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#27 普請は、今日建てて明日壊す心で

ここ数年、おぢば近辺の施設等が取り壊される姿を目にします。

おぢばの施設も使わないところが多くなり、必要性が薄くなっているのかなと感じます。

仕方ないことなのかと思いますが、そこに思い出があったりするので、さみしい気持ちにもなります。


おさしづ時代には、お屋敷での普請や各教会の普請をする際におさしづを仰いでいます。

そして、

さあ/\尋ねる処/\、さあ仮家と言うたるで。仮家々々の事するによって、仮家さあ/\許そう/\。

『おさしづ』 明治29年1月25日 又、客殿と蔵の間にふたまを立てる願

と、普請に対するおさしづでは、親神様は「仮家」というお言葉をよく出されます。

また、

皆仮家とさしづしてある。仮家と言うはほんの仮家、いつ/\までのものは仮家と言わん。十分すれば、何時なりと取るという訳には行かん。仮家として何処へなりと何時なりと、今日して明日直すという心ですれば、十分自由という。

『おさしづ』 明治28年11月13日 本部長の御普請本部員会議の上御願

大層なものを普請すれば、いつでも取り壊すという訳にはいかない。今日建て、明日立て直すというような心で普請にかかってほしいと諭されています。


普請に際して、気合いを入れて必要以上のものを建てようとしたくなりますが、その時に必要なだけのものを建ててほしい、人々の成人に沿ったものを建てて欲しいと言われていると思います。

普請が「仮家」だと考えると、今必要なだけのものをしっかり使わせていただけるように、整えているのだと感じます。

そして、さみしい気持ちもどこか前向きに捉えられる気がします。

また、必要なときに成って来るように、まずは自分自身の心の普請から取り掛からせていただきたいです。



最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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