意味のない残暑見舞い
なにかぜんぜん意味のないことを書きたくなったのです。たぶん毎日とても暑いから、脳もつかれているのかもしれません。書くことは途方もないことだなぁと最近よく思います。
ぜんぜん意味のないことってなんだろう。でも全く意味をなさない単語や文字や記号の羅列を書きたいわけでもないのです。それはなにか違う。さっきXをみていたら破調の小説が話題になっていて、いろいろ読んで極めるとそういうのも好きになるのかもしれないし、破調にもなにか深遠な意味があるのだろうけれど、私はちょっと苦手。必要があって破調になっていると思えるものなら好きなものもあるけれど、必然性の感じられない破調は苦手です。それなら散文詩のほうがいいな。散文詩ならなんでもいいわけじゃないけれど、先日たまたまアンソロジーに入っていて読んだ萩原朔太郎の『虚無の歌』はよかった。夏の夜に朔太郎はいいかもしれません。
最近は異常な暑さでつかれてしまう。でも私は夏がきらいなわけではない。いくらなんでも暑すぎるのがイヤなだけで、夏の空気は好きなのです。生い茂る街路樹のにおい、日差しに乾いた土のにおい。アスファルトの熱をサンダルの裏に感じるのは気持ちがいい。最近は毎日素足にサンダルで過ごしています。かかとが荒れてざらざらになってしまうのだけど、真夏に素足でいる快適さのためならしかたありません。
夏をきらいになりたくないのに、年々増す暑さに身体がついていかなくなるのをひしひしと感じます。だけど冷水のシャワーを浴びる気持ちよさを覚えました。カップのかき氷の美味しさも染み入るようです。暑いからこその楽しみもあるのです。
何も考えずにつらつら書いたら起承転結などなにもない文になったけれど、そういえば私の普段の暮らしに起承転結なんてあまりないな。ほんとうの日々の生活なんてそういう地味なものですね。こうしてだらだらとこの夏も過ぎていくのです。