埴輪初心者による「はにわ展」記録
東京国立博物館では、2024年10月16日から12月8日まで「はにわ展」を開催している。さらに来年2025年1月21日から5月11日の間は、九州国立博物館で開催予定だ。
作品の出展数はなんと全126件で、内54件が東京国立博物館所蔵という数の上では一番の豊富さを誇る。その次に多いのが、所蔵先ではなく県になるが群馬県、大阪府と続く。
あとは宮内庁書陵部が管理する作品も展示されていて「まさか、宮内庁のものまで…」という驚きもあり、この規模は今世紀最大のはにわ展だなという感じだった。
しかし古墳時代の出来事を考えると実はわりとよく分かっていない。多分だが、卑弥呼はすでに亡く、ヤマト王権なる現在の皇室に連なる一族が力を付けてきた時代だろうか?ぐらいの曖昧さだ。
そして筆者が「これぞ埴輪」と認識していた、トーハクキャラクター「トーハクくん」スタイルの埴輪が、埴輪の歴史では比較的新しい時代のものだというのも今回始めて知った。本当、そのレベル。
そこで本記事は、古墳時代の文化についてかなり疎い筆者が、NO知識なりに理解した展示の記録という位置付けになる。
1. 埴輪の歴史を学ぶ
このゆるっとしていて可愛らしい埴輪達は「埴輪 踊る人々」と題されるペアの作品で、片手を挙げる姿をしている。「踊る」とされているが、近年では「馬を曳く姿」ではないかという説もあるのだと言う。
そして先程も書いたように、埴輪としては新しい時代のものになり全体的にデフォルメが効いているのが特徴だ。それゆえにキャプションにも「省略が著しい」と書かれていた。
※解説画像のキャプション( )内の番号は、東京国立博物館「はにわ展」の出品目録番号となる
では埴輪が作られ始めた古い時代のものはどんな形をしていて、どんな理由で作られたのだろうか?
埴輪が作られたのは古墳時代初期の3世紀頃になり、その起源は「円筒埴輪」だったらしい。もとは葬送儀礼で使用する壺の台座だったが、それが次第に大きくなり、古墳の上に隙間なく並べたということのようだ。古墳を守る結界の役割を果たしていたのではないかと考えられている。
4世紀になると「家形埴輪」が登場し、「鳥形埴輪」も作られるようになった。「埴輪 踊る人々」に代表される「人物埴輪」が誕生したのが5世紀に入ってからだ。同時に鳥以外の動物埴輪も増えた。
それぞれの埴輪は、家形埴輪は埋葬者の魂を慰め、鳥形埴輪は神聖さを象徴し、動物は王への捧げ物、そして人物埴輪は生前の死者の姿を表現しているのだ。
後述もするが「はにわ展」のメインとなる「埴輪の武人」は6世紀に作られたものになる。この時代すでに朝鮮半島より仏教公伝が行われ、ヤマト王権では「アニミズム」に基づいた民族宗教から、精神宗教である仏教を取り入れ始めていた。
即ち、ヤマト王権の勢力が強かった現在の奈良県や大阪府では、大規模な古墳作りは縮小されつつあったのだ。挂甲の武人が出土した群馬県は独自の埴輪文化を持ち、この埴輪以外にも大量の作品が出土している地域になる。
というように大規模な古墳作りの終焉と共に、埴輪文化自体も一部を除き5世紀頃には作られなくなる。そしていつしか古墳も埴輪も忘れ去られ、地中に埋まることになるわけである。
つまり埴輪の歴史を、どシンプルに把握するのであれば以下のようになる。
2. はにわ展のポイント
上記を分かった上で「はにわ展」を見学すると、展示の意図も理解しやすくなるだろう。公式サイトに展示構成もあるが、せっかくなので全五章まで簡単に解説しよう。
プロローグ「埴輪の世界」:埴輪の全体像を知る。埴輪代表選手「埴輪 踊る人々」も展示。
一章「王の登場」:古墳の誕生や副葬品について。古墳時代を通した王の役割について知る。
二章「大王の埴輪」:宮内庁書陵部の作品多め。とっても貴重。
三章「埴輪の造形」:全国各地から出土した個性豊かな埴輪達が大集結。
四章「挂甲の武人とその仲間:トーハク所蔵で国宝・挂甲の武人と、その他4体について。五章「物語を伝える埴輪」:動物や人物の埴輪がいっぱい。ゆるかわフェスティバル。
3. メイン展示の「挂甲の武人」って何?
