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「伊藤博文暗殺」という話

「伊藤博文暗殺」という話

悲劇なのは、伊藤博文も安重根も平和を望んでいたということです。

安重根は未完の著書『東洋平和論』において、韓中日三国による平和を述べています。
#一日不讀書口中生荊棘

namu.wiki の安重根の項目を読んだのですけれど、日本国も大韓民国も思想が違うということです。

とはいえ、昨今の国際状況の危機的状況であれば、求同存異でしょう。大同小異ではなく。

〈伊藤博文暗殺について日韓の見解の相違〉
日本としては、韓国統監府が設置され、併合に慎重だった伊藤博文が初代統監となれば〝穏便〟に事をなすだろうという感覚です。穏便とは、韓国が列強に対する力の一つとなるのであれば併合する必要はないということです。実際バカほど投資してしまいました。

韓国としては、韓国統監府が設置された時点で併合されることは決定事項で、だからこそ初代統監を暗殺する必要がありました。国家の主権を奪われるのですから、当然です。少しでも抵抗したので、安重根は英雄になりました。

さて、日本は法律があっても運用で中身を変えてしまうという変な国です。#joke
※正和的生存権(憲法前文)と幸福追求権(憲法13条)によって、自衛隊があります。

韓国は儒教の国ですから、礼によります。決まったことは変わりません。ただ、易姓革命によって前の行政を否定しても問題ありません。

日露戦争の戦後処理として大韓帝国(The Empire of Korea)を併合しましたから、結果的に主権を奪われた朝鮮人(ママ)の心証は最悪です。恨まれても仕方がありません。

ただ一方で、日本の立場としてはあのまま大韓帝国を放置することはできませんでした。

当時の大韓帝国は近代化がなされておらず、弱小国でした。日清戦争によって清の冊封から独立しましたが、中身は李氏朝鮮のままです。

列強の狼たちに囲まれた隣の子羊をどうするかです。

朝鮮人としては中華の地続きで儒教の長男であるという自負があります。それを対岸の次男の日本人が踏み躙(にじ)ってしまいました。

日本は儒教を支配する道具として使いました。海の向こうにあるのは君子がいる理想郷です。

日本としては欧米に搾取されるよりは、いっしょに富みましょうですが、納得できる訳もありません。

子羊が沈黙しても、いずれ必ず列強が朝鮮半島に侵攻します。いつものようにまた列強が手を出してくるのは明白です。

伊藤博文暗殺は、日本人が意見の異なる側から「だったらお前が解決しろよ」と言われて、敵地に行って交渉している間に、味方から撃たれる(または警護をおろそかにされる)のと似ています。

日本側としては、まず暗殺を防止する必要がありました。

結局「話し合いもできない野蛮人の国は植民地化するしかない」ということになってしまいました。

それでも日本は1924年に京城帝国大学を設置しています。

1886年(明治19年) 東京帝国大学
1897年(明治30年) 京都大学
1907年(明治40年) 東北帝国大学
1911年(明治44年) 九州帝国大学
1918年(大正7年) 北海道帝国大学
1924年(大正13年) 京城帝国大学 ←
1928年(昭和3年) 台北帝国大学
1931年(昭和6年) 大阪帝国大学
1939年(昭和14年) 名古屋帝国大学

「京城帝国大学でいっしょに勉強しましょう♩」ではなく、本音(ほんね)は「お前らバカだから教えたるわ」です。

そりゃあ怒りますよ。朝鮮人はブチ切れです。

ただ、日本国は世界観戦争をしていた訳ではないということです。

世界観戦争は絶滅戦争です。

日本は、朝鮮民族の絶滅を望んでいた?

そんな訳ありませんよね?

上から目線であったとしても、少なくとも朝鮮半島の人を絶滅しようとしたことはありません。

より「同じ日本人になってくれ」とまで言いました。
(まあよけいに逆撫でしちゃったんですが……。)

第二次世界大戦でドイツはポーランド人を絶滅しようとしました。

ナチスはポーランドに侵攻し、多くを虐殺しました。

嘘ではなく、本当に絶滅しようとしたんです。

教育を奪い、民族の誇りを捨てさせました。

そりゃあ欧州で信用されなくなります。

今でもドイツはその負い目があるので、ロシア連邦のウクライナ侵攻のときにヘルメットを送ったのです。

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