日には、ノートル・ダム寺院の裏手の公園に出かけ、ベンチに腰掛けて本を読んだり、セーヌの川沿いの古本屋をひやかしながら、ゆっくりと散歩をします。いえ、晴れた日ばかりではありません。雨の日も私はセーヌの川沿いを散歩します。雨の日のセーヌはうれいを含み、私には一段と美しく思えて大好きです。
 散歩の途中で行きつけのカフェに入り、ペリエを飲みながら、道行く人々を眺めたり、ノートを広げて詩や日記を書いたり、あなたのことを想ったり・・・・・。
 それからよく、見知らぬ人の人生を想像したりもします。向かいの道路を、杖をつきながらゆっくりと歩いている、年老いたマダムの人生などを。

 『今では数歩歩くのにも大変な様子だけれども、きっと若い頃は高いヒールの真っ赤な靴を履いて、颯爽と歩いていたに違いないわ。
 22~3歳で、背の高いハンサムな男性と恋をして結婚したけれど、長くは続かなかった。結婚して2年目に、子供が生まれた。それから間もなくして、男は彼女のもとを去った。
 理由はきっと彼女が現実的な生活をするようになったからに違いないわ。男は彼女とのロマンの中に生きていたんだわ。それが子供が生まれてオムツを変えたり夜泣きで眠れなかったり、彼女は髪を振り乱して子供の世話をするようになった。それは母親になった女にとっては当たり前のこと。生まれて暫くの間は夫より子供を構うのは自然の成り行きよ。でも彼には我慢できなかった。わがままな男。
それからというもの、彼女は子供と2人で生きることに決めたんだわ。美術やデザインのセンスを生かしてフラワーアレンジメントの仕事で生計を立ててきた。その後も何度か恋はしたけれど結婚はしなかった。男に振り回されるのはこりごりだったのね。
 娘は立派に成長して、今ではこの近くで花屋を営なんでいるいるの。 今日はこれから娘のところに出かけて、デジュネを一緒に摂るんだわ。』. . . と、こんな風に」

 随分と人の人生を端折ったものだ。
 いや、目の前を通る人の人生をほんの少しの間に想像するのだ。
 そう思うとやはりすごい想像力だ。これだったら道ゆく人すべての人生が、わかってしまいそうだ。もちろん私の人生も語るまでもなくわかっているのだろうか?

 「日記を書く時は、朝目覚めた時からのことをすべて思い出して書き留めます。
どんな気分で目覚めたのか、朝初めて寝室の窓から見る外の様子はどんな感じだったのか、今朝のカフェオレの味はどうだったのか、シャワーを浴びた気分や今日の洋服を選んだ理由だとか、それは細かく書き留めるものだから、すぐノートがいっぱいになってしまうの。
 詩はもう一人の私かもしれません。書いている自分と異なる自分がいつも私の詩の中には居るのです。でもその自分もやはり本当の自分。ピアノを奏でている時の自分も、詩を書いている時の自分や詩の中の自分とは、やはり異なる自分なのです。あなたのことを考えている時の自分は、一体どの自分なのかしら。私の中には沢山の自分が居るみたいなのです。」

 私の場合はどうだ?
私もやはり色々の場面で様々な自分に出会う。
 照明の落ちたステージに佇む自分、演劇学校の教壇に立っている自分、詩や戯曲を書いている自分、散歩をしながら自分を覗き込んでいる自分、コーヒーを飲みながら本を読む自分、時折訳の分からぬ悔恨に押し潰されそうになり大声を上げてしまう自分、数え上げればきりが無い。
 しかしこうした自分が今在る自分とは異なる自分で、同時に今の自分でもあるのだ。
 だから私は私が何者であるのかを問い続ける。
 だが結局、私には私が何者であるのかが分からず仕舞いになってしまっているのだ。
 いや、私だけではないのかもしれない。試しに「私は誰?」と問うてみるがよい。どれほどの人々が、明瞭に自分が何者であるかを答えうるであろうか。
 究極絶対の自分など在りよう筈もないことなど、分かりきっているのだ。
 しかしそれでもなお、私は「私は誰?」と問い続けていたいのだ。
きっと彼女も同じなのだろう。いつも自分を捜し求めているのだ。
私と出会った時も、彼女は自分の中に異なる自分を見つけたのだろう。
ゴッホの肖像画の前に立つ少し風変わりな東洋人を見て、彼女は普段とは違う興味を抱いた。その興味を抱いた自分は、今まで一度も内なる彼女の中に存在していなかった。それに気付いた彼女は、何よりもそのことに大きな衝撃を受けたのだろう。
私との出会いが衝撃的だったと言っているのは、きっとそういうことなのだ。

