見出し画像

#19 神様の一番お好きな心—素直と正直 part2

前回、神様の一番お好きな心として、素直と正直に関する話をさせてもらいました。

今回も、素直と正直について、もう少し考えていきたいと思います。


道友社、天理時報社、養徳社で社長を歴任された、岡島藤人先生は『素心凡語』の中で、

 子供は実に正直である。せこせこしていない。自分の願望を曲げずに、ありのままに表してゆくのは、実に無邪気なものである。
               (中略) 
 やはり子供の尊いのは、無邪気な事だと思う。誰の前に出ても欲しいものは欲しい、欲しくないものは欲しくないと、はっきり意思の表現できる人でありたい。
 人前をつくろうて、欲しいのに欲しくないような態度したり、無いものを有るように見せたりするような、そんな考え方は古いと思う。決して本当の訓育ではない。

岡島藤人 『素心凡語』 p76-77

と、正直とは、自分の願望を曲げずに、ありのままを表していくこと。人前でつくろったり、自分を偽った態度をとるのは良くないことだと書かれています。

前回の話の中で、「素直、正直の心になるには、我が身、我が心を捨てることが大切である」と言われていたので、ありのままを表すのは矛盾しているようにも思えます。


岡島先生のお話の中で大切なことは、自分の心(本心)と発言や行動が食い違っていることだと思います。

まことゝいふは、くちと、心と、手と、この三つが、そろふて、しんのまことゝいふ。

諸井政一『正文遺韻抄』p222

と、口と心と手(行い)が揃って初めて真の誠であると言われています。

人前でつくろったり、自分を偽った態度をとることは、口と心と手(行い)が揃っていない状態であり、素直と正直とは反対の、嘘やついしょうになってしまうと思います。

変に考えて自分を偽ったり、相手に気に入られようと嘘やついしょうの心を使ったりすることは、

月日にハ うそとついしょう これきらい
このさきなるわ 月日しりぞく      

 『おふでさき』 12号-113

とあるように、親神様、教祖が嫌いな心遣いです。

口と心と手(行い)が親神様、教祖の思いに沿うようにしていくことが大切です。

我が身、我が心を捨てることは、自分勝手な心遣いから、親神様、教祖が望まれる心遣いに変えていくことでもあると思います。

ありのままの心で、親神様、教祖の思いに沿うような言動を目指していきたいと思いました。



最後までお付き合いいただきありがとうございました。


いいなと思ったら応援しよう!