東京国立博物館所蔵の「埴輪 挂甲の武人」が国宝指定されて50周年記念の展示になる。ちなみに挂甲の武人は、スラリとした姿に涼し気な目元、「挂甲」という古墳時代から奈良時代くらいまで主流だった冑を着こなす埴輪だ。
目鼻立ちがハッキリとしており、埴輪好きの方々がこぞって「イケメン」と称する作品でもある。もちろん、それだけではない。精緻に作られた武器・武具からは、古墳時代後期の関東の武人達の様子を知ることができる貴重な史料になる。
挂甲の武人は劣化が目立ち始めたことで、アメリカの銀行「バンク・オブ・アメリカ」の協力のもと平成末期から修復作業が行われており、それが完了したのが2019年6月。
修復後の初お披露目が確か2022年開催の「国宝展」だったように思う。このとき筆者も初めて見たが、「意外と小さいんだな」とか失礼な感想を抱いた気がする。
それはさて置き、この修復作業によりもともと付けられていた色もわかり、現在彩色復元された挂甲の武人も展示されているのだ。
4. まさかの兄弟がいた「挂甲の武人」
加えて、挂甲の武人には同一工房による4体の兄弟がおり、5体全員が初集合するという豪華なコラボレーション展示にもなっている。
それぞれ挂甲をまとい、持っている武具、表情、大きさなども非常によく似ていて、素人目でも腕の良い職人が丁寧に仕上げたとわかる造りだ。
挂甲の武人を5体紹介
東京国立博物館所蔵(国宝):群馬県太田市飯塚町出土 古墳時代6世紀
群馬・(公財)相川考古館所蔵:群馬県太田市成塚町出土 古墳時代6世紀(出品目録56)
奈良天理大学附属天理参考館所蔵:群馬県太田市世良田町出土 古墳時代6世紀(出品目録57)
千葉・国立歴史民俗博物館所蔵:群馬県伊勢崎市安堀町出土 古墳時代6世紀(出品目録58)
アメリカ・シアトル博物館所蔵:群馬県太田市出土 古墳時代6世紀(出品目録59)
5.東京国立博物館が所蔵する、もうひとつの「挂甲の武人」
東京国立博物館が所蔵する挂甲の武人は他にもある。それは2020年(令和2年4)に群馬県の「綿貫観音山古墳」から出土した埴輪と副葬品だ。
綿貫観音山古墳が作られたのは6世紀後半頃のことで、それらすべて国宝指定されたのだが、その決め手は埴輪も副葬品も見事に当時の文化が再現されていたからだと言う。
そのなかにあるのが、綿貫観音山古墳出土となるもうひとつの国宝「埴輪 挂甲の武人」だ。頭頂部に筒形飾りを付けた特徴的な冑に、左手で弓を握り、右手は太刀の柄頭に触れている。
もしかすると、綿貫観音山古墳の被葬者の姿を表しているのかも、といったことが示唆されていた。
5. お気に入りの動物・人物埴輪の紹介
人物埴輪は埴輪史として古墳時代後期6世紀頃の作品になり、埴輪づくりは成熟期を迎えている。表情はややデフォルメが効いているものの、性別や職種、階層、あるいは巫女、武人、力士など役割がハッキリしたものが多い。
それは王が自らの力を誇示しようとした結果であり、王墓に並べるならば誰もが理解できる人物達を置くのが一番効果的だったからだ。そして狩猟など王の物語に登場するのが動物達になる。
古墳時代後期の埴輪づくりは、王権と密接な関係があったということだ。
唐突に跪く埴輪が登場して直感的に「え、こわっ」と思ったが、理由を知るとなんてことはない。
この「埴輪 ひざまずく男子」は、亡くなった王を称え新たに即位した王に忠誠を誓う様子を表した埴輪だということだ。なるほど。また腕輪、冠、篭手を着込むなど盛装している。
「埴輪 正座の女子」の裳(スカート)は珍しい形状をした埴輪だ。朝鮮半島から伝来した最先端のファッションで、装飾品も多いことから身分の高い女性を表している。
おわりに
今回、はにわ展に行くことができてよかった。埴輪がどういう歴史を持ち、変遷を経てきたのかよく分かる展示だったように思う。
それでいて可愛らしい埴輪達が登場し決して退屈にならなず、「もう少し自分でも調べたい」そんな知的欲求も芽生えさせる素晴らしい展示だった。
ミュージアムグッズもはにわだらけで最高。これは色々と欲しくなってしまう。
そして「すみっコぐらし」のコラボもありがたい。しかし手乗りサイズのぬいぐるみが1体1,700円台は高すぎる。可愛いからなんとか耐えられたがな…。
※本記事に使用している画像は筆者が撮影した写真になります。無断での利用はご遠慮ください。