「散歩の後はピアノに向かいます。私の好きな作曲家は、ラベル、ドビュッシー、プーランク、フォーレ、サティ、つまりフランスの作曲家ということになりますね。
この時代のフランス音楽は、色彩感に溢れています。光りと影、明るさと軽やかさ、体の中を柔らかな風が通り抜けていくような優しさと繊細さ、それにフランス風エスプリ。
 ドビュッシーの花火というピアノ曲をご存知ですか。時に激しく雄大に、時に可憐で繊細な花火が大空に打ち上げられたあと、曲の終わりにラ・マルセイエーズが遠くに聴こえます。
 私はこの曲を演奏する時、いつも南フランスの夏を思い浮かべます。子供の頃、両親とアビニヨンの祖母の家で過ごした数日間が、今でも私の記憶の中にはっきりと残っているのです。
 アビニヨンは城壁に囲まれた美しい街です。夏には毎年演劇フェスティバルが催され、沢山の人で賑わいます。いつもは静かな街がこの時期になるとまるで大都会のように人々が行き来し、活気付いた街の様子に私は心を躍らせました。

 7月14日の革命記念日の日、夜空にはそれは色とりどりの美しく見事な花火が打ち上げられていました。
華やかな花火がふっと消えていく時のなんとも言えぬ切なさが私の心を捉えました。束の間の美の祝典が終わりに差し掛かった頃、どこからかラ・マルセイエーズの歌声が風に乗って聞こえて来たのです。
ドビュッシーもきっと私と同じようにパリのどこかで、夜空を彩る花火を見てこの曲を作ったのだろうと、勝手な想像をしたりするのです。
 サティもきっとご存知ですよね。この一寸風変わりな作曲家の作品は、私の大のお気に入りです。メロディーのリフレインがなんとも心地よく、心が穏やかになります。(「梨の形をした3つの小品」や「干からびた胎児」なんていうおかしな題名の曲もありますけどね)
当時の人々より現代人の心により深く届く曲かもしれませんね。
「Je te veux」は私の心を歌ったような曲、私のあなたへの想いを……」


 サティは私も大好きだ。モンマルトルにある彼の暮らした家には訪れたことがある。
私は若かった頃、この近くに住んでいた。コーランクール通りの60番地。朝や夕方の散歩には、ジュノ通りをサクレクール寺院まで登ってメトロのアベス駅へ下り、レピック通りのマルシェをひやかして帰るというのがひとつのコースだった。
その折、サティの家の前を決まって通るのだ。時折は階段を登って彼の家の入り口に立ち、『ああ、彼もここを出入りしていたのだな』などとおかしな感慨に浸りもした。

 あの頃は、目にするもの全てが私をわくわくさせた。ユトリロの描いた風景そのものが目の前に現れたり、ロートレックが徘徊した猥雑な街に興奮を覚えたり..


 メトロのブランシュ駅からピガール駅の方向に少し入った路地に、私の友人のクラリネット奏者が住んでいた。
 彼の家を訪ねるときは、昼間でも道の両脇に立ち並び怪しげな眼差しを投げ掛けてくる、際どい服装をしたマドモワゼルたちの間を通り抜けなければならなかった。ウブだった私は少し恥ずかしかったり、ドキドキしたり、なんとも言えぬ気分であった。
俯き加減に足を早めてそこを通り抜けようとすると、「ねえ、遊ばない」などと声を掛けてくる。
私は生真面目に「あっ、いや、僕はこれから友人の家を訪ねるところなんだ」と応える。
すると更に「おやおや、あんたの友だちは随分いいところに住んでいるんだね」と冷やかされ、私は困らされたものだった。
それでも何度か友人の家を訪ねるようになると、彼女たちとも顔なじみになり、
『Bonjour Monsieur, Ça va?! 』
「Bonjour Mademoiselle, oui, ça va.」
『また友達のとこへ行くのかい? たまには遊びにおいで』
「ま、そのうちにね」
などと軽口を叩けるようになったものだった。若い頃の思い出は尽きない。
いかん、彼女はフランス音楽の話をしていたのだ。

