1970年代の散文7 風
風
生誕の喜びにも似た、蒼い風の一吹きが、貴女のガラスの胸をそっと撫で、
木立のざわめきの中に姿を消す。
ひとひらの羽の舞いに、語りかける言葉は踊り、
地上へ緑の影を投げかける。
私の歩む路のかなたに貴女はたたずみ、草原からもれ聞こえるオルガンの音に抱かれる。
時の叫びは、ある時は悲しく、ある時は優しく、私たちを取りまいていく。
さあ、樫の木の椅子にお座り、柔らかな若草を敷いて。
差し出された貴女の白い腕は、絹の肌をまとい、降り注ぐ陽光の中に溶け込んでいく。
私の指先に触れる、貴女の閉じられた瞼は冷たく、口元の微笑みが、春を詠う。
群れ集う昆虫達よ、詠え、萌える大地を。
甘美な眠りが、広がる夢の中へと貴女を誘う。
純白の部屋の中での、私たちの睦みごとに、
恥じらいと喜びが午後の香にのって、明け放れた窓の外へと流れ出す。
子羊の毛布に包まれ、今私たちは一人となる。
街はずれの大伽藍の中で交わされた言葉も、薄明のカフェでの沈黙も、今は忘れて。
古びた建物の建ち並ぶ静かな街中を、歩む貴女の軽やかな足音が聞こえる。
リラの並木に陽は優しく、今はもう、使われなくなってしまったガス燈の角を曲がる。
貴女の行くところは何処。
何日か前に、貴女から届いた手紙に、幾度も目を通しながら、
小さなカフェの小さな椅子に、貴女を待つ。
幾世紀も前の、古くて荘厳な寺院の前を、首をすくめて通り過ぎ、
涼しげな噴水に戯れながら、軽やかな足取りを運ぶ。
石畳の坂道を、弾むように駈けて、貴女は行く。
街はずれの小さなカフェを目指して。
1974/à Paris 一陽 Ichiyoh
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