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モモ=ゼルダ・フローレス

 日本で生まれたモモのフルネームはモモ=ゼルダ・フローレスで、けれども生粋の日本人だ。母親がスペインに住む陽気な日本人男性と結婚し、娘が生まれたことに浮かれてそんな名前を与えた。
 モモは小学一年生からその名前のせいでいじめられていたのだが、ひとりぼっちのモモは小学二年生のときに父親のエアガンに触れだした。いじめっ子たちをそれで狙撃したりはしなかった。そうではなくて、新聞紙を連射でぶち抜いて蜂の巣にすることに夢中だった。そうやって夢中になることで男子女子たちいじめっ子のことを忘れていた。
 五年生からは色気づいた男子たちにモテるようになって、中学高校となると怪しいモデルのスカウトを受けることも多くなった。同時に、下級生や同級生や先輩、そしておっさんに至るまでがモモに近づいてきたものだが、もっと近づいてくると容赦なくふり切った。
 そんなモモは一八歳になったとたん待ってましたとばかりにボーイフレンドを作って遊んだりはせずにクレー射撃の大会に出場しはじめた。そして気づいたらすべての大会の賞を総なめにしていた。
 挙句、それぞれの大会の主催側から出場を控えるよう頼まれることになってしまった。日本は狭すぎる。けれども幸いなことに使える言葉は日本語だけではなかったから、モモは豪州での大会に出場するため、一九歳の空を飛んだ。
 ライバルは、豪州においても不在だった。
 モモはトロフィをバックパックに仕舞い、国立公園のなかにあるラッキーベイに降り立った。そして希望どおり、純白のビーチで日光浴をするカンガルーにあうことができた。
 暑さにだらけたカンガルーがこちらを見ている。モモもそちらを見返す。太陽の反射にちかちかしているような目を、ちかちかする目で睨み返し、そうして睨めっこをしていた。日差しの真っ白な照り返しにぼうっとしてきたモモは、
──ねえ、私、褒められても伸びなくなっちゃったのかなあ。
 そう漏らしながら視線を逸らしてしまい、睨めっこに負けた。カンガルーは他の観光客たちのパラソルへ飛び跳ねていった。彼女は砂の白色にできる小さくて丸い足跡を追った。
 パラソルの日影にたむろする観光客たち男女四人は仏語を使っていて、モモがついお辞儀をすると、その観光客たちがつたない英語で話しかけてきた。
──そうでしたか。私の名前はモモ。射撃のために日本からきました。私の場合、観光はそのついでです。
 彼ら彼女らはモモの使う仏語の射撃というワードに驚いたようだった。怪訝そうに質問してくる相手たちに笑ってこたえる。
──まさか、撃つのは的だけですよ。それに私には日本の血しか流れていません。

 私の名前はモモ=ゼルダ・フローレス。名は体を表すっていうけれど、どんな体よ。でも名前負けという言葉もあるし。まったくどんな言語よ。
 もし事変になったなら、私の射撃はどうなるのだろう。日本国のためになにかさせられてしまうのかしら、でも幼いころからそんなことのために引き金は引いてこなかったのだからそれは大事なことで、だから、きっと大丈夫だと思う、甘いかな。
 殺意なら抱いたことはもちろんある。けれど、いじめっ子たちに対してではなかった。いじめっ子たちは殺意を持っていなかった。私は幼いころから新聞に載るような殺意に対して殺意を抱いてきたんだわ。
 と、モモはいつも死刑断固反対派などと他人にうそぶく癖にそうかんがえるのだ。
 そのとき、ビーチの入り口付近で破裂音が断続的にして、とっさにみなが悲鳴を上げながら姿勢を低くした。呆然とそれを見ているモモに、砂にまみれた彼ら彼女らが訛りの酷い仏語でしゃがむようにと怒鳴った。立ち尽くすモモは陽炎のなか、殺意の的としてこちらを睨んでいるらしき暴徒を認め、即座にそちらを殺意の的として睨み返した。そのような睨みあいを意識していると、次第に自分の名が体を表し始めるような気がしてきて、はっとした。
 こんなことではいけない。そんな気がする。少なくとも私はもうすぐやってくる二〇歳の誕生日に銃を置かなくてはいけない、そんな気がする。
 銃を置いたら、その日が大人の記念になるような、そんな気がする。もし私が丸腰の大人になれたなら、その夜は、自分の名を冠した幸いのカクテルをかたむけようと思うのだけれど。
 銃は、けれどもほんとうに置けるだろうか。すべてがゆれはじめる予感が近づいてくる。
 もっと近づいてくる。

 
 
 


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