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お釈迦様の人生


お釈迦様というと、素晴らしい人生を送られた方のイメージが強いと思います。
それだけでは無く、仏教という宗教を始められた、凄い方のイメージもあります。
でも、本当に素晴らしい方という、一面だけを見る事でよいのでしょうか。
お釈迦様の生涯を一人の人間の生涯として、今の自分に照らし合わせる事により、自己肯定感を持つこと、自分らしく生きる事の応援ができればと思い書いてみました。

①生まれ
お釈迦様は、今から約2500年位前に、インドの北部でお生まれになりました。
お父様のお名前が浄飯王(シュッドーダナ)漢字だとドラゴンボールに出てきそうなお名前です。
お母様のお名前を摩那(マーヤ)です。こちらは、ミツバチマーヤのイメージです。
ときどき、マンガや商品名などで、お釈迦様関係のお名前が出てきます。
蛇足ですが、愛知県ではコーヒー用ミルクの「スジャータ」が有名です。

お釈迦様はルンビニー園で、お母様の右脇よりお生まれになり、すぐに七歩歩き、右手で天を、左手で大地をそれぞれに指差し「天上天下唯我独尊」の言葉を発したと言われています。
その、一週間後にお母様は体調を崩されてお亡くなりになったそうです。
お釈迦様は、右脇からお生まれなられていますが、純粋に、身分の高さを表しているだけです。
大切なのは身分の高低よりも、実在の人物であった事だと思います。
そして、多くの伝説がここから始まるのですが、あくまでこれらは伝説です。
昔も今も、話を盛るという事があります。
昔の方々にも、何とかこの事を伝えたい、というお気持ちが強くあったのだと思います。
話の盛り方に壮大な表現があり、御伽草子とウルトラマンが混在する感覚で、楽しく読む事ができるのが、お経の面白さだと思います。

「天上天下唯我独尊」と言えば暴走族のつなぎの背中や、バイクのシート背面に書いてあるイメージですが、俺だけが特別という意味ではありません。
この文字の前には「七歩」歩んでとあります。
七歩の歩みとは「六道」天・人・修羅・地獄・餓鬼・畜生と六種類の人生経験を、歩み超える意味があります。
つまり、いろいろな人生経験をする、という事です。
「天」は天人と言い都合の良い状態を表します。
「人」は人間を表し、好都合に不都合が加わります。
「修羅」は喜怒哀楽を表し、心の移ろいを表現します。
「地獄」は競争の世界を表し、今の社会そのものです。
「餓鬼」は底なしの欲を表します。
「畜生」は無感謝、無感動ですので、自己中を表しております。
ですので、お釈迦様も一通りの人生経験を積む事を、宣言された事になります。
単純にどんな人も、生まれたらいろいろな経験をして、人生を終わらせて往くという話です。
ここからも、お釈迦様を特別視する事の危険性を、警告されていたのかもしれません。
つまり、一部の人だけに与えられた、特殊能力者の話ではなく、極々普通に、当たり前の時間をみんなと同じように過ごしている事を、表現しています。
その当たり前の、人間らしい存在である自分を「天上天下唯我独尊」と呼んでいます。


人の平等は、存在と時間しかないと思います。
それぞれ命ごとの、生まれや育ちに差がある事は間違いない現実です。
見落としがちですが、どれが良くてどれが悪いのではなく、与えられた今を、どう過ごして往くかによって、その人の尊さが生まれると思います。
お釈迦様は、良い所のお坊ちゃんだから、悟りを獲たのではありません。
確かに、王家に生まれた事により、考える環境に身を置けたことを思えば、運が良かったと思います。
しかし、お父様は王様なので、ドラマの様な親子の触れ合いはほとんど無い、幼少期を送っているはずです。
親に甘える事もなく、家来と王宮の中の価値観だけの成長は、本人にとって幸せであったかは分かりません。
三木清さんの言葉に「都会は孤独」という言葉があります。
沢山の人の間に孤独は生まれるとあります。
お釈迦様も、多くの人に囲まれながらも、常に孤独を感じていたのかもしれません。
孤独という環境に身を置けたからこそ、多くの事を考え、思春期に「引きこもり」になれたのかもしれません。

合掌



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