 彼女の心を捉えたサティの作品、彼女はサティの音楽に心安らぐと言う。
サティの創り出した音楽は、何やら不思議な感覚を私たちに与える。
彼の音楽は荘厳なものではない。むしろ簡潔で気取りがなく、自由で時に皮肉が込められていたり、時代を先駆けたような音楽と言える。それが今の私たちに自然な心地よさを覚えさせるのだ。
斬新で古典的、陽気で孤独、社交的で人嫌いと云う彼の人柄の中に、彼の音楽を思い浮かべることは短絡過ぎるのであろうか。
自らの生き方に執拗にこだわり続けた彼の姿に私もまた、なんとなく共感を覚えるのだ。


 「まあ恥ずかしい。私の勝手な想いは、あなたを困らせてしまうかもしれませんね。
気持ちが昂ぶると、どうしても私は自分をコントロールできなくなってしまうみたいなのです。
暴走気味なのは解っています。でもあなたへの想いは、私を冷静になどさせてくれるはずはありません。
だって、ずっとあなたを想い続け、もう会うことは叶わないと諦めた時にこうして再びあなたにお会いすることができたのですもの。」


 私は一瞬戸惑い、なんと彼女に話しかけたら良いかと、言葉をさがす。彼女の私への想いは、私に甘美な喜びをもたらした。
思いもかけない美しい女性からの言葉に、私は夢見るような気持ちであった。
たった一度出会っただけで、かくも長い年月私を想い続けていてくれたなんて、私はなんと幸せな男なのだ。
 彼女と再び言葉わ交わしたいという想いが、私の中の強く沸き起こるのであった。

「ごめんなさい、もうこれ以上お手紙を綴ることができません。だってあなたは今私の目の前の建物の中にいらっしゃるのですもの。
私が出向けば、あなたにお会いすることができるのですもの。
今からあなたに会いに伺います。」

彼女は手紙を書く手を止め、便箋をたたみ手提げの中にしまうと意を決したかのように椅子から立ち上がり、私の滞在するホテル ドゥグレ ドゥ ノートルダムに向かって足早に歩き出した。
ホテルの扉を開け中に入ると、フロントで何やら尋ね、やがて螺旋階段を私の部屋に向かって登り始めたのであった。

私は息を殺して足音に耳を傾け、彼女が私の部屋を訪れるのを待った。
部屋の前で足音は止み、優しくドアをノックする音が3度聞こえ、ドアノブがゆっくりと回される。
静かに扉が開き、彼女の姿が部屋の中に現れる。


「ねえあなた、まあ、そんなところで居眠りをして..
いやだ、よだれ垂らしているわよ。
さあ起きて、もうすぐ夕飯の時間よ。
下のレストランで、クスクスをいただきましょう。このホテルの自慢料理だそうよ。
早くよだれを拭いて。髪の毛もボサボサよ。
ほんとうに子どもみたいなんだから。」

 えっ、あの女性は何処に..?!
 目の前には妻が微笑みながら立っていた。
 私をまるで子どもでも見るような眼差しをして眺め、私の身支度を整えようとしている。

 朦朧とした私の頭は混乱していた。


 カーテンがなびく窓から外を見ると、広場に並べられたカフェのテーブル席から一人の若い女性が立ち上がり、小犬を連れて去って行くところであった。

 セーヌを渡る柔らかな風が、開け放たれたガラス窓の白紗を揺らし、甘いマロニエの若葉の香りに私の部屋は満たされる。

 パリの初夏の夕暮れであった。

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2021/à Tokyo 一陽 Ichiyoh

Hôtel Les Degrés de Notre-Dame 1/2


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