君の求愛方法は間違ってる3
《消えた鎖》
髪をバッサリと切った。
ショートボブになった頭が軽くて楽チンだ。アッシュを足した髪色もお気に入り。ピンク色しか持っていなかった化粧品には赤やオレンジのチークやリップを買い足した。
自由を痛感する。
というのも、ひなは私が髪型・メイク・服装を変えることを酷く嫌がって変えようとするたびに癇癪を上げていた。
ひなに強制されていただけで、私は元々可愛い系じゃない。好きじゃない髪型をして、好きじゃないメイクをして、好きじゃない服を着せられていた。でもそんなのも、もうひなとの関係はなくなったのだから守る必要のない話だ。
去年のクリスマス、ひながくれたミュウミュウのピンクのスマホケースはガラステーブルの引き出しに閉じ込めた。
「ひなちゃんがそのケースじゃなくなったら、僕本当にひなちゃんに何するかわかんないからね」……そうニッコリと微笑まれたことを思い出す。だけどもう関係ない。今更文句を言われることもないだろう。
新しく買った無地の黒いケース。無性に安心した。
友達と会えばあまりのイメチェンぶりに笑われる始末。男友達は「女が失恋で髪を切るって本当なんだな〜」と感慨深げに語らっていた。
失恋は関係ない……と思う。ひなの掌から逃げたかったってそれだけの話だ。
ポケットの中で震えた携帯。「もし明日の夕方空いてたら、新宿に映画観に行かない?」……先輩からのメッセージだ。
何も予定のないことを確認して、「行きたいです!」と返信をする。次は新宿かあ。まあ正直、新宿のほうが助かる。
そういえば先輩に、「イメチェンしました」と写真と共に報告したところ、「そっちの方が似合ってるね、可愛い」と言ってもらえた。
夏休みが始まって一週間。ひなには一度も会っていない。
――先輩が観ようと言った映画は、私が予告を観てつまらないだろうだと思った映画だった。
ちょうど半年くらい前だ。ひなと映画を観た時の予告で見たはずだ。ひなと口を揃えて「つまらなそう」と言ったことを覚えている。
先輩はまだ来ない。
珍しく先に着いてしまい、待ち合わせの映画館の前で待ちぼうけする。
派手な人が沢山通り過ぎていく。
立っているだけで「お姉さんっ、初回のご案内は? 90分3千円のとこ紹介できるよ〜」何て声を掛けられた。
初回の意味がわからず申し訳ないと思いつつも、携帯を触るフリをして無視をした。
――刹那、鼻を掠める甘いクロエの香り。
バッと顔を上げればスーツ姿のひなが目の前を通り過ぎた。何かに気付き振り返ったひなと視線がぶつかる。きっと1秒にも満たない時間。ひなは驚いたように表情を崩し、少しだけ立ち止まった。
私が声を掛けようか迷っていれば、ひなは我に返ったように歩いて行ってしまった。……なんだか疲れた顔をしていた。
「お姉さんSeeのサクラと知り合い?」
「シー?」
さっきまで声を掛けて来ていたお兄さんが再度声を掛けて来た。しかし今度は勧誘ではなく、ひなと知り合いなのかというクエスチョンだ。
私はひなを知っている。それは間違いない。桜井日向は間違いなく私の幼馴染みだ。けれど、シーのサクラって、誰?
