国体護持_新聞

国体護持ってなんだ

司馬遼太郎が自分の体験として、書いている。彼は満州から戦車隊として内地もどってきた。関東平野を護るのが任務だ。

そんなとき、連隊のある将校に、質問した。いざ敵国が上陸して攻めてきた時、避難民が荷車に家財を積んで北上してくる。国民が道路にたくさんいて戦車が動けなくなる。どうしたらいいか、と。

とるとその将校は「轢き殺しても進め」と言ったという。「天皇陛下のためだからやむをえない」と。

日本人のために戦っているはずの軍隊が、日本人を轢き殺してもいいのだ。戦争というものは、国民の命を守るのが国家の至上の価値なのに、国家を守るために、国民を殺しても平気という観念になっていく。

「国体護持」だけが至上の価値となる。敗戦を受けいれるかどうかギリギリのところは「国体護持」ということにあった。じつは、そのために特攻隊も征かされたのだと思う。敗北はわかっているのに、敗戦処理交渉のために一矢報いておきたいという。それは、天皇の言葉(つぶやき)であったかもしれない。

そもそも「国体」ってなんなのだろうか。国としてのアイディンティティー、誇りか。たとえばそれは、具体的には当時においては、天皇制の維持、天皇の命ということでもあると思うけれど、じつはその実体は、空っぽであったりしたのかもしれない。その空っぽのものに、観念を凝縮して1億玉砕、みんな死んでもいいのだという歴史があった。

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