「あれ知らない? ホスト看板何かにも載ってる歌舞伎町の有名人なんだけど」
「……ホスト、」
「しっかし無表情で有名なあのサクラが、お姉さんのこと見て表情崩すとはねぇ。お姉さん元カノとか?」
つまりそれは、“シー”というのはホストクラブで、“サクラ”というのはひなの源氏名ということだろうか。
……ひなが、ホスト。
予想すらしていなかったのに、パズルのピースはパチパチとはまっていく。たまにふんわりと香るお酒の香りに、煙草や甘い香水の香り。はたまた石鹸の香りをさせて帰って来る時もあった。
「そんなんじゃないですよ」
お兄さんの言葉にそれだけを返した。他に言葉が見つからなかった。
「あの、」
「なになに?」
お兄さんの顔も見ず、視線はずっとひなが消えて行った雑踏に向いている。
「シーって、何時までですか?」
「シーは1時だね」
「そうですか」
ゴクリと生唾を飲む。どうしてだか無性に喉が渇いた。
「その調子だとお店行ったことないの?」
「……はい」
「安く紹介できるけどしよーか?」
「……」
「あ、でもサクラ指名で入りたい感じだよね。確かシーは初指名は半額だからセット料金だけなら6千円かな」
「……」
ひなと視線がぶつかってから震えが止まらない。真夏の夕方は暑いはずなのに寒くて寒くて仕方がなかった。
「なんかお姉さんワケありそうだね」
「サクラは毎日出勤してるんですか?」
「うん、噂によるとね。前まで多くて週4とかだったのが最近はフル出勤してるって噂だよ」
「……ひな、」
窓から覗いてもいつだってひなの家は真っ暗だった。もしかしたら帰ってないのかなって思ったけれど、ミオがいるし間違ってもひなはそんなことはしない。
試しにひなが居ないだろう時間帯にこっそり合鍵を使って入ればまるまるとした元気いっぱいなミオがダッシュで擦り寄ってきた。
――なんだかひなが、押し潰されてしまうんじゃないかと不安になった。
「ひなこちゃん! 遅れてごめんね」
先輩は息を切らしていた。隣にいたお兄さんは消えている。きっと先輩が来たことにより空気を読んで退散したのだろう。
「全然待ってないですよ。行きましょうか」
「ごめんね、喉渇いたでしょ」
サラッと繋がれる手にドキドキはしない。
「髪型、凄く似合ってるよ」
「嬉しい。ありがとうございます」
ニッコリ微笑む先輩に、ぎこちない笑顔で返す。何だか居た堪れない。心も頭もひなのことしか考えられない。
チケットを発券してくれた先輩にお金を渡せば、「遅刻罰金」そう言って押し戻された。いつも奢ってもらってばかりで申し訳ない。
「飲み物でも買おうか」
先輩はそう言ってやっぱり私の手を引いた。
――映画はやっぱり退屈だった。
先輩は見終わった後も凄く楽しそうにあのシーンがどうだこうだと解説をしていたから「面白かった?」の問いには「面白かったです」とだけ返した。
「ありがとうございました。楽しかったです」
わざわざ新宿駅まで送ってくれた先輩に、ぺこりと一礼する。顔を上げれば先輩は私の髪を撫でて、
「キスしていい?」
……その言葉に私が答える前に唇は降り注いだ。
離れて行く唇。先輩の温度は凄く熱かった。ひなの唇はもっと冷たい。ひなはキスをする時、ジッと私の目を見て来る。唇と唇が重なるまでジッと見て来る。ひなとのキスはいつもスローモーションに感じた。
先輩は照れ臭そうに「嬉しい」と微笑み私の頬を撫でる。どんな顔をするのが正解かわからず私も照れ臭いと言った風に微笑んだ。
先輩は「じゃあね」と言い、地下鉄乗り場の方へ消えて行く。
先輩の姿が見えなくなったのを確認して、私は踵を返して早歩きで来た道を戻った。
無意識にゴシゴシと擦った唇。その行動に気付いて自分は酷く滑稽なのだと悟る。
携帯を取り出して、「シー ホストクラブ」で検索をかけた。一番最初に引っかかったページを見るとキャストの名前と写真も載っていて、そこには確かにひながいた。
ひなはナンバー3と書いてある。
私の知らないひなに、ひなの秘密に、目の前がグラグラと揺れた。
それでも必死に歩く。シーの住所を地図アプリに打ち込んでその案内通りに歩く。そうして、あるビルの前で足が止まった。
……シーまでは案外簡単に辿り着いた。あの映画館からそこそこ近い雑居ビルの4Fだった。時刻はもうすぐ22時になる。
看板には大きく「See」の文字。
エレベーターに乗り込み“4”の数字を押した。